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院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

デパートの食堂の「ホットケーキ」

2014-07-07 05:35:11 | 食べ物

食ベログより引用。)

 幼いころデパートの食堂で食べるホットケーキが、なぜムラなくきつね色に焦げているのか不思議でした。家のフライパンでは必ずマダラになってしまうからです。

 亡父の話では、分厚い銅板で焼くからとのことでした。確かに文明堂のどら焼きの実演販売では、分厚い銅板にヒシャクでタネを流し、正確な円形とムラのないきつね色が実現されていました。

 ホットケーキにかける蜜ですが、普通の砂糖から作った蜜と明らかに違います。今ならサトウカエデからとったメープルシロップだと知っていますが、当時、母はそれを知らなかったので、家では実現できない蜜でした。

 ホットケーキは良い香りがするのですが、添えられている蜜が少なくノドにつかえて食べにくいものでした。いま、パンケーキとしてカフェにあります。パンケーキはもっと薄く小さく作られていて蜜も多く、むかしのホットケーキよりずっと食べやすいです。

 私が大学に入ったころは、まだパンケーキとはいわず、幼いころのと同じ分厚いぱさぱさしたホットケーキ(写真)がまだ喫茶店で出されていました。その、ぱさぱさ感は懐かしかったのですが、わざわざ感傷に浸るほどのお金はなく、食べやすい小倉トーストをもっぱら注文していたのでした。

「たい焼き」はなぜおいしいのだろうか?

2014-07-06 00:29:52 | 食べ物

(ウィキペディア、「たい焼き」より引用。)

 幼いころ「どんどん焼き」というお好み焼きのようなものを食べました。これはメリケン粉(小麦粉)を水で溶いて、ネギ、サクラエビ、紅ショウガなどを混ぜ込んで、そのまま焼いた食品です。ウスターソースをつけて食べました。

 「どんどん焼き」は明治時代からあったそうですが、関東大震災のおり、焼け跡で鉄板の上でメリケン粉を焼いて非常食としたものが広まって、現在のお好み焼きに発展したという説があります。

 同じく明治時代ころからメリケン粉にあんこを入れて焼いたのが「今川焼き」です。愛知県地方では「大判焼き」といって今でも主要な駅で売られています。「今川焼き」を鯛の型に入れて焼いたのが「たい焼き」です。

 同じ材料でできているのに、幼い私には「たい焼き」のほうが「今川焼き」よりもおいしく感じられました。子どもだったから形にごまかされたのかと思ったのですが、現在でも「今川焼き」より「たい焼き」のほうがおいしいのです。

 「たい焼き」以外にも大福やおはぎ(ぼたもち)がありましたが、なぜか食べて一番うれしかったのは「たい焼き」でした。お菓子としての完成度は落ちるのにもかかわらずです。どら焼きもありましたが、これはもっと格が上のお菓子でした。

 きのうお話しした「小倉トースト」ですが、これも関東大震災のころには、すでにあったそうです。名古屋はものすごく喫茶店が多い街ですが、喫茶店が爆発的に増えたのにともなって、「小倉トースト」も広まったのだそうです。

(「今川焼き」よりも「たい焼き」のほうがおいしいのは、「たい焼き」のほうが皮が薄いからかもしれません。)

名古屋の「小倉トースト」

2014-07-05 05:10:45 | 食べ物

47club より引用。)

 昭和44年、私は大学入学のために単身、名古屋におもむきました。生まれて初めての一人暮らしでした。まず、困ったのが食事でした。6畳一間の下宿で、おかずなしでトーストを食べたりしていました。

 すぐに胃の調子が悪くなるタチで、いつも食欲がなく丼物一杯が完食できませんでした。そんなとき喫茶店で「小倉トースト」に出会いました。量が少なく、かつ甘党の私にはうってつけの一品でした。好んで食べました。

 いま「小倉トースト」は名古屋の悪食の象徴みたいに言われています。でも、若年の私の食生活を彩った大事な食べ物だったのです。こんなに胃が弱くて、医者の激務に耐えられるだろうかと不安でたまらなかった19歳の私でした。

 そのころは、いま名古屋飯といわれている「あんかけスパゲティ」や「手羽先」は、まだ影も形もありませんでした。

回転寿司の用途

2014-06-06 00:44:51 | 食べ物

ゆんフリー写真素材集より引用。)

 カウンター式の寿司屋が遠からず滅びると 2013-03-25 に書いた。若い人たちの意見ではカウンターの寿司屋は値段が分からないという以前に、板前とコミュニケーションするのが面倒とあって、そうかもしれないと思った。

 合わせて、これまで100円寿司と馬鹿にしていた回転寿司が、けっこうよいネタを揃えるようになって、これで勝負あったと確信した。

 先日テレビで、若い女性の回転寿司の利用仕方が変わってきたと報道された。彼女たちは喫茶店代わりに回転寿司を利用しているというのだ。一番のお好みがフライドポテト。値段も味もマクドナルドと変わらないという。

 備え付けのアナゴのタレを、回転寿司の商品のプリンにかけたりもするらしい。ポテトだのプリンだの、寿司屋として邪道だと思っていたけれども、この分だとお菓子の回転寿司バージョンが可能である。

 だいぶ前、焼き肉屋の回転形式が報道されたが、その後見かけないから失敗したのだろう。こんご何を回転させるか、なるほどと思うものが出てきて新しいビジネスモデルとなって大儲けするだろう。楽しみである。

山陰駆け走り旅(5)(地元の人の食事事情)

2014-05-11 01:14:06 | 食べ物
 観光旅行に行くと食事は旅館で観光客向けの料理を食べさせられることになる。だから昼食くらいは現地の人が食べているものを食べてみたくなるのだ。

 だが出雲市は町全体が観光客向けにできているようで、地元の人が行くような食べ物屋が見つからない。見つけようとしても町がごったがえしていて満員だったりする。

 そこで食事はスーパーのフードコートで摂ることになる。どこの地方都市でもそうだが、最近は繁華街がシャッター通りになっていて、地元の人さえ行かない傾向がある。(なぜシャッター通りが生まれたか、それはアメリカのせいだと 2011-05-15 で解説した。)


(スーパー「ゆめタウン出雲」。木村工務所HPより引用。)

 地方都市のスーパーはいつでも繁盛している。中国四国地方で勢力を張っているらしい「ゆめタウン」というスーパーも同様だった。広大なスーパーである。GWでもどこにも行かなかった地元の人で込んでいた。フードコートも午後3時くらいになってもまだ家族連れで昼食を摂りに来る人たちがいる。

 さすがにフードコートではうまいものは食べられない。私たち一行も昼食はラーメンやお好み焼きで済ませた。でも一食1コインで済んだ。

山陰駆け走り旅(4)(玉造温泉)

2014-05-10 18:01:53 | 食べ物

(玉造温泉、「佳翠苑 皆美」全景。筆者撮影。)

 玉造温泉は奈良時代からある古湯だという。近隣の花仙山はメノウの産地で、この場所で300年間にわたり勾玉が制作されたので「たまつくり」の名があるという。

 古代、勾玉つくりは一つの産業だったようだ。ただ、メノウの勾玉がどこに売られたのかは勉強していない。というのは、古墳時代の古墳から出土する勾玉は多くがヒスイ製のはずだからだ。

 上の写真の旅館に泊まった。適当に選んだ旅館で、私は何の期待もしていなかった。かねてより旅館の料理は安くてうまくもない材料で多種類を作り、食べきれないほど客に供することを私は批判していたからだ(2006-08-11)。

 この旅館でも、まず突き出しに胡麻豆腐が出た。それに胡麻ダレをかけて食べよというのだ。「この旅館もまた変なものを出すなぁ」と期待せずに食べたら、それがうまいのである。胡麻豆腐に胡麻ダレがこんなに合うとは知らなかった。

 続いて出てくる献立の全部がうまい。刺身も煮物も焼き物もだ。こんな料理なら料亭で出しても恥ずかしくない。料理がうまい観光旅館は私には初めての経験だった。デザートの紫芋のムースも食べたことがないうまさだった。温度も量も適切で、食べ残すこともなかった。

 さらに、翌朝のバイキングもうまかった。洋食でもうまいのだ。スクランブルエッグが普通のものと違う。生クリームでも入っているのだろうか?家では作れない味だ。またサラダのドレッシングがうまい。訊くと昨夜の料理と同じ料理長の手になるという。突き出しが上手い料理人は煮物も焼き物も上手いのだ。そして、洋食までも。これは、むかしからの常識である。

 その料理長とはお名前を渡部学氏という。あえてお名前を記して、ここにお礼申し上げたい。

 この旅館、佳翠苑 皆美(みなみ)の料金は玉造温泉の他の宿とも別の観光地の宿とも比べて特段高いわけではなく、GW料金で23,000円ほどだった。(同程度の料理を東京の料亭で食すと、25,000円程度はかかると踏んだ。むろん、東京の料亭では泊まりも朝食もない。)


(食事会場は家族毎の個室、椅子席。)

出張の友「チーかま」

2014-02-19 06:15:39 | 食べ物
丸善ネットショップより引用。)

 キヨスクの隠れたベストセラーに「チーかま」がある。「チーズかまぼこ」の省略形だ。かまぼこにチーズが練りこんであるか、細かいチーズがかまぼこの中に入っている。形は魚肉ソーセージと同じ。

 出張の行き帰り、お父さんたちは缶ビールとチーかまを駅で買い込む。夜の新幹線で、たった一人の晩酌を楽しむのである。企業戦士のお父さんたちの、ささやかな宴だ。

 チーかまはいつごろできたのだろうか?むかしはなかったように思う。チーかまは、なにか物寂しく、それでいて小さな幸せをただよわせる商品である。

   ビール缶並べ最終新幹線  拙句

バーが潰れる

2014-02-11 06:52:57 | 食べ物
グルメサイト・ヒトサラより引用。)

 地元のバー組合が席料免除のキャンペーンを始めた。どうもバーからの若者離れが激しいかららしい。

 そりゃあそうだろう。居酒屋では「つきだし」に金を取るかどうかが大問題になっている。注文する前から「つきだし」が出てきて、それに料金を課されるのは私たちの世代でも釈然としないものがある。若者がバーの席料を嫌うのは当たり前だ。地元のバーの席料は500円から1,000円である。居酒屋ならその額でもう1,2品注文できる。

 バーの定義はとくにないという。常識的な定義として、まずカウンターがあること、次にバーテンダーがいること、そして最後に席料があることだそうだ。

 私たちの世代でも、バーにはほとんど馴染みがない。洋酒しかないのが気に入らない。カクテルなんて、とくにご指定のものなぞない。だから、いきおいウイスキーだけを飲むことになる。

 バーのつまみは、レストランでもないくせに妙に凝っているのがしゃらくさい。ではレストランのように徹底的なこだわりがあるかというと、けっこう手抜きである。そんなものに席料があるというのが、そもそもおかしい。

 私がよく行ったバーは、必ずライブ演奏をやっていた。演奏が上手ければ、席料は演奏代と考えることができる。音楽でなくて女性目当ての人はホステスがいるバーに行く。男のバーテンダーしかいないバーなんて、そもそも日本では需要がなかったのだ。麻生副総理のような高貴な出の人がホテルの高級バーに行けばよい。バーとは元来、そのような需要しかなかったのではないか?

 地元の名もないバーはじきに潰れるだろう。席料免除はその前触れである。若者はカウンター式の寿司屋も嫌う。どれだけ請求が来るか分からないからだ。板前と話をするのも鬱陶しいという。

 カウンター式の寿司屋が潰れるとはいつぞや書いた(2013-03-25)。でも、それよりもバーが全滅する方が早いかも知れない。

日本料理は素材の味を生かすと言うけれど

2013-11-08 06:30:36 | 食べ物
 むかし、フランスのある宮廷料理人が「私はここにある鞄でも料理してみせる」と豪語したそうだ。鞄は牛や豚の皮でできているから、それを煮たり蒸したりすれば、それなりの料理になるということだろう。

 日本人は、このようなセンスを嫌う。日本料理は素材の味を生かしてこそ本物の料理で、鞄の皮に強引に手を加えるようなのは邪道だと、たぶん日本人なら言う。

 日本料理がこのほど世界遺産に推挙されたのは、素材の味を殺さぬようになるべく手を加えないところが売りになったのだろう。

 だが、よく考えてみれば、素材の味を殺す料理なんて、あり得ないのではないか?


(CooPa ホームページより。素材の味を生かす日本料理。)

 私は辛いのが苦手で、麻婆豆腐や担担麺が食べられない。同様にキムチも苦手だ。だが、このほどキムチも世界遺産に推挙されるという。

 キムチにはいろいろな種類がある。白菜のキムチは定番だが、大根のキムチ、キュウリのキムチというのもある。私はいずれも食べたことがあるが、白菜と大根とキュウリの区別がつかないということはなかった。

 つまり、キムチのような辛い料理でも(辛くないキムチもあるらしいが)、素材の味が分からないということはなかった。どこの国の料理でも、わざわざ素材の味を消したりはしないのではあるまいか?

 日本料理が特に素材の味、素材の味と言い募るのは、日本人の我田引水というか自己満足ような感じがしてならない。季節感を重視するのは日本独特かもしれないが・・。

高級食材偽装問題

2013-11-07 00:24:42 | 食べ物
 安い材料を使って高い材料の名称を謳った有名レストランがやり玉に上がっている。

 だが、たぶん私は「クルマエビのテリーヌ」と「ブラックタイガーのテリーヌ」の区別がつかないだろう。どちらのエビもクルマエビ科だそうだ。

 エビ天はむかしはクルマエビと決まっていた。エビフライもそうだ。昔と言うのは私が大学を卒業する昭和50年くらいまでのことである。

 エビフライを初めて食べたのは昭和35年ころの三丁目の夕日の時代、渋谷の洋食屋においてだった。凄くおいしいと思った。まだマヨネーズがハイカラな食べ物だったときに、タルタルソースには驚いた。

 同じころ名古屋でもエビフライが流行り始め、名古屋育ちの妻の家庭でもよく母親が作ったという。このころの都市部では、おしなべてエビフライが普及したのであって、タモリさんが「名古屋のエビフリャー」と揶揄したけれども、別に名古屋がエビフライの発祥地ではない。

 このころのクルマエビはすべて天然で、養殖が始まったのは昭和43年である。さらにずっと遅れて、ブラックタイガーが東南アジアで養殖されて、大量に日本に入ってきた。

 ちょうど、ブラックタイガーが出始めたころからエビ天やエビフライが小ぶりになり、味も淡泊になったように思うのだが、気のせいかも知れない。ブラックタイガーはクルマエビよりもむしろ大きいからだ。味のことはわからない。


(クルマエビ。(有)上野水産ホームページより。)


(ブラックタイガー。楽天市場より。)

 馴染みの寿司屋に聞くと、寿司ネタのエビは「ギアナのアカタン」と業者の間では呼ばれている冷凍の輸入モノだそうだ。何のエビだか知らないが、ブラックタイガーではないことは身の質と味から分かるという。

 また冷凍エビでは「レアのエビ天」が造れないとも言っていた。そんな気もする。

 別の寿司屋で、ブラックタイガーを解凍して、ナマのまま寿司ネタにしていたので仰天したことは、いつぞや書いた。その寿司屋が大繁盛していることもあまりに不思議なので、そのときに書いた。 

旅館の料理批判

2013-09-29 01:06:10 | 食べ物
 旅館の食事の量が食べきれないほど多いことは、いつぞや批判した。



 さらに、品数と量がいくら多くても旅館の食事はおいしくない。なぜかどこの旅館でもワンパターンのように出されるのが刺身と天ぷらだ。

 刺身が立派な料理であることもかつて述べた。天ぷらも難しい料理で、天ぷらを揚げる技術だけで生活ができる。

 そのように難しい料理を、旅館は総花的に提供する。しょせん刺身と天ぷらを同じ職人が作るには無理があるのだ。だから、旅館の料理がおいしいはずがない。(そのため私は、食事代が別のホテルに泊まることが多い。)

 幼いころ、山の宿の夕食時に父親が、「山奥に来てまで海水魚の刺身は食いたくない」と言っていたのを思い出す。

煮たり焼いたりする料理

2013-09-28 04:02:19 | 食べ物
 料理は芸術である。煮たり焼いたりする行為は、料理人の芸術的技能をもって初めて可能である。

 したがって、カルビなどの焼き肉は料理とはいえない。料理を焼くということは、料理人がやってこそ生きてくるのであって、客が焼いてしまっては元も子もない。(日本料理では、串打ち三年焼き八年といわれるほど高度な技術である。)

 煮るという行為も同じである。微妙な火加減はプロにしかできない。下のような小型のパラフィンコンロを出す旅館は二流である。煮るという高度な作業を素人の客に任せているからだ。



 古来、庶民の家では火は台所の釜戸にしかないものだった。七輪や火鉢が発明されて、釜戸の火が座敷に持ち込まれたのは、わずかに江戸時代のことである。(上流階級は別。)釜戸の火を別室に分けることが可能になったのは、庶民生活にとって一大革命だったと柳田國雄は記述している。

(寄せ鍋やすき焼きが料理と呼べるかどうかは、現在考察中なので、しばし待たれたい。)

私の酒場放浪記

2013-09-17 05:27:12 | 食べ物
 外で飲むならライブハウスと寿司屋が私の行きつけだ。居酒屋はあまり行かない。常連に話しかけられるのがうっとうしいからだ。

 バーもあまり行かなかった。なんだかきどっているのだ。あるバーではサントリーリザーブを置いていないという。角瓶とダルマがあるのにだ。何かこだわりがあるのだろうが、理由は聞かなかった。



 それにバーは高い。オールドパーをキープしたら2万円以上も取られた。料理もへんに手が込んでいる。なにもバーで珍しい料理を食べたいとは思わない。それだったらレストランに行く。

 酒場の親父としゃべりたかったら、馴染みにならなくてはならない。だが、しゃべっていて胸を打たれる親父はめったにいない。

 焼き鳥屋や炉端焼きは親父がしゃべらない。食わせるのがメインだからだろう。クラブはホステスの話が馬鹿らしいから、誘われなければ自分からは行かない。キャバクラは行ったことがない。本当は行ってみたいのだが。

 最近、寿司屋以外は行かなくなってしまったけれど。

京都嵐山「吉兆」探訪記

2013-08-15 05:24:26 | 食べ物
 高級料亭なんてそう何度も行ったことはないが、行った中で私は築地本願寺の向かいにある「つきぢ田村」の料理がもっともおいしいと思っていた。実際、「つきぢ田村」の料理長が昨年、人間国宝に選ばれ、私の舌もまんざらではないなと思った。

 ただ、「つきぢ田村」は国賓などを連れて行くような店ではなく、ビルになっていて、コースも最低2万円からある。(私は最低のコースしか頼んだことはない。)

 それではと思い立って、これまで3回行われた東京サミットで、海外の首脳が3回とも連れて行かれた「吉兆」に行ってみようと思った。(ただし、「吉兆」は何か所もあり、サミット参加者がどこの「吉兆」に行ったのかは知らない。小泉純一郎元首相は銀座の「吉兆」がお気に入りだという。)


(「嵐山吉兆」内部。)

 きのう私は妻とともに京都嵐山の「吉兆」(写真)に行った。ほんとうのところは、料理がどれほどおいしいか疑問をもっていた。私には「つきぢ田村」で十分おいしかった。それよりおいしい料理は想像ができない。今回の「吉兆」は3万5千円である。「つきぢ田村」より1万5千円分おいしいのだろうか?

 結論から言おう。京都嵐山の「吉兆」はお一人様3万5千円の価値がある。「ここまでやるか?」という料理が出てきた。材料はそう珍しいものではない。ナスやカボチャが、せいぜい京野菜だというくらいのものだった。だが、その味付け、煮加減、量、いろどり、切り方など、どれをとってもこれ以上の見事さはありえないと思わせるものだった。

 関東出身の私にはハモを食べる習慣がない。それでも、10回くらいはハモを食べたことがある。出されたハモの吸い物に驚嘆した。ハモとはこんなにおいしい魚だったのか。だしも濃すぎず薄すぎず、熱すぎずぬるくなく、絶妙に仕組まれた料理がほとんどタイムリーに出てくる。「吉兆」の一連のもてなしは、まさに芸術品と言えるだろう。また来たいと思った。

 それでは、「つきぢ田村」と京都嵐山「吉兆」の違いは何だろうか?それは端的にムードだけである。まずビルと築100年の豪邸の違いがある。そして、一番大きく違うと私が思ったのは、仲居の質だった。屋ばらと仲居の差は、ちょうど1万5千円分あると思った次第。

「創作料理」という難問

2013-07-22 05:14:38 | 食べ物
 創作料理を謳うレストランがあるが、例外なくおいしくない。料理は歴史の風雪に耐えたレシピが生き残ってきたのであり、昨日今日、思いつかれたものではない。

 たとえばスパゲッティなら、それこそ何百通りも作ることが可能である。ところが、定番となっているのは、ミートソース、ナポリタン、ボンゴレ、カルボナーラ、ペペロンチーノなど10種類くらいしかない。

 それは、これらのレシピが群を抜いてよくできているからである。だから、歴史の風雪に耐えてきたのだ。

 創作料理なぞと銘打って気取るではない。本当においしいレシピを考えるのは、宝くじを当てるくらい難しいのだ。