Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

ブランド志向

2008年01月18日 | 家・わたくしごと
 実は私、「ブランド志向」なのである。といっても、ヴィトンやプラダなんて高級ブランドには全く興味がない。私のこよなく愛するブランドは、アンブロUMBROというイギリスのサッカー用品のメーカーなのだ。なんだ、スポーツメーカーか、なんていわないでほしい。アンブロだってりっぱなスポーツブランドであり、サッカー用品としてはそれなりに高級である。
 ヨーロッパに住んでいた約10ヶ月、私はかなりアンブロ製品に手を出したのだが、日本に帰ってからというもの、やはり輸入ものは高く、数年間、発売される新製品を店頭で指を加えて見ていただけだった。しかし、つい数日前、前から欲しいと思っていたアイルランド・ナショナルチームのレイン・ジャケットを通販で購入してしまったのである。1万円を超えるようなものではないが、それでも服で7,8千円というのは私にとってそれなりに高い額である。
 このメーカーを知ったのはかれこれ、15年ほど前で、その頃は日本にアンブロの代理店はなかったと思う。今はアンブロのトレードマークをつけた服を着ている子どもまで見かけるが、当時は相当のサッカーマニアしかUMBROをアンブロと読むこともできなかった。イギリスに住んでいた弟が買ってきたくれたスウェットシャツが私のブランド志向への火付けとなり、今ではユニフォームも入れれば、相当数の枚数になる。
 何歳になっても、自分の気に入った服にはじめて袖を通すのは気持ちのよいものである。昨晩、封を切って、今朝、始めて新しいレイン・ジャケットを身につけバイクで出勤。なんてすがすがしい気持ちなんだろう。しかも、「あれ、先生、そのアンブロ新しくありません?」なんて声をかけられてしまったら、もう大喜びである。私のささやかな服の趣味は、まあ、こんな程度であるが・・・。


鬼餅(ムーチー)

2008年01月17日 | 家・わたくしごと
 ぼくは香草が嫌いである。好き嫌いはほとんどないのだが、これ以上嫌いなものはないという野菜がセロリだった。そのせいか、SMAPの《セロリ》もヒットしてだいぶたってからやっと耳にしたほどである。タイにフィールドワークに行ったりしたものなら、とにかく食べ物にシャンツァイ(香菜)が山盛りで、もう息を止めて飲み込むほどである。嫌いなら食べなければいいじゃないか、といわれそうだが、そこはフィールドワーカーの意地みたいなもので、とにかく食べる。そして時にその後味に途方もなく後悔するのだ。
 さて沖縄では旧暦の12月8日に健康の祈願から月桃とよばれる匂いのきつい葉につつんだムーチーとよぶ餅を食べる。今年はその日が1月15日だった。研究室にこれをもってくる者もいれば、学科室にもたくさんのムーチーが置かれている。家に帰っても誰からかもらったムーチーがいっぱいである。しかし、当然ながら香草につつまれた餅を私は食べることができない。もう月桃の葉の匂いを嗅いだだけでも気分が悪くなるというのに、この香りが染込んだ餅を食べるなんてもってのほかである。
 タイではシャンツァイを食べるくせに沖縄ではなぜムーチーをかたくなに食べないのかと、以前、沖縄の音楽を研究する友人に言われたことがある。答えは簡単だ。
「沖縄にいるぼくはフィールドワーカーではない。」
 しかし、そんなフィールドワーカーを鼻にかける前に「郷に入れば郷に従え」という諺があることをぼくは忘れている・・・。


ティラピア

2008年01月16日 | 家・わたくしごと
 ティラピアとはアフリカや中近東に生息する川魚のことで、アマゾン川に誤ってはまった哺乳類を骨にしてしまう肉食のピラニアのことではない。しかし実際にその姿を見てみると、鰭は堅く、大きくとがっているし歯も鋭い。見た目はちょっと・・・という感じである。
 さてこのティラピアであるが、インドネシアではごちそうである。インドネシア語ではグラミguramiとよばれ、素揚げ、炭焼き、揚げてからあんかけソースなど、食べ方は多彩で、しかも結構なごちそうである。ネットで調べると日本でも戦後には食用として導入され、「イズミダイ」とか「チカダイ」といわれていたらしい。確かに肉は白身で、食感はタイと似ているのだ。私はこの魚が大好きで、教え子とバリで食事をするときは、たいていこの魚を食べさせる大きな店に行く。夜になればどの店も家族連れでいっぱいである。
 このティラピアだが、実は沖縄に生息しているのだ。たまに子どもと「沖縄こどもの国」という場所に釣りにいくが、ここで釣れる魚がティラピアである。大きいものはすでに20センチくらいあり、結構、旨そうである。しかし、釣り人はこの魚が食用であることなんか知るよしもない。
 最近、かみさんが「メダカ」だといって稚魚を数匹、小さな水槽で飼い始めた。「かわいいメダカね」なんて毎日眺めていたのだが、徐々にでかくなってきたのだ。メダカが大きくなるわけがない。そして・・・とうとうその正体がティラピアであることがわかったのだ。なんとわが家はティラピアまで飼い始めてしまったのである。このまま育てれば、絶対水槽と同じくらいの大きさになるぞ。さて、このティラピアは、観賞用か食用か?


卒論・修論の提出日

2008年01月15日 | 大学
 芸術大学でも音楽学だけは、実技で卒業するのではなく、論文を書いて卒業する。要するに、一般大学の卒論や修論と同じである。指導教員は、日々、ゼミの学生を叱咤激励しながら、論文を書かせるわけである。そして今年もゼミ学生の論文提出の日がやってきた。
 指導教員はたぶんどの大学でも「とにかく出してくれ」という思いでいっぱいである。今年の学生は皆、優秀であるが、やっぱりプリント・アウトが間に合わないとか、パソコンが壊れたなんて理由で提出時間が間に合わないなんてことが起こるとも限らない。だからこそ、指導教員は提出するまでドキドキなのだ。提出時間を遅れたりすれば大問題である。
 提出日の今日はあいにく午前10時から会議、午後は来客、授業、そしてまた会議と、すべてが終了したのが午後6時過ぎ。ゼミの学生はみんな提出したんだろうか・・・と心配しながらも研究室に戻る。と、研究室の前のホワイトボードにこんな文字が! 
「先生へ、論文提出しました。」
 そして何名かの学生の名前が書かれている。良かった、良かった。これで私も一安心。今年度の肩の荷が一つ下りた。もちろん、まだまだ肩の荷は山積しているのだが、でも今日だけは、そんな重みを感じさせないようなさわやかな気分。まるで自分の論文を書き終えたような安堵感。

冬のアイス屋

2008年01月14日 | 那覇、沖縄
 沖縄は始終夏を演出しなくてはならない。どんなに寒くてもお土産屋の店頭にはTシャツが売られなくてはならないし、観光地に行けばかき氷だって年中売っている。そして本土よりは暖かい沖縄に来て観光客は、そんな「夏」を体験する。
 昨日、アウトレットモールに買い物に行った帰り、そのすぐ近くにできたショッピングセンターに寄った。アウトレットモールの傍とはいえ、こちらは90パーセント以上が地元の人々で賑わういわゆる「上等なスーパー」である。だいたい2階は大きな百均だし、そんなところに観光客は来ない。
 ところが、そのショッピングセンターの駐車場には沖縄を象徴するアイスクリームショップ「ブルーシール」が立っているのだ。これはいったい誰のために作られたのだろう?アウトレットモールにやってきた観光客を取り込むにしては、道を隔てているし、ちょっと行くのが面倒くさい。地元の人間は、高いブルーシールアイスを日常的には食しない。となると?・・・わからない。
 1月の沖縄は6時にはすっかり暗くなって、寒くなる。さて、そんな時間、このブルーシ-ルはまるでアメリカの「西海岸ばり」の派手なネオンで飾られている。寒空の下で風にはためくTシャツも、閑古鳥がないても夏を演出し続けるアイスクリーム屋も、沖縄の冬を彩る重要な風物誌である。


NEW YEAR バーゲン

2008年01月13日 | 那覇、沖縄
 正月が終わると、かみさんの大好きな季節到来である。そう、NEW YEAR バーゲンである。インドネシアのデパートは始終バーゲンセールを行っているので、そのありがたみがよくわからないのだが、ヨーロッパ、アメリカ、そして日本ではバーゲンになると、のきなみ昨日まで売っていたものが、30パーセント、40パーセントOFFとなるわけだし、欲しいものがあるならば、それは「得」である。
 正直なところ、私はあまりこうしたイベントに興味はない。だいたい本とCDしか買うことのない私には、バーゲンはあまり関係がないからである。しかしかみさんは違う。バーゲン前にきちんと、欲しいものをチェックしており、バーゲン・シーズンになると、他の品物には目もくれずまずその品に直行するわけだから。
 結婚してから20年近く、こうしてかみさんのバーゲンの買い物に付き合ってきたが、正直のところ、この周到な準備と計画性、どの店に何が売られていたかという記憶力、バーゲン・シーズンに体調を万全にしてアクティブに動き回れる行動力には、もはや感服せざるをえない。いざ、本日もアウトレットモールへと出陣である!


鎮静剤

2008年01月11日 | 家・わたくしごと
「はい、マウスピースをくわえて下さい。歯でしっかり噛むようにして、奥までくわえてください。だいじょうぶ?それじゃあ、絆創膏でマウスピース止めますよ。」
「じゃあ左手出してくださいね。鎮静剤を少しずつ入れていきますからね。」
透明の注射液が少しずつ、僕の体の中に入っていく。気のせいか液はグリセリンのようにドロリとしているように見える。
 「だんだん、ボーっとしてきますよ。」
ぜんぜんだよ。まだはっきりしてるよ。いつもと何も変わりはしない。
 「ボーっとしてきましたか?」
まだ、まだ。ぜんぶ、わかるもの。僕に鎮静剤なんて無駄なんだよ。現実のまま、ぼくは黒い管を受け入れるんだ。
 「まだ変わりませんか。じゃあ、もう少し鎮静剤を入れますよ。」
まだ、君たちの顔がはっきりわかるんだ。僕の勝ちだよ。鎮静剤なんて、今の僕には効きっこないのさ。そんな薬に騙されて、眠らされたりはしないんだ。俺は「しらふ」で検査を受けるんだ!さあ、口からカメラを入れるんだ・・・。
 「はい、ご苦労様。終わりましたよ。向こうで少し休みましょうね。」
しばらく、ぼくはその言葉の意味を考えてみたが、すぐには理解できなかった。ついさっきまで、鎮静剤を打たれていたはずの左腕に張られた絆創膏をぼんやりと眺めて、ぼくはまた深い眠りについた。


マニュアルな親子

2008年01月10日 | 家・わたくしごと
 インドネシアに行く前の12月からはまっているのが、市販のサッカーゲームである。レバーで人形を操作してゴーーーールをするずっと昔からある超マニュアルなゲームである。私の知る限り、このバージョンには以前、アイスホッケーもあったと思う。
 それにしても、デジタルな遊びがないからなのかもしれないが、なぜわが親子はこんなマニュアルな遊びにはまってしまうのだろうか。「親が子どもにつきあう」、「親が子どもと遊んであげる」などという言葉はこのゲームには当てはまらないのである。はっきりいって、私はこういうゲームに心底夢中になってしまうのだ。
 パソコンのディスプレーで、それが3Dのように擬似三次元を感じられても、正直、こちらのマニュアルなゲームの方がずっと立体的である。しかも、頭も体もむちゃくちゃ動かしているので、なんだか自分がプレーヤーになった気分になれる。ちなみに4チーム総当り戦を2グループ作り、ホーム&アウェーで、現在各グループから上位チームが選出され、現在は決勝リーグの最中である。子どもなんかに負けるものか!わがチームの勝利間違いなし!

バリの新年

2008年01月09日 | バリ
 20年前、バリで始めて新年を迎えたとき思ったことは、あまりにも日常と変化がないことだった。12月30日も31日も、師走、年の瀬なんていう慌しさは何も感じなかった。ただ1月1日が祝日だった、ということしか記憶にない。
 ところが今、新年を迎えるバリは大賑わいである。まず、トロンペットtrompetとよぶ紙でできた音具が屋台で15円から30円程度で売られ、それをブーブーと子ども達が吹きまくるのである。チャルメルのようなすごい音がして、ともかく大騒音である。いったいいつからこんな習慣が始まったのだろう?
 もう一つ、31日の夜はあちこちで喧嘩が勃発する。つまり、アルコールを飲んで、寄った若者たちが暴れるわけだ。これは街でも村でも同じで、私がこの31日を過ごした山村でも喧嘩を仲裁するために、プチャランとよばれる村の自警団が夜遅くまで見回りを続けていた。だいたい20年前は村でアルコールを飲む人の話なんて聞いたこともなかった。
 12月31日の何もかもが20年の間に大きく変わった。いつのまにかこの日はハレの日になってしまっているのだから。今のバリでは、バリ=ヒンドゥー文化にもとづくローカルなハレと、世界中の人々が共有するグローバルなハレが、ところ狭しとカレンダーを埋めている。


バリから謹賀新年

2008年01月05日 | バリ
 明けましておめでとうございます。昨日までバリ中部、北部の山村をまわっていました。北部は雨続きの悪天候が続いています。けっこうな山道で、こんな所、どうやってガムランを運ぶのだろうと思うような場所もたくさんありました。北部の山村のガムランは聞きなれている南部のものとは大きく違います。たくさんの発見がありました。明日から二日間、また村にこもって、日本に戻ります。そしてすぐに授業です。
 今年もよろしくお願いします。