習志野市民フォーラム

市民情報交流センター

ボートピア習志野反対運動の経緯⑧(市民大集会)

2013年07月15日 | ボートピア習志野反対運動
※このシリーズは2004年に新習志野駅前に計画された競艇場外舟券売り場建設を巡る当時の反対運動の経緯です。

2004年11月20日に各ボートピア反対団体が結集し、集合運動体としての結成された
「場外舟券売り場をつくらせない習志野市民連絡会」(以下「市民連絡会」)は運動方針
に掲げられている全市民集会の開催、全国サミットの開催市長リコールを含む直接請求に動き出してゆく。
これとは別に連絡会傘下の各団体は独自の集会やデモ行進を行っていった。
「やめさせる会」は下記の12月5日に市民行動を企画した。

新習志野駅前に集合し建設予定地前を通り隣接の香澄・秋津町内を練り歩くコースであった。
新習志野駅前でのデモ行進はおそらく初めてのことではなかっただうか。
買物客の多い新習志野駅前に約60人が結集し、簡単な集会と決意表明が述べられた後、横断幕を先頭に各自が用意した
プラカードを掲げ犬2匹も引き連れ出発した。建設予定地の東洋エンジニアリングの正門前では反対の表明を行い
ハンドマイクで「東洋エンジニアリングは建設を断念しろ」「ギャンブル場建設反対」などのシュプレヒコールを上げた。
又「やめさせる会」は習志野市の教育委員会がこの問題に対して一度も議論されていなかったことを捉え、教育委員会
に請願を出し、11月24日に傍聴に行ったが、議論はなされなかった。教育委員会の形骸化が露呈した。

一方の「反対する会」も11月23日に京成津田沼駅からボートピア予定地の新習志野駅まで歩く行動が企画された。

「やめさせ会」の音の出るデモに対してこちらはウォーキングの感じではあったが、幟をいく本も掲げた。
谷津干潟を通るコースで干潟の辺りからは「やめさせる会」のメンバーも合流し100数十名となった。
ウォーキング隊が東洋エンジニアリング前に到着すると、会社側はなんと建設予定地の社内の敷地に招き入れた。
どういう意図かは不明ではあるが、相当な余裕を持っていたのではないか。
テニスコートや運動場がまだ残っていて、こんな施設をギャンブル場にするなどもっての他であると訴えた。

(市民大集会)
市民連絡会としての市民大集会の準備は着々と進められた。共同の事務所は中村市会議員の2階の事務所を使うこと
になっていた。
全国のボートピア反対運動との幅広い連携が必要と考え、香川県三木町で5年かかってボートピア反対を成功させた
「まちと人を守る連絡協議会事務局」山崎千津子氏を講師として招くことを決めた。又社会問題に目を向ける
シンガーソングライターの梅原司平氏を招くことにもした。
チラシが作られ市内広域に配布され、各所でと宣伝活動も行われた。配布は各団体の会員や連絡網がフルに活用され
これは後の直接請求の署名集めの下地となり大きな武器となることになる。

市民集会は2004年12月23日に京成津田沼駅前の京成労働会館で午後2時より開催された。
参加者は約300人とされたが実数はチケットの集計から236人であった。
反対派の市会議員もほとんどが参加した。
杉村会長のあいさつ、梅原氏の演奏の後山崎千津子氏の講演が行われ、三木市の反対運動の経緯と成功が述べられた。
集会アピールが採択され閉会となった。
この集会には様々意見もあり、内部からも批判的な意見も寄せられた。人数を集めただけで具体的運動の実態がない。
経費がかかりすぎ。初期から運動をやっている人間には不満な内容。リコールはどうなった・・等などいずれも
当然の意見ではあった。
尚、当日住民投票への直接請求行動が提起され翌年年明早々に全市的な署名活動が開始されることとなる。
併せて訴訟の準備も始まった。
※文中敬称略・肩書き等は当時のもの
次回は住民投票条例制定のための署名活動の開始

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