Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

27年目の・・・

2007年12月08日 | 家・わたくしごと
 12月8日といえば、年配の人にとっては昭和16年の真珠湾攻撃、すなわち太平洋戦争勃発の日であろう。しかし私にとってこの真珠湾攻撃は歴史の教科書の一頁でしかない。知識として記憶した12月8日だからだ。
昭和16年12月8日よりも、私にとってずっと現実味をもった12月8日、それは昭和55年12月8日(月)である。この日、ぼくは吉祥寺の中古レコード屋で事件を知った。なぜ高校3年の私が月曜日に吉祥寺にいたのか全く記憶にないのだが、ぼくはその出来事を店主が店番の若い男性に話したとき、ちょうどジョン・レノンのレコードを手にとって見ていたのだ。だからその話の内容を耳にした瞬間、まるで体全体が瞬時に凍りついてしまったかのように、次の行動への第一歩が踏み出せなくなってしまったことを、それが今から数時間前に起きた事件のごとく鮮明を蘇らせることができるのだ。
「ジョン・レノンが撃たれて死んだらしいよ。」と確かに店主は、若い男に話した。
「うそでしょう。間違いでしょう?」と若い男は繰り返し、年配の店主に聞き返した。きっと信じたくなかったのだ。このジョン・レノン射殺事件、それが昭和55年12月8日なのである・・・。
 去年、さいたま新都心にあるジョン・レノン・ミュージアムに9歳になった息子と二人で出かけた。息子にはジョン・レノンがどんなミュージシャンだったか、そしてどんな活動をしたのかを知ってもらいたかった。彼はミュージアムにいる間、黙って私の話を聞いたし、その中に流れていた音楽に静かに耳をすました。帰りに私はミュージアムショップでキーホルダーを買って、すぐに息子が背負っていた小さなバッグにつけた。彼はそれを見て嬉しそうに何度も手で触っては、「ずっしり重いね」と言って喜んだ。
 ミュージアムに行ってからしばらくしてからだろうか、息子は家でジョン・レノンのCDを聞いたことがないのに、テレビや街からジョン・レノンの有名な曲が流れるたび、「これはジョン・レノンの曲だ」と独り言のようにポツリと言うようになった。あのミュージアムの記憶が、音になって焼きついているのかもしれない。もうジョン・レノンがこの世になくとも、その音楽だけはこうして世代間に受け継がれていく。