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院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

私の翻訳書嫌い

2012-01-21 18:22:44 | 日本語
 小学校高学年のころ、ヘッセの「デミアン」の子ども版を読んだ。むろん翻訳本である。

 ところが、読んでいて言葉がスーッと頭に入らない。いちいち、ひっかかるのだ。妙な受身形や使役形が多かった。すなわち、「バケツはデミアンに持たれた」、「バケツはデミアンに水を入れさせた」など。

 典型的な直訳調だ。これでは読みにくくて仕方がない。子どもが相手だから翻訳者が手を抜いたのだろうか?子ども向けだからこそ分かりやすくなくてはならない。

 とうとう私は「デミアン」を投げ出した。「デミアン」が私に及ぼした影響は甚大なものだった。私は、それ以来、翻訳ものをまったく受け付けなくなってしまった。

 そりゃぁ、もう少し大きくなってから、ドフトエフスキーなども覗いてみたけれども、やっぱり翻訳ものは駄目だとの思いが強く、途中で読むのを断念した。

 名作ばかりか、当時流行っていた、エラリークイーンや翻訳のSFも駄目だった。とにかく、翻訳文では面白くないのである。小説なんぞ面白くなければ読む必要はない。

 今でも翻訳の小説は読みたくない。学術書は面白いとかそうでないとかとは無関係なので翻訳でも読む。

 最初の出会いは重要であると、いまづくづく思う。私は読書家だが、外国文学は守備範囲に入っていない。