飯盛旅籠→遊廓→RAA施設→赤線
明治8年ごろ、散在していた娼家を一ヶ所に集める
昭和5年ごろ、業者数3、娼妓数25
道の片側に妓楼が並び、その周囲には水田が広がっていたという。
そのことから、遊客たちには「田んぼ」と呼ばれた。
このあたりに遊廓があったらしい。残念ながら、いまは旧妓楼も田んぼも残っていない。
古風な門が現れた。しかし、おそらく関係ないだろう。
唯一これはと注目した石灯籠。後ろの建物は新築だが、灯籠はかなり古そうだ。
ここの家主の方が、せめて灯籠だけでも、と保存したのではないか、と夢を見てしまう。
売物件の更地。ことによると、つい最近までここに遺構が残っていたのかもしれない。
更地の奥側から。この敷地に経っていたのが一軒屋なら、相当な規模だったことになる。
脇には気になる小路が。かつての裏道と考えるのは、さすがに妄想が過ぎるか。
更地の奥の建物。古そうなたたずまいに惹かれ、一枚撮影。
通りの東側から。左側には田んぼが広がっていたと思われる。
明治8年ごろ、散在していた娼家を一ヶ所に集める
昭和5年ごろ、業者数3、娼妓数25
道の片側に妓楼が並び、その周囲には水田が広がっていたという。
そのことから、遊客たちには「田んぼ」と呼ばれた。
このあたりに遊廓があったらしい。残念ながら、いまは旧妓楼も田んぼも残っていない。
古風な門が現れた。しかし、おそらく関係ないだろう。
唯一これはと注目した石灯籠。後ろの建物は新築だが、灯籠はかなり古そうだ。
ここの家主の方が、せめて灯籠だけでも、と保存したのではないか、と夢を見てしまう。
売物件の更地。ことによると、つい最近までここに遺構が残っていたのかもしれない。
更地の奥側から。この敷地に経っていたのが一軒屋なら、相当な規模だったことになる。
脇には気になる小路が。かつての裏道と考えるのは、さすがに妄想が過ぎるか。
更地の奥の建物。古そうなたたずまいに惹かれ、一枚撮影。
通りの東側から。左側には田んぼが広がっていたと思われる。
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