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遊里跡の探訪録など。
ブログの日時は、行動日・撮影日に合わせております。

再開

2012年10月06日 08時30分00秒 | 日記・雑記
投稿が途絶えて1年以上。
あまりにもブランクが開きすぎてしまった。

探索はいまでもつづけているので、トピックは充分ある。

遊里情報やキャプションは省略して、写真の投稿だけでも再開したい。
(2014年7月8日 記)

長岡 文治町

2012年10月06日 08時00分00秒 | ◆甲信越
昭和5年ごろ、業者数32、娼妓数120

 
文治という地名はもはや存在しないものの、公民館や電柱にはその名が残っている。
公民館には神社が接しており、何かないかと探したが、遊里との関係を示すものは特になし。


下見板の落ち着いた色と漆喰の純白が対照的な旅館。玄関を傾かせた造りも特徴的だ。
視線を奥へ移すと、右隣の建物とつながっている様子が見て取れる。


謎の物件。料亭のように見えるし、少し手の込んだ一般家屋のようにも見える。


黒壁と赤壁の混在する旅館。旅館というとまっさきに転業旅館を想像してしまうが、はたして。
入口の角度がななめに振られている構えは、先ほどの旅館と共通している。

 
一見普通の住宅のようでいて、植木に隠れた窓をのぞくと、少し変わった組子細工が現れる。
そのほか、玄関に風流な装飾が施されていたりと、気になる意匠がいくつか見受けられた。


三台分の駐車スペースに三か所の入口。昔は旅館だったのではないかと思えるたたずまい。
しかし、外まわりが修繕されすぎていて、実際にどうだったのかはわからない。


年代物件であることは間違いないながら、遺構かと問われると違うように思えてしまう。
遺構かどうかは別として、下見板や明かり取りといった部位に惹かれてカメラを向けた。