Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

1971年バングラデシュ救済コンサート

2007年12月07日 | CD・DVD・カセット・レコード
 日曜日、ふらりと寄った店で、定価の半額以下で売られているDVDを見つけた。1971年8月にマジソン・スクエア・ガーデンで行われたバングラデシュ救済コンサートのDVDである。しかも中古でなくて新品である。目を疑う。もしかすると廉価版が出るんだろうか?などと思いつつ衝動買いしてしまう。実は、この3枚組レコードは昔持っていたので(10年以上前に売り払った)、音は知っているのだが、映像というのは見たことがなかった。
 家に戻ってすぐにパソコンにセットする。なんだかドキドキしてしまう。なんといっても36年前のジョージ・ハリスンが登場するわけだし、ボブ・デイラン、エリック・クラプトン、レオン・ラッセル・・・もう生唾ものである。もちろん、シタールのラヴィ・シャンカル、サロッドのアリ・アクバル・カーンなどインドのものすごい演奏家も登場する。
 音楽を手軽に映像で見る、聞くというのはさほど古い音楽の受容方法ではない。こうした音楽の受容はプロモーション・ビデオを生み、その後、ヴィジュアル系というミュージシャンを生み出したのだろう。今、売られている新しい映像は、繰り返し見られることが予めわかった上で作成するものだ。バングラデシュ・コンサートもきっと映画か何かに当時は編集されたのだろうが、これは宣伝用のフィルムでもなければ、1971年当時の出演者たちは、こうして35年後に日本人がこの映像を家で見るなんて考えもつかなかっただろう。映像に映るミュージシャンたちは、派手なパフォーマンスもしなければ、過剰な演出もなく、みな自然体である。それにしても、白いスーツを着たジョージ・ハリソンはかっこいい。もう《While My Guitar Gently Weeps》なんて涙ものだ。クラプトンのギターはかっこいいし、ドラムはあのリンゴ・スターである。もうおじさん好みの最高のメンバーなのだ。
 芸術大学の教員になってから、授業のために一生懸命、映像資料や音資料を買うけれど、その大半は授業のためで、ゆっくり音楽を聞くなんて時間はめったにない。DVDを買ってこれほど楽しむなんて正直なところ、ものすごく久しぶりである。学生の頃は一枚のレコードを買うのもある意味、清水の舞台から飛び降りる思いだった。そうして手にいれたからこそ、もう擦り切れるまで聞き続けた。しかし今ではレンタルで簡単に、そして安く音楽を手に入れることができる。何もかもがお手軽になったのだ。便利になったことはいいことだし、現代社会の音楽のあり方を批判しているわけじゃない。でも、私は昔の音楽に夢中になったあの頃を忘れかけている。そこに音楽学を始めた自分がいるんじゃないか?初心に帰らないと、この先ぼくはどこへも進めない。


クリスマスを国民の祝日に!

2007年12月06日 | 家・わたくしごと
 昨晩から、かみさんが玄関を片付けていたのだが、今日、家に帰ってみるとすっかりクリスマス・バージョンの玄関に変わっている。そうだよね。もうクリスマスまで3週間をきったのだし。
 大学生の頃、ひねくれ坊主だった私は、大多数の日本人がクリスマスという異教徒の祭りに踊らされるなんて、わが国が某ハンバーガー店に征服されたように、彼らの帝国主義の罠にはまるようなものだと思っていた。かなりの攘夷思想である。だからクリスマスに沸く周囲とは正反対な行動はとらなかったにしても、とりわけ同調して騒ぐようなこともなかった。
 まともな大人になってから、クリスマスは宗教行事ではなく、要は国民の暗黙の祝日なのだ、ということにやっと気づいた。インドネシアでは、イスラム教、キリスト教、ヒンドゥー教、仏教の重要な日は、信仰する宗教に関わりなく国民の祝日である。バリにいると、祝日なのに、バリ人自身もその祝日がなぜ休みなのかわからなかったりするが、たいていそんな祝日はヒンドゥー教以外の宗教にとって重要な日だったりする。要は、異教徒であれ、ちゃっかり休みを共有するわけだ。もちろん、インドネシアでもクリスマスは国民の祝日である。
 そんな体験をしているうちに、宗教にこだわることが馬鹿馬鹿しくなってきたのだろう。それどころか、なぜ日本国中がこんなに沸き立ち、山下達郎が「きっと君はこない・・・」と歌う《クリスマス・イヴ》が、国民的歌謡になっているにもかかわらず、日本はなぜクリスマス・イヴとクリスマスを国民の祝日にしないのだろうと思うようになってきた。祝日になれば、天皇誕生日から連休が続くし、あと数日働けば、再び正月休みではないか?日本では政教分離のルールに従っているわけだから、まあ、宗教的な祭日としてのクリスマスはないにしても、「贈与感謝の日」(これは、アメリカのサンクス・ギビング・デイとは明らかに趣旨が違うが)とかいう洒落た名前?をつけて、休みにできないものなのかな。

中トロ

2007年12月05日 | 家・わたくしごと
 日曜日、久しぶりに回転寿司に行く。子どもが昼に市立図書館で入江和夫『パパ。お寿司たべたい!――親子で学ぶネタ図鑑』(文藝春秋、2007)を借りてきたことがきっかけになり、トントン拍子に「じゃあ、寿司喰いに行くか」ということになったのである。これが子どもの策略であるとしたならば、まんまと罠にはまったわけだが、子どもはそんなことまで考えなかったらしい。罠に自らはまりたかったのは、結構、親の方なのだ。
 寿司といったら、「回転寿司」というのも結構寂しいが、子ども連れだし、すでに10歳になれば、高価な寿司ネタの名前を熟知しており(それが高価かどうかは知らずに)、カウンターでウニ、車えび、大トロなんていわれたらもう一家の大事件となるため、まずは回転寿司で値段を学ばせるのである。
 皆、それぞれ好きなネタを注文して、さあラストというところで子どもが、なんだか決まり悪そうに小さい声でこういう。
「お父さん、中トロ注文していいかな・・・」
「いいよ。好きなものを頼んでいいんだよ。ただ中トロは一貫だけどいいのかい?」
子どもはうれしそうに首を縦に振る。小さな紙に中トロと書き、サビ貫きに○をする。
「中トロのサビ貫き下さい。」と明るい声で注文して、カウンターのお兄さんに紙を渡す。
「お父さん、人生で初めての中トロを注文したよ!」
そんなことを言われると、両親がこれまで規制をしていたようで、動揺してしまう。
 一貫240円の中トロが運ばれてくる。子どもはそれを前に、さあ、どうして食べよう、という表情だ。しばらく眺めていたと思いきや、一口でパクリと口にいれてニコリとする。
「お父さん、美味しい・・・」といって満面の笑顔。
そりゃ旨いさ。中トロだもの。しかも人生初の自分で注文した中トロだし。やっぱり寿司屋のカウンターに親子で座るのは、危険だな。当分は美味しい回転寿司の店を探す日々を続けるか・・・。


わが家の白犬(白熊)の愚痴語録

2007年12月04日 | 家・わたくしごと
「我輩は白熊である。名前はピース。あんたの知人が「エース」という名の犬を飼っているからといって、僕の名を勝手に「ピース」にしないでくれ。まるでタバコの名前みたいで不愉快だよ。」
「僕に向かってワンワンと言うな。熊なんだからガオガオと言ってくれ。」
「変な服を着せるな。僕は、スーパーマーケットに連れてこられるような貧弱かつ軟弱な小動物じゃないんだ。だいたい白熊が白いのは、雪と氷の色に同化し、カモフラージュしてるんだよ。こんなTシャツを着せられたんじゃ、北極に戻ったら俺の居場所、バレバレだよ。」
「変な帽子をかぶせないでくれ。僕はサンタじゃないんだよ。」
「寝るときに僕に抱きつくのはかんべんしてくれよ。俺は冷たいのが好きなんだ。「ぬくもり」ってのは苦手なんだよ。」
「とにかく、僕は犬じゃない。すごく怖くて、恐ろしくて、凶暴な白熊なんだから、かまわないで遠くで見るだけにして欲しいんだよ。」
 はいはい、わかりました。今度、北極に行く機会があったら、連れていきますから。でも、噂によると向こうも地球温暖化で結構、氷が解けているらしいですぜ。君のことを枕として絶対に使いませんから、それまでわが家の「愛犬」として、存分に立ち振る舞ってくださいませ。


インドの人形劇での出来事

2007年12月03日 | 東京
 子どもの頃、文明堂のカステラのテレビ・コマーシャル(カステラ一番、電話は二番、三時のおやつは文明堂・・・)に登場するネコ(クマ?)の操り人形を見たことがきっかけなのかどうかはわからないが、とにかく私は人形劇が好きである。操り、陰、木偶など人形劇なら何でもOKである。結局、東南アジアの影絵人形芝居を自分の研究テーマにしてしまったが、ヨーロッパにいっても人形劇を見て歩く。チェコの人形劇はものすごいテクニックだったし、オランダでもベルギーでもいくつかの人形劇一座の公演を見た。人形が人間の手にかかると、まるで生き物のように動き出すのがたまらない。そんな私は、南インドの人形劇一座が来日するというのを聞いて、これは沖縄からでも見に行かなくてはならないと東京行きの予定を組んだのである。
 だいたいこういう場所に行くと10人以上の知り合いに会うのが常である。招聘した協会の方、受付の方、ビデオ撮影係、そして観客のうちの何人かは、久しぶりに会う知人や友人である。人形劇を見に来たのに、なんだかその前に何度も挨拶の行事が繰り返される。やっと席について落ち着いたかと思いきや「あのー、沖縄の芸術大学の先生ですよね?」と声をかけてくる若い女性がいる。「えー、そうですけど」と答えると、「私、卒業生で先生の授業を受けたんです。」といわれて驚く。もちろん、大勢の中の一人のわけだから全く記憶がない。「あー、そうですか・・・」と言ったきり、何を言っていいかわからない。適当に挨拶をした後、彼女は自分の席にすぐ戻っていった。まもなく人形劇の開始を告げる激しいカタカリの音楽が始まった・・・。
 一週間たった今、この人形劇のことを思い出そうとすると、その劇の映像とともに、自分の不器用さが蘇る。卒業生に「東京でがんばってますか?」なんて気のきいた言葉の一つでもかけれなかった自分が全くなさけない。たぶん、一生このままなのだろう。この年齢になったら性格なんて変えられないもの・・・。


浅草演芸ホールの前で

2007年12月02日 | 東京
 浅草六区でちょうど演芸ホールの前を通り過ぎたときのこと、なにやら大きな声が聞こえる。
「はい皆さん、ここが有名な浅草演芸ホールです。記念撮影をしますので早く並んでください。道を通る方の邪魔になりますから急いでください。」
 その声につられて、演芸ホールの前に立ち止まる。あっという間に観光客が記念撮影の形に並んでいく。並ばせる方も手馴れたものである。
 そうか、寄席に来たわけじゃなくて写真を撮るだけなんだ・・・と思うと少し寂しい。だいたい現在は改装中でブルーシートがかけられているのに写真撮影か。なんだか「マニュアル通り」に進行する団体旅行だ。演芸場、ようするに寄席は入らないと雰囲気が想像できない。ホールというと西洋的な音楽ホールを想像するが、全く違うのである。歌舞伎座だって、入るとその雰囲気に圧倒される。国立劇場でみる歌舞伎と、歌舞伎座で見る歌舞伎は、私の中では同じ演目でも大違いなのだ。
 私にとって寄席は、浅草よりも池袋である。私の高校時代の池袋演芸場は、今よりずっとレトロで古めかしい雰囲気だったが、そんな会場が大のお気に入りだった。そんなことを思い出しながらふと我にかえって浅草演芸ホールを見てみると、もう団体さんは誰一人見当たらない・・・。


「えー、どうすればいいのよ!」

2007年12月01日 | 家・わたくしごと
 先週の日曜日、かみさんと子どもが一泊旅行に行くというので、家にいる時の格好のまま、二人のカバンを車に運ぶのを手伝った。その私の格好というのが、紺のスウェットとサッカーのユニフォームパンツ(要するに半ズボン)、素足に紺のサンダルというまさに上下アンバランスな異様な「いでたち」。しかもこの日は風が強く、寒い日だったにもかかわらず、どうせ荷物を運ぶぐらいだからと、一旦は躊躇したものの、そのままの格好で手伝いをしたのである。しかしその格好がとんでもない「アダ」になってしまったのだ。
 二人を見送って、さあ、家で今月末締切りの原稿を書くぞ、と意気込んで階段を上って家に入ろうとしたその時、玄関に鍵がかかっていることに気づいたのである。当たり前だが、ドアノブをひねっても引っ張っても扉は開かない。私の後に家を出たかみさんが(たぶん)無意識に鍵を閉めてしまったのだ。
「えー、どうすればいいのよ!」
 携帯も部屋の中である。とりあえず、冷静になって、まずは大家を訪ねることにする。しかし、大家の住む家に行くためには、公道を歩かなくてはならないのだが、私の格好はともかく異様であり、こんな寒い日に半ズボンとサンダルで歩いていれば、異常者に見えるかもしれない。だからといってこのまま、呆然と家の前にいたところで、かみさんは明日の午後まで戻らない。もう恥も外部もないのだ。ワーっと全速力でマンションの敷地から公道を走って、大家の家の呼び鈴を鳴らした。ところが、誰も出ないのである。
「えー、どうすればいいのよ!」
 再びに冷静になって考え、マンションまで走って戻り、顔見知りの隣人の呼び鈴を鳴らすが、出てこない。一軒目不在、二軒目不在、三軒目がいなければ万事休すである。しかし、神仏は私を見捨てたりなんかするはずがない。三軒目は在宅しており、とにかく携帯を借りてかみさんの携帯に電話をする。しかし20回鳴らしても出ないのだ。
「えー、どうすればいいのよ!」
 とにかく三軒目の隣人に、「うちのかみさんに電話何度かして下さい」と頼んで自分の家の空かない玄関にたたずむ。ところが・・・お手洗いに行きたくなったのだ。そういうときに限って「もよおす」のである。
「えー、どうすればいいのよ!」
 またまた冷静になって考える。そうだ、家から歩いて1分の所に位置するAコープに行けばいいんだ!しかし、この格好でスーパーに行くとなると、近所のおばさん、あるいは学生に発見されるかもしれないぞ。でも、もうだめだ、我慢できない・・・。再び全速力で、Aコープに駆け込む。トイレの横のクリーニング屋のおばさんの目つきが妙に気なる。このままトイレに10分もいたら、「変質者がトイレにいる」と警察に通報されそうな雰囲気だ。職務質問なんてまっぴら御免である。
 さて1時間半後、かみさんとなんとか連絡もつき、大家さんも帰ってきて、私の家の鍵は開き、ことなきをえたのだった。今回のことで学んだ教訓、「外に出るときは、いかに短時間でも良識ある齢相応の格好をすべし」、要は「家の扉の鍵をオートロックと思え!」ということなのだろうか。やれやれ・・・。