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遊里跡の探訪録など。
ブログの日時は、行動日・撮影日に合わせております。

川崎 二子新地

2012年06月17日 16時30分00秒 | ◇神奈川
花街
大正15年、待合数20、芸妓数75
江戸時代から大山街道の宿場として栄えた場所。
戦後は芸娼妓の混在する土地になったという説があるものの、真相は明らかではない。

前回は、文字どおり立ち寄っただけでおわってしまったので(前回の記事はこちら)、
今回はじっくり時間をかけて探索。

 
電灯のポールに「二子三業組合」とある。三業地だったことを示す貴重な証拠だ。
同様のポールは、町内に五、六本はあったろうか。当分は全滅の心配もなさそうだ。


ビルに挟まれた細長い通路。草木が生い茂っており、奥の様子はあまりわからない。

 
現存する唯一の料亭。下見板の不均一な色あいが絶妙。黒い板塀も見のがせない。
二階を見ると、窓ガラスに波の絵が描かれている。当時からのディテールだろうか。


電柱のプレートの名前に注目。十中八九、上記料亭の屋号に由来する名前だろう。
先ほど丸子で、はじめて同じケースに遭遇したばかりだっただけに、非常に驚かされた。

 
普通の新築マンションだが、名前を見ると、以前ここにあった料亭の屋号と一致する。
名前だけでも受け継いでもらえるのは、探訪者として大変ありがたい。


鮮やかな青が目を引く。正面に窓らしい窓が一つもないことに奇異な印象を受ける。
花街時代の物件でも不思議ではないたたずまいだが、花街とのつながりは不明。


マンションの奥に、ひっそりと鳥居が残っていた。かつての宿場のなごりだろうか。

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