お正月のチケットが届いているようですね、明日はうちにも届くかな。神戸ルミナリエに今年も行こうと思っていたけど、明日は家でチケットを待ったほうがいいかな。
先週お知らせしたけど、夜中はとても起きられないので聞かなかった、昨夜のラジオ深夜便は「加瀬邦彦特集」でした。聞かれたJ友様からお知らせいただきました。有難うございます(^-^)
作家で綴る流行歌 ~加瀬邦彦(作曲)作品集
▼想い出の渚 ▼危険なふたり ほか
⇒ 加瀬さんの簡単なプロフィール紹介、スパイダース→寺内たけしブルージーンズ→ワイルドワンズ 沢田研二プロデューサーで、数々の作品を作曲・・・
1曲目 「危険なふたり」 ( 以後眠気と戦い、うろ覚え?)思い出の渚・小柳ルミ子「冬の駅」。いしだあゆみの「?」 タイガース「シーシーシー」 ( 一瞬寝てしまい)ラスト「TOKIO」 でした。
J友様有難うございます、いしだあゆみさんはおそらく「幸せだったわありがとう 」もしくは「美しい別れ」らしいです。「幸せだったわ・・」はなんとなく、サビの部分は覚えています。加瀬さんはW.ワンズか、ジュリー以外の曲のイメージがあんまりないですが、当然 それ以外の人の作曲もしていたんでしょうね。
ここから、いつものように思わず話の方向がズレていくのが、いつもの私のブログなんですけど・・ つい、色々思い出す
何故、加瀬さんから もんたよしのりに?
ムカーシ、たまたま見ていたTV番組 70年代末か?「売れている歌手と、売れない歌手」を取り上げたドキュメント番組があった。
売れていない歌手として、売れる前のもんた&ブラザーズの「もんたよしのり」さんが出てきた。当時はソロ歌手で なんとか売り出そうと、加瀬さんがプロデューサーとして選ばれ、もんたさんの資料を見ながら「出したアルバムがこれだけしか売れなかったのは屈辱だよね」という、誠に厳しいお言葉でした(/ω\) その屈辱の部分がやけに私の記憶に残った。それを黙って聞いているもんたさん。(加瀬さんは正直な感想を述べただけと思います、フォローしとこ)
もんたさんは売れているジュリーの対極として、TVに取り上げられたんだと思う、多分。とにかく売れないからと、匙を投げられ一度は歌手を諦めて 神戸に戻った「もんたよしのり」さんが、その後1980年「ダンシングオールナイト」で爆発的に売れたのは周知の事実。もんたさんは、自分のプロデュースで売れたのでした。(決して加瀬さんの力が及ばず、というつもりはありません。タマタマだと思います)
もんたさんは、神戸の人で実家は畳屋さんです。芦屋に近い2号線沿いに実家の畳屋さんがあって、「門田畳店」という目立つ看板を上げていました。私はいつもその前を通って、職場に行っていた。そのお店は、あの1995年の阪神淡路大震災で倒壊したと思う。あの辺は、地震の中でも とりわけ被害の大きかった一帯でした。
横倒しに倒壊した家が国道2号線に覆いかぶさって、グッシャグシャになっていた、灰色のあのあたりの光景、忘れられない。もんたさんは、遠いけれど 私も記憶ともつながっていたのでした。