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遊里跡の探訪録など。
ブログの日時は、行動日・撮影日に合わせております。

三原 糸崎

2012年05月05日 10時00分00秒 | ◆中国
遊廓→赤線
昭和4年、業者数25、娼妓数49
昭和32年、業者数31、従業婦数61


「松浜」は、当時の地名であると同時に、遊里名でもあった。
消滅している地名だが、いまでも電柱や町内会館にその名を見ることができる。

 
平入りの和風建築。
外壁はトタンに覆われているものの、出格子や採光窓は昔のままのようだ。


上部の連続模様がおもしろい。模様の中の穴がひし形になっている。
前面がカフェー調であるのに対し、後方は和風。本来の意匠は和風のほうだろう。

 
二重の格子をあしらった一階と、総ガラス張りの二階。対照的な装いが印象的。
その造作を近くで確かめ、心の中で喝采した。木造建築の美しさが詰まっている。


竪板張りが特徴の長屋建築。色合いから推測すると、板は新調したものかもしれない。
一方、玄関の唐破風、花壇のレンガ、屋根瓦の一部は、旧来のまま残されている模様。

 
大店だったと思われる和風建築。右半分は崩壊が進み、危険な状態になっている。
崩れた建材の向こうには凝った窓がのぞき、華やかだった過去の断片が垣間見える。

 
[左]欄干が特徴的な物件。塀は残念だが、建物の維持にはこのほうがよいのだろう。
[右]戸袋は細やかな簓子下見板。左手に突き出た木材は、袖看板の跡か盗賊返しか。

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