投稿が途絶えて1年以上。
あまりにもブランクが開きすぎてしまった。
探索はいまでもつづけているので、トピックは充分ある。
遊里情報やキャプションは省略して、写真の投稿だけでも再開したい。
(2014年7月8日 記)
あまりにもブランクが開きすぎてしまった。
探索はいまでもつづけているので、トピックは充分ある。
遊里情報やキャプションは省略して、写真の投稿だけでも再開したい。
(2014年7月8日 記)
昭和5年ごろ、業者数32、娼妓数120
文治という地名はもはや存在しないものの、公民館や電柱にはその名が残っている。
公民館には神社が接しており、何かないかと探したが、遊里との関係を示すものは特になし。
下見板の落ち着いた色と漆喰の純白が対照的な旅館。玄関を傾かせた造りも特徴的だ。
視線を奥へ移すと、右隣の建物とつながっている様子が見て取れる。
謎の物件。料亭のように見えるし、少し手の込んだ一般家屋のようにも見える。
黒壁と赤壁の混在する旅館。旅館というとまっさきに転業旅館を想像してしまうが、はたして。
入口の角度がななめに振られている構えは、先ほどの旅館と共通している。
一見普通の住宅のようでいて、植木に隠れた窓をのぞくと、少し変わった組子細工が現れる。
そのほか、玄関に風流な装飾が施されていたりと、気になる意匠がいくつか見受けられた。
三台分の駐車スペースに三か所の入口。昔は旅館だったのではないかと思えるたたずまい。
しかし、外まわりが修繕されすぎていて、実際にどうだったのかはわからない。
年代物件であることは間違いないながら、遺構かと問われると違うように思えてしまう。
遺構かどうかは別として、下見板や明かり取りといった部位に惹かれてカメラを向けた。
文治という地名はもはや存在しないものの、公民館や電柱にはその名が残っている。
公民館には神社が接しており、何かないかと探したが、遊里との関係を示すものは特になし。
下見板の落ち着いた色と漆喰の純白が対照的な旅館。玄関を傾かせた造りも特徴的だ。
視線を奥へ移すと、右隣の建物とつながっている様子が見て取れる。
謎の物件。料亭のように見えるし、少し手の込んだ一般家屋のようにも見える。
黒壁と赤壁の混在する旅館。旅館というとまっさきに転業旅館を想像してしまうが、はたして。
入口の角度がななめに振られている構えは、先ほどの旅館と共通している。
一見普通の住宅のようでいて、植木に隠れた窓をのぞくと、少し変わった組子細工が現れる。
そのほか、玄関に風流な装飾が施されていたりと、気になる意匠がいくつか見受けられた。
三台分の駐車スペースに三か所の入口。昔は旅館だったのではないかと思えるたたずまい。
しかし、外まわりが修繕されすぎていて、実際にどうだったのかはわからない。
年代物件であることは間違いないながら、遺構かと問われると違うように思えてしまう。
遺構かどうかは別として、下見板や明かり取りといった部位に惹かれてカメラを向けた。