Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

脚本

2009年06月06日 | 家・わたくしごと
 自分で作った来週のワヤンの上演脚本がどうしても気に入らなくて、ずっと手直しを続けてきました。というのも時間の関係で、話の半分までしか上演しないために、勧善懲悪では終わらない。はっきり言えば、桃太郎が鬼退治に行く前に物語は「めでたし・めでたし」とならなくてはいけないわけで、それに頭を悩ましているわけです。
 バリの先生は、「バリだって儀礼のワヤンは途中で終わる」と言って私の悩みを聞き流すだけですが、結局のところ、上演する自分が落ち着かない。そうはいっても舞台まではあと1週間なので、どこかで割り切らなくてはならないのです。
 そして、これに輪をかけたように困っているのが、主人公のスタソマが決して戦わない反戦論者であること。相手の挑発に「それなら俺が相手になってやろうじゃあねえかい!」なんて勇ましい言葉一つもいえないのです。「私を殺したかったら、どうぞ」なんてワヤンでは様になりません。しかし、そんなことを言っていては先にはぜんぜん進めないのです。 
 今もバリのお土産さんで偶然見つけた安物のカマサン画に描かれたスタソマ物語を見つめています。日本人である私は、「バリ伝統」に縛られるだけではなくて、もう少しクリエイティブにならなくてはいけないのでしょう。これまでずっとバリのいわゆる伝統的な上演を続けてきて、今、私の中ではその先にある創作へと手を伸ばすことに抵抗はないのですが、私のワヤンを見てくださる観客はまだバリのワヤンそのものを何も知らないわけで、最初からバリでは用いられない突拍子もない小道具や物語の展開を通して「バリ文化」を感じてもらうのはどうなんだろう?と考えてしまうことが多いのです。でも、そうした「新しさ」を含めて、「それもバリ」なのかもしれませんね。今のバリの方が私のワヤンよりもずっと革新的ですから。それに私は日本におけるバリ伝統文化の啓蒙者ではないわけだし。そんなことを考えながら、まだ絵をずっと眺め続けています。今日の午前中もこうして過ぎていくんでしょう・・・。でもそんな時間を過ごせるなんて素敵なことだと思います。


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