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もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

対面販売

2009年07月06日 | 家・わたくしごと
 最近はコンビニやスーパーで買い物をするから、体面販売で買い物をする機会が以前にくらべると本当に減った。子どもの頃は、母に頼まれて家から数分のところにあった八百屋(といってもほとんどよろず屋だったけれど)や肉屋に買い物に行って、母が小さな紙にいつもきれいな字で書いてくれた品物を店員の前で読み上げた。
 「おばさん、合い挽き300グラムください。」とか「おじさん、パンとピーマンをください」というと、顔見知りの店員は笑顔で品物を包んでくれた。そこには店員と買物客、つまり売る側、買う側(売る側からみると「買ってくれる側」)といった関係を超えたような「信頼関係」が構築されていた。だから「~ください。」という丁寧な表現を使ったのか、そんなことよりも年上の店員に対する礼儀だったのか?
 自分は今、店頭販売で目の前にある「これ」を買おうと決めたとき、それを指差して、あるいは手にとって相手に何というだろうと考えてみる。「~ください」、「~ちょうだい」、「~くれる?」、「~いただきます」、「~にしましょうね(沖縄バージョン)」などなど。時には「これ」というだけで買い物は可能である。こうして書かれた表現で並べられると、やはり子どもの時に使っていた「~ください」がしっくりくるのだが、高倉健風に「これくれる?」なんて低音で言ってみるのもいいかもしれない。しかし、自分がその場でどの言葉を用いているのか、正直なところ記憶にないものだ。
 たぶん、その雰囲気、相手の年齢、それまでかわした店員との会話などすべての要素を加味して、店員と買物客の執着地点がこの複数の言葉のどれかになるのだろう。そう考えてみると日本語というのは本当に面白いと思う。コミュニケーションがなくなっていけば、言葉も失われる。私が文字にしたいくつかも表現なんて、書いてしまえば味も素っ気もない。だいたい「これくれる?」なんて、これが年下の買物客の言葉として書かれると「失礼な客」のように見えてしまったりするからだ。この文字の向こうに見えるものを理解するためには、やっぱり相互コミュニケーションや、ほんのわずかな時間で築かれる人間関係、そして声のトーンや語り口なんだとつくづく考える。


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