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どんでん返しの卑弥呼の墓・邪馬台国ーー10・1倭女王卑弥呼発見なるを変更しました。

卑弥呼の墓の新発見、王都の位置、本名および魏志倭人伝の解明について書きつけます。

月代

2010年08月29日 00時06分14秒 | はな
月代

月代と書いて、「さかやき」と読む。月賦ではありません。
武士の髪形です。額の両端の髪を剃りあげています。

なぜでしょうか。
月の形で、三日月は、丁度、戈(か)という武器になるからです。
武士と書いて、もののふと言う。むかしは、勇ましくありました。

もうひとつは、月の代用で、中国から来た種々の連中を、月氏の臣族集団としているのでしょう。

士農工商
経済的には、反比例しています。しかし、武士は、食わねど貴楊枝で、気位だけは高い。

話しを転じます。
ペルシャの王は、三日月紋を額にしています。
法隆寺の仏像にも三日月紋があり、正倉院にはペルシャの水差し[壷]など沢山見かけます。

任那は、呉音でミマナ(美馬那)、沼名は、訓読みでヌマナ(沼那)と考えます。どちらも、意味は、トルコ語でペルシャ人の居住地です。近年、徳島県に、旧美馬町が、美馬市となりました。

姫社の郷(ひめこそ)
荒ぶる神を鎮める話・・・宗像郡の阿遅古連が祀るようにと、荒神が催促する。(大物主が大田田根子を祀り主とせよ、これと似て居ます。)

宗像郡の阿遅古連が占う。幡を飛ばして落ちた所は、姫社の社だった。女神と解り、姫社神社とした。小郡市大崎町:七夕神社(肥前風土記)

阿遅古は、閼智古で、閼智の箱の義です。この場合、女神でした。

アジコではなく、漢音アチコ、呉音アジク、です。
遅はチ、ジ。古はコ、ク。古代は、チとシは、音通です。

事例をあげます。
火君遅男江は、魏志にいう倭載の斯烏越です。(阿蘇氏の分家は火国造)
チのオエは、シのオエでした。

阿智。
やはり、慶州金氏は、日本から行っていると考えます。
決定打はないのですが、構造的にみれば、外れて居ないと思います。

宗像氏は、胸形だから、胸奴:匈奴です。
大巳貴は、宗像氏の長女と結婚しています。
大巳貴の別名八千矛命は、沼名川姫をも貰って居ました。

大毘古命は、姫川(沼名川)の娘を貰ったので、長男・建沼名川別命(古事記)武淳河別(日本書紀)の名前がつく。決定的です。
この時代、女性の家の名前を付けて、同姓めとらずとして、優生保護が働いています。なお、沼名川姫も普通名詞です。

しかし、姫川とは何でしょうか。

日本に媛と姫の二つがありますが、姫姓なのか。
周の姓は、姫姓です。始祖后稷は、帝舜有虞氏(帝舜)に仕えていた。
交易の民ソグド人は、ペルシャのゾロアスター信仰者で、ペルシャ系です。
すると、ソグドは、(混血がすすみ)ペルシャ系トルコ人なのか。
匈奴は、トルコ、あるいは、トルコ系モンゴル人と考えられています。

重要な事は、周が殷を討つに当たり、盧氏が助けています。
盧氏は、末盧國の先祖です。前1027年、先祖の盧氏は、陝西省岐山の西(魏志の方位で北)つまり周の後方をカバーしていました。
・・・西、なにかを暗示しています。

七海は、周がチベット人と予想していましたが、当たり外れ。重鎮太公望呂尚が、チベット系姜(きょう)族でした。現在、周は、何者か不詳です。

しかし、富山県姫川と言う名称が、引っ掛かります。
なおかつ、周の文王は、後天易の完成者です。易も日本では、現在続いています。
和歌山県すさみ町、もと周参見町で、矢倉神社が多い。徳島にも矢倉姫神社があります。矢倉:隕石。隕石信仰者がここに居ます。
隕石関連は、238年8月23日、公孫淵は、大隕石の落ちた所で、司馬仲達に切られた。

やはり、周は、ペルシャ、トルコ族に関係ありとみます。
当たらずとも遠からず、でしょう。

なお、魔女の宅急便、これではありませんが、後ろに怖い女神:軍神が居るのでしょう。帚星に乗る魔女は、西欧のはなし。

日本の掃:帚は、大漢国。
帚木、葉木、吐木、脛木、これに荒を付ける。東から後押しの荒の憑く怖い神がいました。
・・・東、なにかを暗示しています。
答えは、盧、羅を追え、です。

かがみと水

2010年08月16日 00時14分05秒 | はな

題名「ブラボー」、平出徳重さんの写真
長野県下諏訪町、八島ヶ原湿原、2月下旬、7時頃
出典:フォトコン6月号・日本写真企画2010

七海注記:日本では幻日はめったに見られませんので貴重な写真です。熊野本宮大社縁起は、月だから、幻月です。同じような現象です。

かがみと水

日本古代史の虚像、この虚像という二字を使う学者がいますが、虚像の何たることかを解説した人は、たぶん皆無でしょう。
また、史実という二字を好む歴史学者も、年代を推定せずに、一人で相撲を取っています。
こういう本を読んだ一般読者が、納得する、しない。確かめようがありません。七海も多くの先学の本を読んで来ました。
しかし、骨のある学究者は、ほんの一握りと見ています。
まだまだ、古事記、日本書紀の新発見は、あります。

きょうは、虚の世界から、実の世界を復元します。

1 犬・烏・鳩

七海は、後ろ手に梅干しの種を天に投げる。

犬は、天から降って来たものを、直ぐ口にする。
食えないものと判ると、吐き出して眺める。
なんだ、梅干しの種だ。・・・口の卑しい犬。
イノシシも雑食で、やはり口は卑しい。

カラスは、天から降った梅干しの種に、寄ってきて首をかしげる。
直ぐ口にしないで、眺める。
食い物かどうか不明確だから、とりあえず加えてゆく。
・・・口は卑しいが、犬ほどではない。

鳩は、はじめから見向きもしない。

2 猿と鳩と鏡

鏡を地面に建てかけておく。
猿は自分の顔を見る。鏡に触る。・・・おかしい。
鏡の裏面へゆく。何もない。これを繰り返す。
手鏡では、何時間でも遊んでいる。

鳩は、一度、鏡を見るだけで、あとは、見向きもしない。
水面、池、湖、海は、鏡であることを知っている。

3 鏡と古代人

鏡のない時代、長い間、水面という鏡を眺めてきた。女性は特に自身の顔を見てきた。いち早く、鏡の中の世界は、虚の世界であると気がついた。実の世界ではないと。

円い360度の時計を見ればわかるように、午後2時が午前10時であった。
文字も鏡面になっていた。

自身から見ての右手、左手で、左右の定義とする。
人の顔も、ホ黒が右にあれば、
鏡面でも、右にあるから、自身の化け物が、鏡面の顔でした。
醜い顔と言ってもよいでしょう。この世にあらざる顔です。

醜い女と書いて、「しこめ」と読む。日本書紀に出てきます。
これを古事記では、色許謎売(しこめ)という。
そして、次のように見難いと掛けています。
銅鐸の顔[面]。
昨年は、作物が鹿の害にあったので、今年は害を避けますようにと、鹿が描かれています。

4 方向を実や虚の世界で考えてください。
 
魏志の方位(カッコは現在の方位)
       東(北)
        ↑
        ↑
北(西)←←←←→→→ 南(東)
        ↓
        ↓
       西(南)

A 末盧國から東南500里で伊都國深江へ着く。
実の世界では、斜め右にゆく。(時計の午後1時半:45度)
虚の世界では、斜め左にゆく。(時計の午前10時半:45度)

倭國に入って、伊都國へ行く。東南は、東北(虚)の方向でした。

B Aを伊都國から見ての説明に置き換えます。
伊都国は、糸島方面で、前原か二丈町深江と解っているから、
方向は、深江から南西500里行くと末盧國となる。

C 末盧國から実の方向500里は、田川市猪国(地名)です。
  末盧國から虚の方向500里は、二丈町深江でした。

.................東(北)
......深江   ↑   猪国
        ↑
北(西)←←末盧→→→ 南(東)
        ↓
        ↓  
       西(南)

卑弥呼は、よく大衆を惑わす。
たぶん、鏡と羅(絹布)でトリックしていたのでしょう。

5水滴
これに映る顔は、光の屈折で、倒立しています。
これも、虚の世界です。

神功皇后の新羅征伐説話も、水滴鏡の世界です。倒立した姿のまま、新羅大明神が、文言をたれて、表現しています。
方位は、現在の方位ですが、天地(上下)をひっくり返して、話をする。

「東に昇る日が改めて、西から昇るときは、別として、
閼川の水が逆流し、川の石が天に昇るような時は別として、
毎年、貢献しましょう。」

これで、虚から実を復元できてしまいました。

1)顕現:権現
571年、大神比義が、笹の上に広旗八幡麻呂を見たのは、水滴鏡に映る世界でした。玉依り姫と同じことで、水滴に映る姿、これを再現しています。
2)熊野本宮大社縁起で、木の梢に三箇の月を見た。これを幻月とみます。(写真参照のこと)
3)稲田の後光
神武天皇の後には、稲田あるいは草原一面に、菩薩のように後光が差していたが、長脛彦(長snake)に負けました。
4)水、水滴、大気中の水分
みな、光の反射、屈折光線がなせるワザでした。

虚の世界から、話をされると、だれしもおかしな人に見られます。
奇人変人ではなく、奇魂(くしたま)の世界の好きな連中です。何が飛び出してくるか、分らない面白味があります。
古事記、日本書紀、風土記は、以上のような側面をも描く世界でした。
なんだか、蝦夷のエビや敦賀のカニが、脱皮して大きくなってゆくように見えます。

半夏生

2010年06月12日 00時14分32秒 | はな
写真は、両足院さん、京阪電車提供
~半夏生の庭園特別公開~
会場:両足院(京都市東山区建仁寺塔頭)6月11日~7月11日

半夏生

サトイモ科の多年生植物。
夏至の半ば、だから半夏という。田植えの最終日の目安です。
これを雑草という人が多い。しかし、昭和天皇は、雑草という植物はなく、みな、名前があるという。
湿地に生えるドクダミ科、葉の形は同じですが、半夏生(はんげしょう)は、サトイモ科です。
夏に白い花が咲くころ、葉先が白くなるので、半化粧ともいう。
一般に、カラス柄杓ともいわれ、農家の主婦が、摘んで薬問屋にだす。
それで、別名を「へそくり」ともいう。むろん、主人に内緒です。

重要な事
中国の暦は、はじめ、半夏生などの自然現象を区切りとしての時を知る。
商[殷]代になって、月を尺度として、大陰暦を作る。(28.2日)
次に太陽を取り入れて、24節季にし、そうろう。
これは、歴とした太陽暦にそうろう。(太陰太陽暦)
24をさらに、72候とし、そうろう。(候)

現在の太陽暦が出来るまでの、太古の自然歴の面影を
いまも留めるのは、半夏生です。

日本で、はじめて出てくる四時主(春夏秋冬の区分)をつかさどる神は、スサノオの子供4人です。(古事記の系譜)

余談
豊後国風土記の説話・・・これは、八つ頭でしょう。
景行天皇のとき、豊國直・𡧃那手が中津市・中臣村に夕暮れに着いた。翌朝白い鳥がいた。この白い鳥を、僕者に看させにやった。すると、鳥は、餅となり、後には、サトイモが一杯できた。・・・天皇はいう。「天の瑞物、土の豊草といい、𡧃那手が治める国は、豊國というべし」

八頭に二種あり。
八頭(やつがしら)というサトイモ。八頭という鳥は、冠が頭にある。

なお、建仁寺の塔頭に、卑弥呼と習合する摩利支尊天堂があります。
また、建仁寺の直ぐ北に、ダキ二天神社(荼吉尼天)あり。併せて御覧ください。

あやめのランプシェード

2010年06月06日 11時01分23秒 | はな

あやめのランプシェード

現在の暦で、5月5日の節会(5節句)に、
こいのぼり。  旧暦の人たちは、6月に、
この行事をやり、菖蒲が添えられます。
上は、昔取った杵柄「ステンドグラスのランプ」。
七海のオリジナル・作品です。
華は、草木の花の総称、
とくに、木に華、草に栄という。
水無月に あやめを栄(さか)そうと。