花街
大正15年、待合数20、芸妓数75
江戸時代から大山街道の宿場として栄えた場所。
戦後は芸娼妓の混在する土地になったという説があるものの、真相は明らかではない。
前回は、文字どおり立ち寄っただけでおわってしまったので(前回の記事はこちら)、
今回はじっくり時間をかけて探索。
電灯のポールに「二子三業組合」とある。三業地だったことを示す貴重な証拠だ。
同様のポールは、町内に五、六本はあったろうか。当分は全滅の心配もなさそうだ。
ビルに挟まれた細長い通路。草木が生い茂っており、奥の様子はあまりわからない。
現存する唯一の料亭。下見板の不均一な色あいが絶妙。黒い板塀も見のがせない。
二階を見ると、窓ガラスに波の絵が描かれている。当時からのディテールだろうか。
電柱のプレートの名前に注目。十中八九、上記料亭の屋号に由来する名前だろう。
先ほど丸子で、はじめて同じケースに遭遇したばかりだっただけに、非常に驚かされた。
普通の新築マンションだが、名前を見ると、以前ここにあった料亭の屋号と一致する。
名前だけでも受け継いでもらえるのは、探訪者として大変ありがたい。
鮮やかな青が目を引く。正面に窓らしい窓が一つもないことに奇異な印象を受ける。
花街時代の物件でも不思議ではないたたずまいだが、花街とのつながりは不明。
マンションの奥に、ひっそりと鳥居が残っていた。かつての宿場のなごりだろうか。
大正15年、待合数20、芸妓数75
江戸時代から大山街道の宿場として栄えた場所。
戦後は芸娼妓の混在する土地になったという説があるものの、真相は明らかではない。
前回は、文字どおり立ち寄っただけでおわってしまったので(前回の記事はこちら)、
今回はじっくり時間をかけて探索。
電灯のポールに「二子三業組合」とある。三業地だったことを示す貴重な証拠だ。
同様のポールは、町内に五、六本はあったろうか。当分は全滅の心配もなさそうだ。
ビルに挟まれた細長い通路。草木が生い茂っており、奥の様子はあまりわからない。
現存する唯一の料亭。下見板の不均一な色あいが絶妙。黒い板塀も見のがせない。
二階を見ると、窓ガラスに波の絵が描かれている。当時からのディテールだろうか。
電柱のプレートの名前に注目。十中八九、上記料亭の屋号に由来する名前だろう。
先ほど丸子で、はじめて同じケースに遭遇したばかりだっただけに、非常に驚かされた。
普通の新築マンションだが、名前を見ると、以前ここにあった料亭の屋号と一致する。
名前だけでも受け継いでもらえるのは、探訪者として大変ありがたい。
鮮やかな青が目を引く。正面に窓らしい窓が一つもないことに奇異な印象を受ける。
花街時代の物件でも不思議ではないたたずまいだが、花街とのつながりは不明。
マンションの奥に、ひっそりと鳥居が残っていた。かつての宿場のなごりだろうか。
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