埼玉稲荷山鉄剣(3)
誤釈総括
現在までの誤った解釈を総括しておきます。
間違いのキーポイント
上記の4字をいかに解釈されますか。
この世に無い漢字です。
1右側の縦書き2行は、この世に無い字です。これに気が付いて考えます。すると、一字の様でいて、一字ではない。
答えは4行です。⇒訂正 4字2行
主の乚(かくれ)しし、辛亥(年)。
2左上は、臣とすれば、誤りです。
丅尸丄の三字で、1字のようにしている。
3左下は一瞬、鹵のような字にみえるが、違います。
占の「はこ」の中に、力と一を入れた字で、
占力一の3字です。
以上で、文章が繋がります。
無理に解釈すると誤ります。
先学の誤り
獲加多主を、雄略天皇(ワカタケル)として、下記の文献は、間違って解釈した。
京都大学教授上田正昭も、同じ解釈であった。
続いて、後学の小川良祐らは、22年経っても、先学の解釈を疑わなかった。
(1)京都大学教授岸俊男、奈良国立文化財研究所狩野久、田中稔の文字解読結果を依頼者埼玉県教育委員会(浜中英田)が発表した。
(2)シンポジウム「鉄剣の謎と日本古代」学生社1979
井上光貞、大野晋、岸俊男、斉藤忠、直木孝次郎、西島貞生。
(3)小川良祐、狩野久、吉村武彦編著
「ワカタケル大王とその時代―埼玉稲荷山古墳」山川出版社2003
漢字は、一種の絵文字的で、部首にくっつけて、新しい字ができる。漢字は、感じるようにできている。遊ぶ人もある。
鉄剣の文章は、間違えるように、仕組まれていたのでしょう。
辛亥年
みな、471年としたが、大野晋は531年と後日変更し、井上光貞と朝日新聞紙上で、論争している。
辛亥年は、60年ごとに、171、231・・・471、531です。
471年では、雄略天皇が、生きていて、加羅は、滅亡していないから、交易の監督官一大率の役目は、まだ続いています。
結果は、近江毛野臣が、加羅を滅亡においっやった。そして、531年、継体天皇も死し、加羅も解体した。交易の監督官・一大率の役目も終わった。
531年が根拠です。
継体紀の注書きは、後世の後学が確かめることになっています。百済:伯済の本記によるのでした。
そして、亥は、いのしし、「しし」でもあります。
卑弥呼の本名:少名日子建猪心命の猪と合致します。
結果的に、先学は、一大率や卑弥呼の就任年171年も見抜けなかったと思います。
上田正昭は、津田左右吉の信奉者であった。この鉄剣で、辛亥年を471年として、津田の言う帝紀、旧辞の編纂は、雄略紀に遡ると判断した。上田は、津田を越えたと。間違いでした。
以上、「船頭多くして、船、山に上がる」としておきます。
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●文献、歴史学者の解説の錯誤に対する批判
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