干潟
兵庫県の小谷英光さんの写真「干潟」を再度拝借します。
出典:コダック「Phto Capusule」 NO96
(3月15日倭奴国各論22で写真を入れていますが、再度、記事を合わせて見て下さい。事件茶飯事はあっても、連中の原典のように思えて来ます)
百済の徹底
音は、平仮名の1音を漢字で当てれば宜しい。仇陀羅(クダラ)。
きょうは、百済の字義を徹底します。
まず、貊(バク)という漢字。
A鴨緑江下流の小水貊は、貊耳という弓を産する所です。國名は句驪です。
B江原道に貊国があります。いまの春川は、もと貊国で牛頭州ともいう。
次に、貊(バク)の豸[シ、ジ]を外すと、百または伯となります。
1 百の1漢音ハク、呉音ヒャク。数字、百は伯字につくる。
2 百の2漢音バク、呉音ミャク。励む、(はげ)む。・・・(バクトラ)
3 伯の1漢音ハク、呉音ヒャク。おさ、かしら、馬の神(馬祖)
4 伯の2漢音バク、呉音ミャク。お金の佰銭。・・・(バクトラ)
5 伯の3漢音ハ、呉音へ。 覇者、旗頭。
6 貊の1漢バク、呉ミャク。えびす。戎。・・・(バクトラ)
7 貊の2漢バツ、呉メチ。はちまき。
これで、はじめから、バ音を外して居る事が判明します。
では、どうしてはずすのか。
いま、百を翕に代えて、翕陀羅とすれば、
翕は、漢音でキュウタラ、呉音でコウタラとなります。
8 翕の字、漢音キュウ、呉音コウ。(鳥が羽を合わせ飛び立つ義)
(翕族は、バクトラ(バクトリア)が本貫です)
9 九の漢字は、漢音キュウ、呉音クなので、
バを外しても、九が残る。翕族は、消せません。味噌でした。
九のもともとの義は、小でした。曾於[そお]の小(お)でした。
(彼らは、味噌も糞も同じには、決してしません)
貊国[現在の春川]
貊国は、漢水の東北にあり。注して、今の扶余國は、即ち(濊貊)の故地なり。(山海経海内西経)
漢水は、現在の韓国の漢江(ハンガン)です。
問題は、今の扶余國。・・・東北は、鏡の方位で西北となります。
方位を代えて、90度左回転方位でも、東北は、西北で、同じです。
結論、夫余ではなく扶余國は、もと帯方故地の、崎離営、開城、金川、瑞興でした。以下は、3時点の経緯です。
539年、突然、三国百済(ぺクジュ)が、南扶余國に変更されます。
9年、馬韓(韓氏)は、滅んだ。この後は、韓を都慕大王が支配している。(7月1日ブログ、都慕大王(11まとめ)を参照のこと)
さらに遡ると、帯方は、前75年以前、本(もと)、楽浪郡でした。(都慕大王で検証済み)
濊貊の濊
濊の音は、漢音カイ、呉音ワイ。穢(ワイ、エ)、蝦夷(カイ)です。(穢音の訂正9・9)
孝謙天皇(女)が、和気穢痲呂(きたなまろ)という。(続日本紀)
男の観点では繕うのに、女の観点ではもろに暴露するという面白さ。
七海は、おかしいの、なんの・・[七海の腹は太鼓のように出ていません]
悲喜こもごもの中に、天皇といえども、人としての心境が伺えて、ホッとしています。
広くは、天皇も穢という族でした。そして遠い先祖は月氏でした。
よくやるワイ[倭夷]。
不彌國
魏志の不彌國(文國)は、糸島の芥屋(けや)です。(文:あや)
芥(あくた)は、大気中の微小なゴミです。
仲哀紀の塵輪[ジンリン]は、入道雲の直下で、どす黒い雲:積乱雲ですが、遠目に見れば、白い雲です。(芥:塵)
穢いに包含された空・・・たかが、ゴミと思うなかれ。
ある時は、芥の屋根(空:快晴)、
ある時は、塵(ちり)の輪(空:入道)です。
以前にも写真干潟を入れましたが、雲ひとつない快晴の日は
空中のゴミが耀きます。
万民の顔、椿の葉、石も、鳥も黄金に耀いて居りました。
楽浪と書いて、さざなみと読む。
天照大神の言、
伊勢は、常世の波が寄せては返す国、ここが私にはふさわしいと。
いそ、いそ、いそ。
いと、いと、いと。
塵も積もれば、やまとなる。
回顧
悠久の古代、天は石で出来ていました。(星、星屑)
地上も、石、細石(さざれいし)がヤマトあります。
旧前原市の細石神社。三雲という地名、 旧筑前国 怡土郡。
国歌、細石がいわおとなり、苔のむすまで。(苔:タイ)
景行とは、
景(かげ)、光(かげ)がゆく。日代宮の日代は、月です。
星影のワルツの影は、星のひかりです。
景行17年、児湯県高屋の野の岡での歌
東を向いて歌う。この東は、北で、宇佐を直接、指します。
夜摩苔(やばたい)は、国の「まほろば」という。
苔が出て来ました。
先学は、夜摩苔を倭(ヤマト)と読み、結果的には、宇佐を指しますが、たぶん、奈良大倭と誤認しています。(書紀:耶馬騰[ヤマト])
隠れた野馬(やば)つまり陽炎を外せば、古代は解釈不能です。
おだぶつ。