goo blog サービス終了のお知らせ 

院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

ノンアルコールビールにトクホ?

2015-02-20 04:36:01 | 食べ物

(キリンフリー缶入り。キリンのHPより引用。)

 サッポロと花王のノンアルコールビールが「トクホ」指定になるそうです。「トクホ」はサプリメントと同じだから(効かないけど効いた感じがするから)、メーカーにとって「トクホ」指定は販売に有利でしょう。

 私は個人的にキリンフリーがおいしいと思うので飲んでいます。カロリーゼロとかつべこべ言わないところがいいです。要するに酔わなければいいのです。

 一番売れているのはサントリーのオールフリーだそうですが、アルコールはもちろん糖質やカロリーもゼロにしているためか、水っぽくて私は好きではありません。

 アルコールさえ入っていなければ、少々糖質が入っていてもおいしいほうが私には向いています。むろん「トクホ」指定も要りません。

2013-04-01 の「トクホ」批判をご参照ください。)


※今日、気にとまった短歌

  タコさんもカニさんもいたお弁当君去りし後みんな絶滅 (清須市)井深靖久

恵方巻、大流行

2015-02-04 05:54:40 | 食べ物

(恵方巻の予約広告。COOPのHPより引用。)

 恵方巻きを流行らせたのはセブンイレブンだそうです。節分に太巻きを食べるのはもともと関西の風習だったそうですが、「恵方巻」という名称ではなかったそうです。

 寿司好きの私 (2012-10-31) は太巻きも好きです。ただし、かんぴょうは必ず入っていてほしいものです。私の幼いころは、海苔巻きといえば、かんぴょうでした。現在、かんぴょう巻きは好まれないのでしょうか?かんぴょうの消費量は激減したでしょうね。

 玉子で寿司屋のレベルは分かりません。玉子を自分の店で作る寿司屋は少ないからです。一方、かんぴょうと油揚げはどこの寿司屋も自分で作ります。ですから、寿司屋の腕が分かるのは、かんぴょうと油揚げだと私は考えています。


※今日、気にとまった短歌

  病床の痩せゆく妻の肌さすり太りきたると言うは切なき (福島県)西木甚

日本の国民食カレーライス(その2)

2014-12-31 05:06:03 | 食べ物

(商工会議所お薦めのドライブイン。むつ市商工会議所のHPより引用。)

 料理が専門ではないドライブインのような店では私はカレーライスを食べることにしています。蕎麦だと延びていたり、揚げ物が揚げ過ぎだったり、素人のような料理が出てくるからです。その点、どんな店でもハズレがないのがカレーライスです。カレーライスは日本人の根源だからなのかもしれませんね。(どんなに下手な調理師でもカレーの失敗だけは分かる?)

 30年ほど前、私たち一家に母親を加えて京都旅行をしたことがあります。京都の郊外で昼時を迎え、ちょうど道路沿いにあったよしず張りのような店にはいりました。とうぜん味なんて期待していません。

 私は例によってカレーライスを注文しました。ところが、家内と母親はなんと(張り紙が出ていた)松茸蕎麦を注文しました。私は「こんな店でマトモな松茸が出てくるわけがないじゃないか!」と言っていたら、すごい松茸が出てきたのです。値段も超格安で、松茸もおいしいものでした。(京都は松茸の名産地だということを忘れていました。)

 私の判断が誤まることもある例として、家内は未だにこのエピソードを言い募ってやみません。


※今日、気にとまった短歌

  隣家の改装工事始まりてブルーシートの暗さを知りぬ  (朝来市)高橋久美枝

日本の国民食カレーライス(その1)

2014-12-30 05:22:16 | 食べ物

(東京名店15選のカレーライスの一つ。FindTravel のHPより引用。)

 大人もですが子どもはカレーライスが大好きです。私が幼いころ母親がカレーを作ると、カレーの香りが家じゅうに充満してウキウキした覚えがあります。カレールウというのはまだなく、カレー粉と小麦粉を炒めて作りました。

 地元の焼き鳥屋でカレーライスを出すので有名な店があります。焼き鳥で酒を呑んでから締めにカレーライスを食べるのです。(客の話では、CoCo壱番屋などと較べて特別においしいわけではないが、すぐに食べられるので便利だということです。)

 日本海軍では乗員が日にちの感覚を忘れないようにと毎週金曜日の昼のメニューはカレーライスでした。それにちなんで、軍港横須賀の街ではカレーライス店がたくさんあって、そのカレーは「海軍カレー」と呼ばれます。「海軍カレー」を横須賀から取り寄せて、客に出している日本料理屋も地元にあります。

 30年前、激辛ブームというのがあって、カレーの猛烈に辛いのを出す店ができました。(今でもあるのでしょうか?)激辛の最高ランクのをぺろりと食べてしまった友人がいました。その友人は、翌日用を足したら肛門が熱かったと言っていました。(苦笑)

 私はいまでもときどき外食でカレーライスを食べますが、母親のそれとはまったく違って、家庭では作れないプロの味になっています。

 数年前から、豊橋のうどん屋が申し合わせて、カレーうどんを当地の名物にして、町おこしをしようとしています。ところが凝り過ぎていて、カレーうどんの底にご飯が入っていたりしてボリュームがあり過ぎ、人気は今一つといったところでしょうか。


※今日、気にとまった短歌

  地の熱を逃れ出でたる蚯蚓(みみず)らか折れ釘となり路地に乾ける (館山市)藤井昌子

外食や出前はハレの食事

2014-12-16 05:29:56 | 食べ物

ケンタッキーフライド・チキンのHPより引用。)

 クリスマスにケンタッキー・フライド・チキンの店に行列ができるのをアメリカ人は不思議に思うそうです。ハレの日になぜファストフードなのかというわけですね。

 でも、考えてみてください。「三丁目の夕日」のころの貧しかった時代、客をもてなすのに「手作り」ではいけなかったのです。手作りより値段が高い店屋物(てんやもの)の出前をとるのが歓迎の証しでした。かつ丼とか天丼とかをとりました。寿司やうな重ならVIP待遇でした。

 外食はデパートの食堂でさえ少し着飾って行きました。ハンバーグでもフルーツポンチでも家庭ではとても作れないプロの仕事でした。

 フライドチキンをファストフードだと軽んじますが、同等のモノが自宅で作れますか?実はフライドチキンは日本人にとって店屋物でありハレの料理なのですね。アメリカには店屋物がありませんからアメリカ人には理解できないのでしょう。

(小学6年生の時、中学の受験勉強をして夜遅くなると、親が近所の中華屋からタレかけ焼きそばをとってくれました。おいしかったですね。それが楽しみで勉強しました。当時は(東京では)深夜でも出前があったのです。)


※今日、気にとまった短歌

  わが横に大先輩が用を足す言葉掛けんか終始迷いぬ  (豊橋市)佐々木剛輔

茶菓子と饅頭の違い

2014-10-27 07:29:55 | 食べ物

京都茶寮のスタッフブログより引用。)


(同上。)

 私はむかしから甘いものが好きで、大学生のころは下戸だったので同じ下戸の友人と、女性客しかいない甘味処にはいったりしていました。

 うちでは田舎饅頭、大福餅、栗饅頭、羊羹などを好んで食べました。東京中野の鍋屋横町に親の代から行きつけの和菓子屋がありました。ところが、その和菓子屋の和菓子は上品過ぎて私には物足りませんでした。

 写真上段のような和菓子は、あんこが必ずしも小豆ではなく、私の好みではありませんでした。さらに、夏になると写真下段のような葛や寒天を主体にした和菓子しか売っておらず、食べごたえがなく感動がありませんでした。

 東京では抹茶をふだんから飲む習慣がなかったのですが、名古屋では来客にふつうに抹茶が出されました。「名古屋茶どころ」という言葉があります。それで初めて分かったのですが、写真のような和菓子は茶道専用なのですね。茶道では活け花はもちろん掛け軸も季節にこだわります。当然、茶菓子も季節感が重要で、夏には涼を誘う葛や寒天の和菓子が多くなったわけです。

 田舎饅頭とか大福餅は、茶道と関係がないただのお菓子だったのですね。

 俳句をたしなむようになってから、俳句が極端に季節を尊重するのに驚きました。俳句の師である故浅野右橘先生は「俳句とは季節を詠む文芸である」と言い切っておられました。

 以来、注意して見ると、料亭でも料理の材料はもちろん季節のもので、掛け軸や障子なども季節に合わせてある。能では夏にしかやらない演目とかその反対の演目があります。

 40歳を過ぎて、歴史的に日本人がいかに季感を重んじてきたかを知ったのでした。

洋菓子との出会い(4)(無塩バター)

2014-09-20 00:09:49 | 食べ物
(三省堂刊。)

 洋菓子にはバターをよく使います。前述のレシピ本には、「バター」のところが何故かわざわざ「無塩バター」と書いてありました。そこで自宅のバターを見てみると、随所に「有塩」と記してあるのです。ふつうにバターを買いに行くと「有塩バター」を渡されることが分かりました。

 思うに当時の日本では、バターはトーストに塗るしか用途がなかったのでしょう。だから、あらかじめ塩が入れてあったのだと思われます。クッキー作りにはバターをふんだんに使いますから、先述の手作りクッキーのお母さんは、無塩バターが手に入る店を知っていたのでしょうね。

 東京だけの現象かもしれませんが、昭和30年代からパン食が飛躍的に普及しました。それまでは、朝食はご飯にみそ汁と決まっていました。

 当時の俳句に次のようなものがあります。

    朝刊とパンとコーヒー風五月  浅野右橘

 この俳句はいま見ると当たり前ですが、昭和30年代にはかなりセレブに感じられたことでしょう。作者の故浅野右橘氏は私の俳句の師で、この俳句は写真の稲畑汀子編「ホトトギス新歳時記」の「五月」の項に載っています。

 コーヒーは、最初はマックスウェルのインスタントコーヒーから、家庭に普及していったと記憶しています。インスタントとは言え、ちょっとハイカラな飲み物でした。現在のようにコーヒー豆から挽くなぞということは、庶民には想像もつかない時代でした。(喫茶店はプロですから、当時から豆を挽いていました。本当かどうか、その搾りかすを牛乳会社が回収して、コーヒー牛乳の原料にしていたと聞いたことがあります。)

洋菓子との出会い(3)b(クッキー)

2014-09-19 00:02:25 | 食べ物

(お菓子の城。MAPPLE 観光ガイドより引用。)

 名古屋から車で1時間くらいでしょうか、国宝・犬山城で有名な犬山市に「博物館明治村」があります。広大な敷地に明治時代の郵便局や工場、夏目漱石の居宅など移築建築が沢山展示されています。明治時代の「陸蒸気」も走っています。たいへん優れた屋外博物館だと思います。

 子どもたちが幼いころ、何度も「明治村」に行きました。近くに「モンキーパーク」という京大霊長類研究所の関連施設や、「リトルワールド」という民間経営による世界の建築博物館があって、一度に2か所回ることもありました。

 「明治村」と名古屋の中間くらいのところに、写真の「お菓子の城」があります。ここにも数回寄ったことがあります。砂糖菓子でできた精巧な家の模型や花などが展示されています。運営はタマゴボーロの竹田製菓によります。当時はここでタマゴボーロ製造プラントが一基稼働していました。

 ここでは子どもがクッキー作りを体験できました。生地は既にできたものを渡されるので、まあ粘土細工のようなものです。うちの子どもたちが小学校に上がるか上がらないかの年頃に、ここでクッキー作りを体験しました。前述の手作りクッキーのお母さんは、それよりさらに30年以上前、東京タワーが建設中のころにこれをやっていたのだなと感慨深いものがありました。

 すでに3児の母親となっている娘は「お菓子の城は夢の世界だった」と述懐しています。

洋菓子との出会い(3)a(クッキー)

2014-09-18 05:26:02 | 食べ物

(泉屋のクッキーの詰合せ。amazon より引用。)

 私が幼いころはクッキーといえば泉屋の缶入りと決まっていました。それは豪華だから自ら買うものではなく、よそ様からいただくものでした。

 小学校3年生のころ、どうしてだっだか同級生の女の子の家に遊びに行きました。そこのお母さんがおやつにクッキーを出してくれました。それは泉屋のクッキーではなく、そのお母さんの手作りでした。

 クッキーは泉屋で買ってくるものとこころえていた私はドギモを抜かれました。それが泉屋のクッキーと同等においしいのです。いまでは珍しくない「手作りクッキー」ですが、当時の私には「ありえない」ことでした。

 寝る部屋と食事をする部屋は別にしようと、政府は「寝食分離」を訴えていました。女の子の家は東京の目黒区にあった2DKの国家公務員宿舎でしたが、いちおう寝食分離がなされていました。私の家はふとんを畳んだ部屋にちゃぶ台を出して食事をしていましたから、寝食分離が達成されていませんでした。

 女の子の父親は高級官僚で、やがて一家でイギリスに行ってしまいました。私が行ったことがある一番遠くは熱海でしたから、外国とはどんなところかと思いを馳せました。

 私はその女の子に好意を抱いていたわけではありません。ですから、どういう事情で遊びに行ったのか、皆目思い出せないのです。女の子の名前も・・。

洋菓子との出会い(2)(カスタードクリーム)

2014-09-17 00:04:06 | 食べ物

銀座コージーコーナーのHPより引用。)

 菓子パンにクリームパンというのが昔からあります。いまでも昔と同じグローブのような形です。

 昔のクリームパンに入っていたクリームは、黄色い糊を甘くしたような感じでした。現在のクリームは、もっとカスタードっぽくなっています。それでも、シュークリームに入っているカスタードとは違います。

 きのう述べたレシピ本にカスタードクリームの作り方が載っていました。で、中学生の私は作ってみました。うまくいかないのです。小麦粉が固まってダマになってしまいます。洋菓子店「モンブラン」のカスタードクリームのように滑らかにならないのです。これは技術だと、こればかりは素人にはマネできないと思いました。

 大阪のたこ焼きは、外はカリカリでも中味はとろーっとしていて、しかも中味はナマではありません。他の地方のたこ焼きは中まで固まっており、丁度お好み焼きを丸くしただけの感じです。 小麦粉が違うわけではなく、技術が違うのでしょう。

 カスタードクリームにもたこ焼きにも技術が必要だと、むかしから思っています。だから旅館で、パラフィンで客が煮たり焼いたりする料理が出ると腹が立つのです。素人では煮たり焼いたりが満足にできないからこそ、料理人が存在するのではないでしょうか?(2013-07-13 参照。)


※今日、気にとまった短歌

  自らを飾るも隠すもまだ知らぬ幼(おさな)が歌う「ありのままに」と  (春日井市)山崎美帆


洋菓子との出会い(1)(ショートケーキ)

2014-09-16 05:23:27 | 食べ物

クックパッドより引用。)

 「三丁目の夕日」の時代、すなわち東京タワーはできたが新幹線や東京オリンピックはまだの時代、私は東京にいて中学生でした。

 食生活が劇的に改善しました。それまで塩じゃけがおかずでしたが、そのころハムカツが発明されました。ウスターソースをたっぷりかけて食べて、ちょっと贅沢な気分になりました。(少し高価ながらハム自体はそれまでにもありましたが、それをフライにしたのが画期的だったのです。)

 お菓子は煎餅、団子、饅頭だったのが、まれに洋菓子に接するようになりました。それまでも、自由が丘の「モンブラン」など有名洋菓子店はあったのですが、高価で手が出せませんでした。

 なぜかうちに洋菓子のレシピ本がありました。パティシエが書いた本格的なものです。私はレシピに従って洋菓子を作ってみました。何かの懸賞に当たって、使われていないガスオーブンがうちにありました。(当時は「天火(てんぴ)」と言いました。)

 私はショートケーキの制作に成功しました。そのときにもっとも嬉しかったことは、費用が店で買う値段の10分の1以下ですんだことです。これで洋菓子が高嶺の花ではなくなりました。西洋モノが一気に身近になったわけです。

 材料は小麦粉、玉子、砂糖、果物、生クリームだけです。生クリームは牛乳屋に頼んで取り寄せてもらいました。それは牛乳瓶に入って届けられました。値段は牛乳3本分くらいでしたから、さほど高い感じはしませんでした。(現在スーパーに売っているパック入りの生クリームは植物性で生クリームとは言えません。動物性はもっとおいしく、香り高いものです。)

 蒸しパンには膨らし粉を入れるのですが、ケーキのスポンジには膨らし粉を使いません。卵白を泡立てて、それを生地に混ぜて膨らませるのです。レシピ本には「卵白を泡立てたもの」と書いてあり「メレンゲ」という用語はまだ使用されていませんでした。

 レシピ本にはフランス語をカタカナでそのまま書いてあるので困りました。シュークリームはシュー・ア・ラ・クレームとありました。最初、意味が分かりませんでした。ブラマンジュというお菓子は、氷菓らしいとは分かったのですが、未だに実物を知りません。ガトー・ショコラとはチョコレートのお菓子らしい、という具合です。いくらレシピ本に書いてあっても、食べたことがなければイメージできないし、ましてや作れないと痛感しました。

 生クリームはすぐに手に入ったのですが、レシピ本に出てくるシナモン、ニクズク、月桂樹の葉などは、そもそもどこに売っているのか分からず、手に入りませんでした。だから、それらの香料がどのようなものかが分かったのは、つい最近のことです。

 スポンジを焼くのに、レシピ本には130℃で30分とありました。当時のオーブンの温度管理は手動でしたから、取り付けてある温度計を見ながら必死にガスの火力を調節しました。

 他にもいくつか妙なことに凝った中学生時代でした。そのあと数年で、自家用車、ステーキハウスと、わが国は飛躍的に豊かになっていくのでした。

冷奴

2014-08-23 05:35:50 | 食べ物

オリオン食品工業のHPより引用。)

 豆腐が好きな私は、この季節には冷奴さえあれば満足です。私は薬味に鰹節を使うのを好みません。味が濃すぎるのです。豆腐には豆腐の味があるのですから。

 冷奴とは、買ってきた豆腐を洗ってそのまま供するものと思っていたら、違うのですね。昆布で一度湯豆腐にしたものを、冷やすのだそうです。

      冷奴幼き日より母とのみ  野村久雄

湯河原一泊旅行

2014-08-10 12:01:14 | 食べ物
 旅行があまり好きでない私が旅行に行くのは、温泉や食事が楽しみだからではありません。ひとえに妻を食事作りから解放するためです。あとは、地元にいるより俳句が多く作れるくらいがメリットでしょうか。

 そのような次第で、先日、熱海近くの湯河原温泉へ一泊で行きました。


(宿の近くの竹林。)

    宿までは竹林を縫ふ径涼し  ひとし

 宿は、料理がうまいと旅行会社の人に勧められて、「海石榴」(つばき)というところに決めました。確かに食事が良かったです。部屋食で、しかも冷めないように料理が出てくるところは料亭と同じでした。朝食も部屋食で趣向が凝らされて、隙がありませんでした。


(旅館「海石榴」の玄関。「海石榴」を「つばき」と読ませるのは万葉集に由来するのだそうです。)

 先日、激賞した玉造温泉の「佳翠苑 皆美」(2014-05-10)と同程度の料理でした。ただ、宿賃が2倍以上だったので、ありがたみは玉造温泉に軍配が上がります。

 では昨年、探訪した「嵐山吉兆」(2013-08-15)と比べてどうかというと、タッチの差で「吉兆」の勝ちです。昨年の記事でも述べましたが、今回の宿「海石榴」や「つきぢ田村」が、「吉兆」に決定的にかなわないところは、ズバリ仲居の質ですね。

 「吉兆」の仲居は若い美人で、私の根っこをほじるような質問にも的確に応えることができました。先日、小さな子ども連れで「つきぢ田村」へ行きましたが、仲居はその辺のおばちゃんでした。したがって料理や酒の説明ができません。でも、幼な児を可愛がったりあやしたりしてくれるので、それはそれで良いんですけれどもね。(「つきぢ田村」は幼な児も断らず、きどらないところが売りでもあります。)

 ここ2年ほど、ちょっと奮発して高めの旅館に泊まってみたら、ちゃんとした料理を出す旅館は少ないが存在することが分かりました。30歳代前半に、下呂の有名旅館「水明館」で学生食堂のようなひどい料理を出されてから、私は旅館に敵意をもっていたのでした。

 2006-08-112012-08-24 の旅館批判は少し緩めなくてはならないでしょう。まともな料理人がいる旅館もあることを、この歳になって初めて知りました。

風評被害(1)(風評が支える民主主義)

2014-07-17 01:07:10 | 食べ物

(風評で売れなくなった福島産のきゅうり。朝日新聞 DIGITAL より引用。)

 広辞苑で「風評」を引くと「世間の評判」、「とりざた」とあります。議員を選挙で選ぶとき、議員の詳細をすみずみまで知って投票する人はきわめて少数で、ふつうは有権者の「風評」に基づく投票行動によって当落が決定します。つまり、議員とは「風評」の産物です。

 議員が農作物の風評被害を解消しようと、その農作物を食べてみせることがあります。風評被害を打ち消すのに、同じく風評で選ばれた議員がパーフォーマンスを行うという奇妙な図式ができあがります。でも、それが民主主義というものなのでしょうね。

どら焼き考

2014-07-08 00:35:41 | 食べ物

文明堂のHPより引用。)

 最中はあんこを味わわせるお菓子ですが、どら焼きのほうは皮にもっと存在感があります。幼いころ私は最中を好みました。けれども、どら焼きも決して嫌いではありませんでした。

 名古屋で学生生活を送っていたころ、名古屋にはどら焼きがないんだなと思いました。似たお菓子に両口屋是清という菓子店の「千なり」がありました。このお菓子は、どら焼きよりも小ぶりで皮が厚く、そのためどら焼きよりあんこが少ない感じがしました。

 「千なり」がどら焼きと決定的に違っていたことは、「千なり」のあんこには白あんや紅あんなどがあったことです。両口屋是清は江戸初期から徳川家にお菓子を納めていた老舗ですが、どら焼きに慣れた者からは「千なり」のあんこはもの足りなく感じました。(あんことして認められるのはせいぜい白あんまでで、紅あんとか抹茶あんは、あんことして認めたくありません。)

 名古屋では「千なり」をどら焼きと呼ぶことはありません。「千なり」は「千なり」でした。東京では文明堂のどら焼きを(商品名である)「三笠山」と呼ぶ人がいましたが、万葉集も古今集も知らない幼い私でもキザに聴こえました。

※今日、気にとまった短歌

  妣(はは)のこと思はざる日はなかりしに娘(こ)の逝きてよりそは薄れゆく (三重紀北)庄司まさ子