遊廓→赤線
明治17年、貸座敷数12、娼妓数24
大正元年、貸座敷数8、娼妓数13
昭和5年ごろ、業者数2
事前にわかっていたのは、今出町に遊里があったという情報のみ。遺構の有無も不明。
幸い、今出町は現存する地区で、広さもさほどではない。しらみつぶしに歩くことにした。
訪問前に地図で見つけ、目星をつけていた和風スナック。
「和風」とあるので、ひょっとしたら旧妓楼なのでは、と期待していたが、見事に空振り。
左右に配した入口が気になる。
多少なりとも遺構の可能性がありそうなのは、この一軒のみだった。
というわけで、あっけなく散策終了。物足りないとはいえ、あきらめて引き返すしかない。
以下の写真は、大聖寺駅へ戻る道すがら、なんとなく撮影したもの。
街道沿いの一軒。壁や塀の色あいが年の流れを感じさせる。
上記物件の左奥。庭木の向こうに丸窓が見える。
もう少し近くで建物の様子を確かめてみたかったが、これ以上近づける場所はなかった。
時習庵こと児童歴史体験資料館。かつての武士の邸宅で、国の登録有形文化財。
明治17年、貸座敷数12、娼妓数24
大正元年、貸座敷数8、娼妓数13
昭和5年ごろ、業者数2
事前にわかっていたのは、今出町に遊里があったという情報のみ。遺構の有無も不明。
幸い、今出町は現存する地区で、広さもさほどではない。しらみつぶしに歩くことにした。
訪問前に地図で見つけ、目星をつけていた和風スナック。
「和風」とあるので、ひょっとしたら旧妓楼なのでは、と期待していたが、見事に空振り。
左右に配した入口が気になる。
多少なりとも遺構の可能性がありそうなのは、この一軒のみだった。
というわけで、あっけなく散策終了。物足りないとはいえ、あきらめて引き返すしかない。
以下の写真は、大聖寺駅へ戻る道すがら、なんとなく撮影したもの。
街道沿いの一軒。壁や塀の色あいが年の流れを感じさせる。
上記物件の左奥。庭木の向こうに丸窓が見える。
もう少し近くで建物の様子を確かめてみたかったが、これ以上近づける場所はなかった。
時習庵こと児童歴史体験資料館。かつての武士の邸宅で、国の登録有形文化財。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます