志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

そのまま時間に流れていても時間はつれていってくれるあそこへ

2016-02-21 01:25:56 | 詩、詩集

                             (瑞慶山和子さんの『紅型』作品 《日々草と蝶》)

いまこの時

永遠にわたしはここにいて

おわらない作業をパソコンの前で続けている

おわらないままに永遠にそこにいるのではと

恐れるわけではない

イヤフォンから聞こえてくるバッハのピアノやギターやフルートの調べは

ここちよく聞こえてきてやはり永遠にここでキーボードを押している

「少女老い易く学なりがたし」

骸骨になってもパソコンのキーを打っている後姿が掠めていく

それも悪くはないのだ

存在そのものが罪に包まれていてこの存在が食らって食らってきた

年月は生き物の生きているだけの罪を背負っているのだからその罪を

すべて振り捨てて消える、この意識からこのパソコンの前から消えるのは

爽快なことなのかもしれなかった

ヘッドフォーンでバッハを聴いていても外から風雨の音がアルミサッシを通り越して

進入してくる深夜、誰も居ない研究室にぽつねんとキーを打つ手が生きている証拠

意識は眠気も起こらず鮮やかすぎるほどはっきりしていて

地下水脈の根の郵便配達さんの詩など読んだものだから、それも

ブログで紹介されていてかするように眼を通しただけなのだけど

かなたではいてつく寒さの中で難民になった生きるための闘いが繰り広げられていて

暖かい暖房のある研究室でキーを打つ手

それもしかし闘いに違いはないはずだった

期限という時との闘いがあり、それまでに形にしなければならない思念がことばがまっている

という紛れもない事実がある

ことばとの闘いだった

形にそった思念のまとまりが問われているということは

大小の無数のフレイム、形、形式、形態に取り囲まれて生き生かされているのだね

かの方も役割という役者を生きていて、それはあなたもきみもわたしもかわりはないはずなのだ

君の役割、わたしのやくわりそれぞれの役柄を演じているのだったね

そう、そしてときの川にゆだねられた起源、期限がある

命の期限があるということが不思議であるひ突然たちきられる不思議の時間

を泳いでいるのか漂っているのか走っているのか歩いているのか

動いているのは確かなんだ

バッハはいい

ここちよいリズムに包まれて怒りなくただPCに向かっているささやかな

時に感謝しょう

身体が揺さぶられる戦慄、旋律がある

それはあらゆる哀しみをこめた旋律・調べ・震え

それをきみといっしょに聴いていたい

こうしているとただ永遠にこの場にいるような

その錯覚に陥るのよね

その目覚めるとき

終わっていないという

おそれがやってくる

すくなくとも

おわりに向かっているのだから

ちいさなおわりおおきなおわりをくりかえしているのだから

そのちいさな一つのおわりに次の期限がまっている

彼女たち

おかあさまたちの歌にあわせて踊りたいという切実さは

鎮魂に他ならない

あなたの娘であったわたしあなたをあなたの美しさをかなしさを

称えたいそして永遠のかなたであなたにあいたいという

彼女たちの激しい思いがストレートに投げられてきた

それは受け止めざるをえない

そうあなたもわたしもきみも永遠という明日の期限が待ち受けているからね

深夜の独り言

おわりがこないとこの作業はおわらない

 

(瑞慶山和子さんの紅型作品「日々草」)

 《推敲なくただ書き綴っている深夜の独り言》

来る3月19日、瑞慶山和子さんは桜家音子さんの「花風」の歌にあわせて踊る!「音子おかあさんはとても厳しい女性だったのですよ」と和子さんは語った。4歳から舞踊を習っていた和子さんの澄んだ思いが伝わってきたひと時。彼女と過ごした時はかけがえのない時だった。ありがとう和子さん!写真の中のにこやかな表情の音子さんが養女の和子さんに厳しかったということが信じられない気がした。しかし和子さんの言葉に嘘はないと感じた。「日々草が好きなんですよ」と、見せてくれた紅型のデザインを透かしでみなさんの『報告書』の中のプロフィールに使うことにした。


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