どんでん返しの卑弥呼の墓・邪馬台国ーー10・1倭女王卑弥呼発見なるを変更しました。

卑弥呼の墓の新発見、王都の位置、本名および魏志倭人伝の解明について書きつけます。

曾尸茂梨

2011年07月25日 06時16分16秒 | 海(わた)
曾尸茂梨

はじめに、神代紀の概略をあげます。
日本書紀の神代上巻は、素盞嗚尊は高天之原から出雲の国の、簸の川のほとりに降りている。
一書(第一)高天之原から出雲の国の、簸の川のほとりに降りている。
一書(第二)高天之原から安芸の江の川のほとりに降りている。
一書(第三) 素戔鳴烏が大蛇を斬った地は、簸の川の上流である。
一書(第四)
 天井の素盞嗚尊の行いは傍若無人。 そこで、神々が、千座の置戸の罪を科せられて天井から追放された。この時、素盞嗚尊は、その子五十猛神をひきいて、新羅の国に降られて、曽尸茂梨(ソシモリ)の所においでになった。 そこで不服の言葉をいわれて「この地には私は居たくないのだ」と。 ついに土で舟を造り、それに乗って東の方に渡り、出雲の国の簸の川の上流にある、鳥上の山についた。そして、大蛇退治をした。五十猛は、韓国からの種を筑紫からはじめて、植樹した。
一書(第五)
素盞嗚尊が言われるのに、「韓郷の島には金銀がある。もしわが子の治める国に、舟がなかったらよくないだろう」と。そこで、鬢を抜いて杉、胸毛から檜、尻毛から槙、眉毛を樟となした。

現在、曽尸茂梨は、さまざまな説があり、決め手がない状態ですが、韓国と関係する説が多くみられます。

蘇尸麻利
日本の宮中に蘇尸麻利という神楽あり、雨乞いの神事を旨としている。
スサノオを偲んで、後裔が作ったのでしょう。それとも、神楽の創始者・安曇磯良が、作ったかもしれません。
須佐之男が、シマ馬のゼブラ模様、あるいは、囚人服模様を着ると、必ず雨が降るという内容であったと記憶しています。
牛のつく漢字などは、みなスサノオではないか。
蝸牛、海牛、石牛、大人(うし)、雨師、・・・特に海牛を「あめふらし」という。

蘇は、蘇りの義で、冬眠から覚めた熊のように、蘇るのでしょう。尸は死んだ人の屍(しかばね)ですが、魄(肉体)は朽ちても、魂(精神)が蘇る意味です。

茂梨は、麻利となり、丸や円の意味です。ずーと後に手毬や「けまり」、船の号に丸をつける。この意味です。
須佐之男は、蘇佐之男、つまり蘇(よみがえり)表記あり。

曾尸茂梨
曾の原義は、積み重ねや系類を表し、尸は連ねる。もまた、先祖の尸(なきがら)を襲(かさ)ねる義です。代々、後継か先祖を祀って来たのでしょう。
継続して、スサノオの先祖「蚩尤」や「燭龍:祝融」をも継承してきたのでしょう。
証拠は、変形鏡の金石文に燭龍が刻まれていました。

スサノオは、半島の新羅へ往き、この地(曾尸茂梨)には居たくないという。
帰路は、土船あるいは樟木、楠の船で、萩市須佐町(伝承あり)から出雲へ行った。(髭が杉、胸毛が檜、尻尾が槇、眉毛から樟が生まれ、後裔のために舟をつくる。この部分だけ、盤古神話の一部に似る)

そして、スサノオと五十猛尊は、全国に木を植えながら、筑紫神社、香春町、添田町の岩石山(曾褒里神)、添田神社、和歌山市伊太祁曾神社などの由来を残した。
とくに、前原市の八龍の森の八つの名前を持つ神が重要です。葉木國野尊など。のちの八幡神へつながるからです。

大地の毛は、木の意味で、植樹に因って、産鉄で坊主頭の丸山が、回復されてゆく姿がよくわかります。

スサノオは、宋史記載、神代紀の17代目で、既に日本の天王になり、養子の大巳貴がさらに国造りをした。そして、高木神が、大巳貴に対し、天孫に国を譲れと言われ、国を天孫に譲り、大巳貴は冥界の神事をしましょうという。

スサノオの名義は、地球です。その相似が、円山:半円であり、「まり」であり、土饅頭です。甲山や舟の丸もスサノオ起原でしょう。
アンポンタンとは、茅の輪:陽の野馬(かげろう)を地球が潜(くぐ)った義です。土神は地神を示す。或いは、土の御祖神でしょう。

では、なぜ、この地には、居たくないというのでしょう。・・・これが課題です。
スサノオの先祖は、檀君神話に描かれている通り、殷滅の前1027年頃、箕氏に国を譲りました。もはや、韓国では、スサノオの先祖の子孫達が箕氏を守っているからではないか。
よって、スサノオには、韓国でやるべき仕事が無いのでしょう。なぜならば、須佐之男は、前300年頃の人物だからです。

したがって、スサノオは、島根県出雲に来て、オロチ退治を成し遂げ、河伯の悪習・悪神を退け、旧態日本(やまと)を制圧し、河伯や猿田彦を従えました。
従えるとは、征服すると、集団が膨れて行く。これ、騎馬族:龍族の特徴です。

宋史では、神代において、18代スサノオ天王に就いたと明記されています。
19代が天照大神、20代天忍穂耳、21代火の二二ギ、22代火々出見、23代ウガヤフキアエズ、ここまでが神代紀です。次に、人皇の初代の神武天皇です。

20代は、英彦山に祀られています。
風土記にいう、むかし新羅の神、田川の河原に住んだ。田川は太川で、天照大神の太子(川)すなわち、彦山川です。
添田町の岩石山は、最初の神が、曾褒里の神。これは、須佐之男として、蘇ったのでしょう。実際は、後裔が偉大な須佐之男を担いでいます。

結論
韓国の曾尸茂梨は、スサノオの先祖の土地の義でしょう。ゆえ、居たくない。
特定の山をあげれば、檀君は、帯方郡の阿斯達(九月山)に隠れたとみます。

なお、スサノオの名義の基本は、地神ですが、海も含みます。また、青海原(太気圏)も含み、水の蒸発、雲、雨の循還を指します。天上の下の意味です。総じて水の精(熊)でもあります。

ところが、「燭龍:祝融」は、火の神で、矛盾すると考える人があるでしょう。
しかし、火の神は、阿蘇山の神仙池が鏡となって反射する光を指します。これが大気の雲や火山の蒸気に映るから、水と火の混合で、のち、仏像の後背の火焔につながり、火に染まる水煙でもあります。水気は、矛盾しないのです。

神武の長男の神八井耳尊は、天皇の代わりに、地神(つちがみ)スサノオの子孫・建磐龍尊を祀っています。(阿蘇神社)

天祀り、地祀り、総称して、神祀りです。この祀りが重要です。
天皇でさえ、祀り方を間違うと、祟られたからです。また、難波八十島の八十神、この悪神もまつります。
先祖祀りは、この上なく、厳しいものでした。