遊廓→赤線
大正元年、業者数13、娼妓数86
大正10年、業者数11、娼妓数90
昭和5年ごろ、業者数11、娼妓数87
昭和33年、業者数9、娼妓数28
「西ヶ原」は昔の地名で、現在の広小路2丁目あたりが該当する。
たじみ広小路。かつては「遊廓通り」と呼ばれ、道沿いに妓楼が建ち並んでいたという。
残念ながら、旧遊廓通りにそれらしい建物は残っていない。
ちょっと横道に入ってみると、腰に豆タイルをあしらった和風建築が現れた。
一本南側の通りに、丸窓が目を引く和風建築が残っていた。花街的な風情がある。
レトロな玉突き場。妓楼と直接の関係はないものの、過日の栄華を物語る貴重な物件。
全体は和風の造りでありながら、入口まわりは洋風の装いになっている。
引き戸の多い和風建築。この通りは商店街だったそうだから、この建物もその一つだろう。
出格子の色が渋い。うっかり妓楼と断定してしまいそうだが、このあたりも商店街である。
奥はなぜか大和張り。板が比較的新しいところを見ると、改装後の意匠かもしれない。
旧遊廓通りの北側。まっすぐ伸びる路地に沿って、平屋建てが連なっている。
看板があったりと、かつては何かの店だったと思われる家が目につく。興味深い一画だ。
大正元年、業者数13、娼妓数86
大正10年、業者数11、娼妓数90
昭和5年ごろ、業者数11、娼妓数87
昭和33年、業者数9、娼妓数28
「西ヶ原」は昔の地名で、現在の広小路2丁目あたりが該当する。
たじみ広小路。かつては「遊廓通り」と呼ばれ、道沿いに妓楼が建ち並んでいたという。
残念ながら、旧遊廓通りにそれらしい建物は残っていない。
ちょっと横道に入ってみると、腰に豆タイルをあしらった和風建築が現れた。
一本南側の通りに、丸窓が目を引く和風建築が残っていた。花街的な風情がある。
レトロな玉突き場。妓楼と直接の関係はないものの、過日の栄華を物語る貴重な物件。
全体は和風の造りでありながら、入口まわりは洋風の装いになっている。
引き戸の多い和風建築。この通りは商店街だったそうだから、この建物もその一つだろう。
出格子の色が渋い。うっかり妓楼と断定してしまいそうだが、このあたりも商店街である。
奥はなぜか大和張り。板が比較的新しいところを見ると、改装後の意匠かもしれない。
旧遊廓通りの北側。まっすぐ伸びる路地に沿って、平屋建てが連なっている。
看板があったりと、かつては何かの店だったと思われる家が目につく。興味深い一画だ。
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