習志野市民フォーラム

市民情報交流センター

ボートピア習志野反対運動の経緯④(市長の同意と反対運動の統合への流れ)

2013年03月31日 | ボートピア習志野反対運動
(市長の同意)
2004年8月の炎天下で反対の署名活動は続いた。
一方では9月議会の前に荒木市長はボートピア設置に同意するのではないかとのうわさも流れた。
8月中旬には反対派の主なメンバーを誹謗中傷する怪文書が地元で蒔かれた(郵送など含め)
8月20日は「市長が設置に同意しないのであれば市役所を破壊する」との脅迫電話が入ったとの噂が
広範に流れた。怪情報の類か事実は不明であるが市長の同意時期に向けて周辺は俄かにキナ臭くなってきた。
反対派は各々9月議会へ向けて陳情や署名集めなど準備を進めていたが8月31日ついに荒木市長は
ボートピア習志野の建設に同意した。
市民の反対意見にも耳を傾けず、地元を中心とした住民不在の中での決定であった。
既に準備していたらしく翌9月1日の「広報習志野」臨時号に掲載され各戸に配布された。

広報の中では元々習志野市は各施設建設や整備に競馬・競輪の収益が充てられてきたと開き直り、市に入る
環境整備費(競艇の売上げの1.5%)も当初の4億5千万円から3億円に引下げられていた。
(反対運動の統合への流れ)
市長の同意はなされたが、ボートピア建設反対の動きは一向に鎮まるどころかますます、広く展開されていった。
反対署名は応答した住民のうち各町内とも軒並み80~90%を超え、反対決議、陳情を出す町会も増えていった。
2004年9月5日には「反対の会」主催の「ボートピア建設反対市民集会」が新習志野公民館で開かれた。
反対派では初めての大きな集会であった。

反対の会主催の集会ではあったが、会場には「やめさせる会」のメンバーも多数参加し、又地元を中心とした
住民も多数参加し<参加者は200名に上った。地区労出身の浅香が議長を務め多くの市民より絶対反対の声が
あげられた。その中で「何故反対派は一丸となって行動しないのか」との意見も幾つか上がった。
「やめさせる会」「反対の会」共に設立の経緯や、構成メンバーの違いはあるものの今後まとまって行動することには
なんら異議はなかった。その後の「市民連絡会」結成、住民投票、訴訟に発展していく一つの契機となった集会であった。
その後お互いの会から統合へ向けた代表者が選出され2つの会で調整が始まっていくのであるが運動の方針を巡り、
又会の中での意見の食い違いなどあり、統合は容易ではなかった。
(敬称略、肩書等は当時のもの)
※次回は「市民連絡会準備会の結成へ」

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