Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

GINGHAM Check

2014年07月11日 | CD・DVD・カセット・レコード
 JKT48のシングル第5弾「GINGHAM Check」が発売。ちゃんと情報を押さえていたのだが、忙しくて数日、アマゾンをチェックできずに、「そうだ、買わなくちゃ!」とチェックしたところ……なんとインドネシア全土で限定1万枚DVD付きのCDが売り切れてるじゃないか!ファン恐ろし。でもショック、ショック。もうどうしていいかわからず、悲しみに暮れる中、仕方がないのでチープな紙ジャケのCDを購入したのであった。
 すべては私が悪い。忙しくたって、若いころはそんな重要なことを忘れるなんてことはありえなかった。それだけ物欲がなくなったのが、それとも忘れっぽくなったのかは悩ましいところだが(たぶん両方)、とにかく一度逃したら日本で手に入れるのは難しい。インドネシアに行くしかない。それもできるだけ早くである。こうなったら「どこでもドアしかない!」
 ところが、ところが…捨てる神あれば拾う神ありなのであった。なんとインドネシア旅行から帰ってきた友人のご夫婦が、「持ってるかもしれないけど、おみやげ~」とGINGAM CheckのCDをくださったのである。しかも、なんと限定、DVD付き。なんてタイミングだろう。ということで、記念に二枚ともパチリ。何はともかくそんな理由から、今、最高に幸せなのである。

ぴんからトリオ《沖縄のひと》

2014年06月03日 | CD・DVD・カセット・レコード
 先週の日曜日、国分寺の実家の傍のリサイクル屋にぶらりと寄ってみたら、沖縄に住んでいる頃ちょっと気になっていた、ぴんからトリオ《沖縄のひと》のシングルレコードを見つけた。もう沖縄を離れて2年以上経つのだが、やはり「沖縄もの」は気になってしかたがない。ということで50円を払ってこのレコードを買ったのだった。実はこれ、ぴんからトリオのデビュー盤である。A面の《女のみち》は当時大ヒットで、B面の《沖縄のひと》なんて全く注目されなかった。いうなれば、何か収録しなくちゃならないから録音した一曲なんだろう。
 しかし私にとって重要なのは、このレコードが1972年5月に発売されているということなのだ。この年月は、沖縄の歴史にとって重要である。1972年5月15日、沖縄は本土に復帰して「沖縄県」になった日だからだ。ちなみにこのレコードの発売は1972年5月10日なので、復帰5日前ということになる。明らかに沖縄の本土復帰を意識したB面の収録曲だったわけだ。
 さてそんな薀蓄はいいとして、この曲、ちょっとは沖縄風な響きやアレンジがしてあることを期待したのだが、残念ながら、代わり映えしないオケの伴奏と、演歌にありがちなサビで演奏されるアルトサックスが四七抜き短音階を奏でる「ベタな演歌」だった。それに歌詞も、とある「店」で働く女性が「あの人」を待ち続ける「色恋もの」の典型である。
 しかし、その歌詞には、曲名からして当然とはいえ、沖縄が登場するのである。沖縄遠く離れて逢えない「あの人」一人を心にとどめて、せつない那覇の夜を送る女性。国際通りにある店のカウンターでほろりと涙を流すと、それがグラスに落ちるせつなさ、そして最後には、そんなつらさに耐えかねて、いっそ捨てて欲しいと未練たっぷりに独白する。そんな色恋が沖縄の灯の中にぼんやり映るような「ド演歌」の歌詞。それにしても演歌に那覇、国際通り、沖縄が登場したのは、これが最初じゃないだろうか?とにかく、演歌に沖縄が登場したことで、なんだか沖縄も日本の演歌における市民権を獲得したような気がするのであった。しかし、その後、再び、演歌の中に沖縄が登場したかどうかは定かではない。
 ところでこのジャケットだが、ぴんからトリオの前にグラスを持ってすわる背広男の2名はいったい誰なんだろうか?ある知人は、「キャバレーまわりをしているぴんからトリオと、そこで飲んでいるおやじの記念写真じゃない?」と言って私を笑わせたが、それにしても不可解なジャケットである。
 赤いスーツを着て一番左に並んだ宮史郎が亡くなったのは2年前の2012年。今はもう兄弟3名はすべてこの世にはいない。

BLIND FILM ~Yirma 第8集

2013年12月15日 | CD・DVD・カセット・レコード
 大好きな韓国人作曲家兼ピアニスト、イルマの第8集がこの秋に出て、一昨日手元に届きました。今回は黒のCDジャケット、中の頁もすべて黒が基調のモノクロです。どの曲も僕を裏切りません!毎回、毎回、作品は内にこもっていくような響きや音色になっていくようです。どうしてこれほど自分にぴったりな曲があるんだろうと思うほどです。
 イルマを聞いたある人が「冬ソナ」の音楽に似ているといいました。当たり前ですね。「冬ソナ」の曲も何曲か提供していますから。今のイルマはあのときほどメロディックな曲ばかりではないけれど、それでも「甘ったるい癒し系」と表現されても文句は言いません。ここまで好きだと第三者の「語り」「批評」なんてもうどうでもいいんですよ。完全に「愛は盲目」です。
 寒さに震えて、少々風邪気味なのですが、今の私にはイルマの音楽が一番の薬です。この音楽を聴きながら目をつむって、しばし遠い世界の美しい夢を思い描きます。僕の夢はモノクロではなく、たくさんの彩色が施されていますけれど。

昭和ですかね?

2013年11月28日 | CD・DVD・カセット・レコード
 最近、学生に何か映像を見せたり、音楽を聞かせたりすると「昭和ですね」と言われる。確かに「昭和」の映像であり、音楽なのだが、それでは「平成」の映像や音楽との違いはいったいどこにあるんだろう。ちなみに私が紹介した映像は、昭和50年代、60年代のもので、昭和初期なんかじゃないのだ。私が生まれ育った「昭和」の後半は今の世代から見るともう歴史の一コマである。パンタロン・ジーンズと長髪なんてもう映画の世界に存在しているだけだし、聖子ちゃんカットなんて、もうはやらない。確かにそんな「流行」は目に見えてわかることだけど、音楽は具体的にどんな表現をすればいいのだろう?
 もちろん電子楽器、コンピューター、そんな分野は飛躍的に進歩した。今じゃあパソコンで歌も音楽もつくれちゃう時代だもの。でもやっぱり人が歌を歌って、ギターやベースやキーボード、ドラムがあって演奏するスタイルは変わらない。そういう点じゃ、昭和後半も平成もかわりゃしない。ぼくの子供のころからバンドに夢中になる少年・少女たちはいたし、今だってハイウエー・スターを練習してるじゃないか?
 昭和とか平成とか、ぼくはそんな言い方で線引きするのは好きじゃない。そんなの植民地宗主国の都合によってアフリカにひかれた国境みたいで気持ちが悪い。国境を越えたって同じ言語を共有し、同じ音楽を楽しむ民族が住んでるんだからね。ぼくは「昭和」が強調されるたびに、自分の時代が過去の産物みたいに語られる気がしてなんとなく居心地が悪い。だから文化現象として、ちゃんと実証的に語ってもらたいわけだ。単に「昭和」「平成」で線引きするんじゃなくてさ。
 冬になったな、何か「冬」に浸れる音楽はないかしらとCDケースを見てみたら、松任谷由実の季節ごとに分類された編集物のCDを発見。いつ買ったか記憶にない。だいたい沖縄じゃ「冬」なんて季節のCDは聞かないものね。久しぶりに聞いてみた。いわゆる「昭和」な音楽なわけだが、さて何が「昭和」なのか?一つ思い出したのが、このCDに入っている何曲かが使われていた映画「わたしをスキーに連れてって」。確かにあの映画、昭和だったな、と苦笑い。だって今、あの時代ほど「スキー」って元気じゃないものね。そういう私、昭和から平成の境を、かぐら・みつまたスキー場で迎えたんだよ…。だから不謹慎にも平成の初日は一日スキーしてた(でもスキー場に到着してたんだからどうしようもなかった)。昭和と平成の敷居を、ぼくはスキーに乗ってあっという間に滑走しちゃったから、いまだにその違いがわからないのかもね。あの日、スキー場はユーミンの音楽どころか、音楽もなく静寂に包まれていたけれど……。
 

グールドのトッカータ

2013年06月13日 | CD・DVD・カセット・レコード

 先週の日曜日、久しぶりに新宿のディスクユニオンのクラシック館でCD4枚の大人買いをしました。まあ全部中古だから新譜1枚分より安かったけれど、それでも4枚というのは「裕福な買い方」だと、若い頃はレジにならんだ隣のオジサンをみて思ったものでした。それがまさか自分になるとはね。
 買った中にはグールドのトッカータのCD2枚組があります。かつてレコードで持っていたのですが、CDではなぜか買わずじまいでここまで来てしまった一品。高校から大学にかけて聴き続けた演奏でした。あれからグールドのトッカータの記憶がぱったり途切れたまま、30年が過ぎたってわけ。
 日曜日に夜遅く東京から戻って部屋で聞きました。今、こうして聞いてみるととても新鮮に感じるものです。でもヤバイですね。もう完全にヤバイです。好きだったハ短調(BWV911)なんて、もう今の私の心にグサグサ刺さるようなそんな演奏。30年前のあの頃も、自分の進路や生き方にさんざん悩んで、グールドの神経質な、なんだかこちらが息を止めてしまうようなストイックな演奏から何から得たり、立ち止まったりして自分の立ち位置を確認して、でも一歩一歩確実に前に進んでいたんだと思います。(結局のところベタな音楽愛好家なんですよ。)
 今は浜松での「静かなる傍観の一年」が終わり、再始動を始めながら、始めての経験にとまどって、毎日、毎日立ち止まって周りをしっかり見据えてがんばらなくちゃいけない時。やっぱりこのCDに手がいってしまったんですね。無意識です。買う予定なかったんだもの。でも30年の空白があって、突如、私の前に姿を現したグールドのトッカータは、かつて自分が悩んで悩んで選択した生き方が間違っていなかったことを私に気づかせてくれるような演奏です。あの頃、大きな夢を抱いて歩き出した少年は、30年たっても同じ夢を見続けて生きいるのですものね(進歩ねえー)。さあ、今日もがんばって仕事に行くぜ!


日本の恋とユーミンと

2012年12月23日 | CD・DVD・カセット・レコード
 このCDのコピーを考えたライター、すごいと思いました。「日本の恋」ね。まあ、日本っての大げさかもしれないけれど、ある特定の世代(結構、幅はあると思いますが)にとってユーミンはきっと生活の一部だっただろうし、そんな生活の中で成就したり、しなかったりした「恋」もきっとたくさんあったんだろうし。日本人の喜怒哀楽の中できっとユーミンも聞かれていたのでしょうね。
 CD全三枚、やっと全部聞きました。正直、疲れました。何に疲れたかって、そんな音楽を聴いていた時代を振り返るのにぐったりしたとでも言いましょうか…。特大の大盛りのカツ丼を食べた感じですね。特に野菜炒めがカツの上に山盛りにのっている沖縄の食堂で出るようなやつです。
 そうそう、1週間前くらいに書いた《12月の雨》、DISC1の15曲目に収録されていました。その次の曲が《HAPPY NEW YEAR》だもの。この時期に聞くには憎い演出だわ。それにしてもベスト盤に収録されている曲がまったく年代順ではないというのは面白い。それに対応して、自分の過去を思い出すときも、三歩歩いて、二歩下がるみたいな、行きつ戻りつで忙しいから、それはそれで楽しいかも…。

ジャズっぽいんだけどね

2012年11月23日 | CD・DVD・カセット・レコード
 日曜日、渋谷のタワレコで購入したニコライ・カプスーチンの自作自演のCD。8つの演奏会用エチュードは最近、日本のピアニストにもけっこう演奏されるようになった作品。日本ではこの6,7年で有名になった気がします。ジャズっぽく、でもお行儀のよいクラシックの響きもあって、これ、ジャズ好きの人には物足りないし、でもクラシックマニアには中途半端に聞こえるかも?かつてFMで聞いたことがあって、私には違和感なく受け入れられました。ジャズとクラシックの中和感みたいのがいい。でも、やっぱりこれ、クラシック音楽ね。
 それにしても、この作曲家、1937年ロシア生まれで、よくもまあ、ここまでジャズ的手法を習得したものだと思います。しかもピアニストとしてもかなりのレベル。冷戦時代、社会主義のソビエト時代にいったいどうやって、「敵国」であるアメリカを象徴するようなジャズを学んだのだろう?(ネットには西側のラジオを聞いて採譜したとありました)
 この作品、ガーシュインとはぜんぜん違って聞こえます。やっぱりモスクワ音楽院でバリバリにクラッシックを学んだ背景があって、彼の作品があるんでしょうね。カプスーチンが流行り出した頃、なんだかそういう音楽に飛びつくのはミーハーなような気がして無視しましたが、やっぱり一時の流行で終わらず今なおさまざまなCDが発売されるのもわかるような気がします。
 

 

眠りのピアノ

2012年11月13日 | CD・DVD・カセット・レコード
 ピアノの音楽が大好きです。先月末だったか、久しぶりに渋谷のタワレコに行った時、買ったCDが川上ミネのピアノ。作品はすべてピアニストの作品。
 いわゆるヒーリング系なのですが、自分にぴったりな作品を探すのは本当に難しいのです。旋律の進行や和音の使い方が気に入らないとイライラして、ぜんぜん「癒し」になんてならないから。正直、私と相性が会うピアノ作品を作るピアニストは、YIRMA、村松健、ビル・エヴァンスくらいでした。ところが先月、川上ミネがついに四人目に加わったのです。
 頭のてっぺんから足の先まで、ピアノの音が染み入る感覚。今、この音楽がないと生活できなくなっています。寝る時も小さな音で流します。美しい夢を見るような気がします。眠りながらやさしく微笑んでいるような気がします……。

シングルCD

2012年08月06日 | CD・DVD・カセット・レコード
 最近、発売されて間もないシングルCDを買いました。とはいえ本来はそうしたかったわけではなく、TSUTAYAで借りてからウォークマンに録音してすぐに返したかったのですが、私の住む浜松駅周辺の歩いていける範囲には、TSUTAYAどころか、レンタルCD屋がみあたらないのです。浜松市周辺の人はいったいどうしているのだろうと思ってしまうのですが、車社会なので、きっと郊外には大きなお店があるんしょうね。聞きたい曲1,2曲に1000円以上を払うのは、ちょっと高いなと思ってしまいます。でもまあ、聞きたいのだから背に腹は代えられず。買ったCDはMISIAでした。
 ここ何年も、Jポップの新譜CDを購入した記憶がないのです。沖縄にいた頃はいつもTSUTAYAオンリー。別に悪いことをしているわけではないのですが、「ウォークマンに入れて持ち歩く」のが私にとってのJポップになっていたことは否定できませんし、移動の途中で、なんとなく旋律を聞き、断片的に歌詞を楽しむだけの音楽であったこともまた否定できません。ところが買ったCDを家で聞くようになってから、音楽の聴き方を再発見したのです。当たり前のようで、やらなくなってしまったこと、つまり歌詞カードを見ながら音楽を聴くということ。「文字を見る」という聴き方があったこと、確かに昔はシングルレコードのジャケットの裏の歌詞を繰り返し読み、ターンテーブルのレコードに針を落としていたことを思い出しました。それがいつの間に「見る」ことを忘れてしまっていたのです。もしかすると、今の若者は、カラオケのディスプレーに映し出される「歌詞を見て、歌う」ということで、歌詞カードを見るという行為が、形を変えて継承されているのかもしれません。
 音楽は時間芸術だから、聞き逃した歌詞や、ちょっと考えさせられる歌詞は、時間とともに行き過ぎてしまうものです。でも歌詞カードは目で瞬時に過去の時間へ戻ることができる!正直、CDシングルを買ってみてそんな再発見ができたことにちょっぴり満足です。ところで、シングルCDには、私の聞きたかった曲のピアノヴァージョンも収録されていました。販売戦略に脱帽。聞いてみると、ピアノヴァージョンの方がずっと素敵。これは今後発売されるアルバムには収録されないんでしょうね。

The Newport Folk Festival 1963

2011年11月13日 | CD・DVD・カセット・レコード
 今週は土日も大学院入試で出勤である。正直、ゆっくり音楽を聴く時間なんてない。東京にいると電車の中でウォークマンを聞くが、沖縄では家と仕事場の移動時間が短く、ウォークマンを必要としないのである。だいたい仕事の合間に「うー、疲れたー」と10分休憩の間に音楽をかけるのが、このところの音楽との接し方である。
 先週、長いこと探していたNewport Folk Festival 1963, The Evening Concertsの廃盤CD(日本盤)を入手した。2枚組だし、ゆっくり聞く時間はないのだが、とにかく何か聞きたいという欲求にかられ、仕事の合間に、コンサート最後の《The Land is Your Land》を聞いた。バンジョーをつまびきながら「ウディは今、病院だけど、彼の心はここにいるよ」と言って歌い始めるピート・シーガー。なんだかそれを聞いただけで目頭が熱くなって、もう歌い始めたら完全にアウト。やっぱり僕は疲れているんでしょう。でも、ウディ・ガスリーのこの曲はアメリカン・フォークの名曲中の名曲である。