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遊里跡の探訪録など。
ブログの日時は、行動日・撮影日に合わせております。

津 橋向町

2011年12月10日 15時40分00秒 | ◆東海
専修寺の参詣客を目当てにできた遊里。
昭和5年ごろ、業者数11、娼妓数50

 
一身田寺内町の図(左)と説明文(右)。
「黒門跡」(図の赤丸部分)の説明に、「これより南に遊廓街を形成」とある。
昭和30年ごろまで栄えていたということは、戦後は赤線に移行したのだろう。

 
黒門跡。橋の向こう側が遊廓のあった場所。


まっすぐ延びる通りに古い日本家屋が建ち並ぶ。

 
上の写真のいちばん手前の家屋。「永」と刻まれた鬼瓦やタイル張りが目につく。

 
木と竹で組み合わされた玄関まわりの装飾が印象的。
すっかり色あせてしまっている赤い壁も、往時は人目を引く華やかな彩色だったであろう。

 
奥行きのある建物。このあたりでは大店だったと思われる。奥のほうは三階建て。

 
洋風の建物にタイルの装飾を発見。しかし、これは関係ないかもしれない。

桑名 桑陽園

2011年12月10日 12時40分00秒 | ◆東海
飯盛旅籠→遊廓→赤線
明治15年、業者数73、娼妓数282
昭和5年ごろ、業者数42、娼妓数150
以降、昭和32年まで存続。

記録によると、遊里は、北は川口町から、南は江戸町のあたりまで広がっていたらしい。
現在、それらしい建物が残っているのは主に川口町のほう。

 
腰に豆タイルを配した旅館。カフェー調の意匠が見て取れる。

 
グリーンのタイルが鮮やか。二階の板張りが残念とはいえ、状態は良好。
観光客が「すごいデザインだねえ」と話しながらカメラを向けていた。思わずにやにや。

 
改装中の建物をのぞくと、黒光りするタイルが。

 
歴史を感じさせる現役の料亭がたくさん残っているのもこの町の特徴。


泉鏡花の小説『歌行燈』の舞台として知られる料亭、船津屋。
撮影していたら、店先の店員から「いらっしゃいませ」と声。ただの見物人ですみません。


奥深い入口を持つスナック。かつてはカフェーだったのだろうか。


気になった洋風の建物。しかし遺構かというと、ちょっと違うような気もする。

 
こちらの和風建築も気になった。造りが普通の住宅ではないように見えるが、はたして。

安城 陽貴園ほか

2011年12月10日 10時30分00秒 | ◇愛知
「陽貴園」は赤線時代の名称。ごく小さな遊里だったらしいが、詳しいなりたちは不明。
どちらかというと花街の色のほうが濃い町だったのかもしれない。
昭和30年、業者数3、従業婦数10

なお、花街はいまも現役で、安城芸妓文化振興会がホームページを設けている。


細い路地に古い旅館が残っていた。転業旅館だろうか。
よく見ると気になる造形をしているのだが、トタン張りになっていてよくわからない。

 
白壁となまこ壁のコントラストが目を引く。右手の門には料理店の鑑札が残っていた。


黒ずんだ板張りが渋い和風建築。派手さこそないものの、桟の造作に工夫が見られる。


地図には安城芸妓寮組合とある。見番のような役割はないようだ。


置屋の一つ。客の前ではけっして見せることのない、質素な経営姿勢がうかがえる。

 
料亭やスナックの並ぶ通り。夜になれば、昼とはまた違った表情を見せるのだろうか。


古そうな料亭。もう少し近寄ってみたかったが、店の方がいらしたので遠慮した。