Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

父の日

2007年06月17日 | 家・わたくしごと
 昨日の夜、子どもから金沢にいる私の携帯に電話があった。
「お父さん、一応明日だけどさ、父の日、おめでとう」
 父の日はおめでたいものなのかどうかはわからないが、とりあえず子どもが父の日を認識していたことで満足する。
 考えてみれば自分の父にはまだ何もしていない。もう夜10時を過ぎてしまっているため、今電話をしても、早寝早起きの父は寝ているはずである。もし私のこのブログを見るとしてもそれはきっと明日の早朝である。
「お父さん、一応、昨日だけどさ、父の日、おめでとう」
 きっと私の父も考えるはずである。父の日はおめでたいものだろうかと・・・。

『ステッセルのピアノ』

2007年06月17日 | 
 買ったまま、一頁も読んでいなかった五木寛之『ステッセルのピアノ』(文春文庫)を金沢に行くときに持っていった。行く直前に、このピアノが金沢と関わっていたことを思い出したからだ。地方に仕事に行くときは数冊本を持っていくのが普通だが、できるだけその地方と関わる作家や内容のものを持っていくことにしている。だから『ステッセルのピアノ』はうってつけだった。
 行きの飛行機の中から読み始めて3日間で読み終えた。やはり金沢にいるとつい引き込まれてしまうような内容である。結局、昨晩はホテルに戻ってから夜中まで読んだ。司馬遼太郎の『坂の上の雲』は中学生の時に読んだが、正直、幕末物ほど印象に残っておらず、日露戦争当時のロシア将軍ステッセルのこともうる覚えであった。民族音楽学者でありながら、未だに文部省唱歌《水師営の会見》の旋律すら知らない・・・。
 何よりも驚いたのは、金沢に司令部のあった陸軍第九師団が、旅順における203高地の戦闘や奉天での戦闘で大きな役割を担い、甚大な被害を蒙ったことだった。金沢は加賀前田家の城下町で、金沢城、兼六園、江戸情緒の残る町並みなど「小京都」のイメージが強いし、旅行者もそうした光景を期待する。しかし「ステッセルのピアノ」は、明治時代に乃木稀助がその功績に対して金沢の第九師団におくったものだ。
 この本のおかげで金沢の町を歩きながら、私のこの町を見る目が少しだけ変わった。さもすれば、観光ガイドに描かれる金沢は、江戸の城下町の趣と現代日本の地方都市が同居している町として漠然と私の脳裏にインプットされるだけだったかもしれない。しかし考えてみれば、江戸と現代の間には何百年という歳月が存在しているのだ。金沢でそんなあたりまえなことに気づかされる。