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【昭和ロックを語る時が来た!】エディ藩が53年越しの初告白 幻になったタイガース移籍話

2021年06月07日 | タイガース・GS

twitterで話題になっていた、エディ藩さんのお話がネット記事になっていました。こちら⇒【昭和ロックを語る時が来た!】エディ藩が53年越しの初告白 幻になったタイガース移籍話

(一部抜粋)

エディ 69年だったな。突然、タイガースのマネジャーの中井國二さんから呼び出されてさ。渡辺プロの箱根の別荘みたいなとこに、こっそり来いって。

 ユカイ「こっそり来い」って、何の話だったんですか?

 エディ 行ったら、ジュリーや岸部がいるわけ。「どうしたの?」って聞いたら、「(加橋)かつみが抜けちゃったんだよ。タイガース入らない?」って。後任として候補に挙がってると言われてさ。

 ユカイ えええ! すごい話じゃないですか!

 ――カップスからタイガースに移籍なんて、当時のスポーツ紙全紙1面レベルの大ネタです!

 ユカイ 全く聞いたことがないし、世に出てない情報です。ずっと言わずにきたんですか?

 エディ カップスのメンバーには言ったけど、他には言ってない。知ってるヤツはごく一部。

 ――トッポこと加橋かつみさんが脱退したのは69年3月です。読者の方に念のため説明しますと、ザ・タイガースはジュリーこと沢田研二さん、サリーこと岸部一徳(当時は修三)さんがいたGSの大人気グループです

 ユカイ カップスのメンバーの反応は?

 エディ 怒るヤツはいるし、大騒ぎになってさ。平尾に「いくんじゃないだろうな?」と言われて「わからない」と答えたら、「断るだろ、絶対!」って。提示された金額が良かったから、金に釣られそうになってたんだけど(笑い)、しばらくしたら中井さんから電話があって、「悪いけどサリーの弟のシローを入れることになった」って。

 ユカイ 岸部シローさん加入直前に、そんなことがあったんですか!? これは日本の音楽史にしっかり残すべき話です。ここで話してもらわなかったら、表に出ることも、記録に残ることも、永遠になかったかもしれない。でもエディさん、結局翌4月にブッチさん(ケネス伊東)と脱退しちゃったんですよね。 

 ☆エディ・バン 1947年6月22日生まれ。神奈川県横浜市出身。デイヴ平尾らとザ・ゴールデン・カップスを結成し、67年に「いとしのジザベル」でデビュー。グループ名は出演していたライブハウス・ゴールデンカップから。脱退、復帰を経て同グループは72年1月に解散。以後はソロで活躍。作曲した「横浜ホンキー・トンク・ブルース」は数々の歌手、俳優に歌われている。

☝エディ藩さんは一番左端です。

驚きのお話でした。有り得ないことを思いつきましたよね、中井さんは。中井さんか、事務所の考えかどうかは知りませんが(^^; 

GSをご存じない世代の方でも、メンバーが一人ぬけたから他のグループから引き抜いてこよう、なんて、そう簡単にいかないのはお判りでしょう。プロ野球では途中移籍、トレード話は大いに有ります。しかし、GSは各グループにファンがついています。まして、一番人気のGS王者ザ・タイガースに、対するゴールデンカップスとて人気実力ともに認められたグループだったんですよ!

エディ藩さんがもし加入していたら、まだ若い女子のファンからは総スカンをくったと思います。もちろん、双方のファンからです。

トッポの抜けた次の候補としては、同じナベプロの高岡健二さんの名前が挙がっていたことは知られていますが、ゴールデンカップスのメンバーを引き抜くのは、倫理的に有り得ません。音楽的な面で、そういう考えがおこったのでしょうが、ファンの心情から絶対に無理です。巨人ならやりそうだけど。(高岡健二さん⇒人物来歴参照


同じゴールデンカップスのミッキー吉野さんが、もしかしたら ファニーズに入っていたかもしれない・・というご本人の話を、2014年3月のブログで紹介しています。

デイリースポーツ、2014年3月14日(途中が切れています)

これも音楽的な面を考えて入れようとしたのでしょうが、結局 お話が流れて良かったです。デビュー前にあった話なら、デビュー後に一人増えていてもファンは分かりませんが、やっぱり ミッキーさんは京都育ちのメンバーの中では、1人異質に感じたことでしょう。スマートなメンバー達と違って、体型も違うし💦

ファンは音楽面よりも、全員が古都の京都育ちで、家が近い仲の良い同級生で・・ という、物語も全部含めてザ・タイガースというグループを素敵✨と思って見ているのです。音楽的な面はともかく、シローも含めたザ・タイガースのメンバーたちは、「物語の主人公」になるに相応しい容姿と来歴という資質をもっています。ファンの少女たちは異質なものには敏感で、簡単には受け付けられない潔癖さがあるのよ。お話が流れたのは双方にとって良かったです。

ジュリーが数年前のライブのMCだったか「中井さんはコラボが好きな人で」と言っていたのを思い出します。だからPYGも作ったんでしょうね。音楽的な面でPYGはもっと評価されるべきと思います。

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岸部四郎「消えゆく昭和の音楽の星たち」

2021年02月22日 | タイガース・GS

昨日、2月21日(日)の <BSフジサンデースペシャル>『HIT SONG MAKERS〜栄光のJ-POP伝説〜2020年追悼スペシャル 「消えゆく昭和の音楽の星たち」』
2021年2月21日(日) 18:00~19:55 〜筒美京平、なかにし礼から渡哲也まで〜

筒美京平さんや、なかにし礼さんの数々のヒット曲のエピソードは面白かったですが、時折 挿入される、去年 亡くなった方々のエピソードも興味深かったです。守屋浩さんの、ぼくはないちっち♪は、子供時代よく歌っていました(^^♪

そしてシローのエピソードが、タローさんの思い出と共に、思った以上に丹念に辿られていて、見てよかったと思いました。

タローさんがシローと初めて会ったのは、サリーに弟ですと紹介されて、狭い部屋でラジオで洋楽を聴いていた。中学生なのに洋楽・・「いい曲あるよ、タローくん。」と言われて、4歳も年下なのにタメ口。(ジュリーが、シローがタロー君と呼ぶのを聞き、自分もタロー君と呼んでもいいのかと、おそるおそる呼んでみた、と言っていましたね。)

トッポの抜けたザ・タイガースに加入、懸命にギターを練習した。

Fだけ覚えた。ある時、目の前で見ていたファンに、シローはFばっかり弾いてるやんか!と言われ、時々ズラして弾くように。。(^^;

でも話したら面白い。シローコーナーがあって、15分くらい1人で喋っていた。シローは一番の弟分として、あとの4人の潤滑油のようだった。

その後 、ドラマや司会で活躍してゆく。

やがて、病魔に侵された。2015年のスーパースター再結成の舞台に誘ったら、出ると言ってくれた。しかし練習では弱弱しい声しか出なかった。

ところがステージに出たら、声が出ている。

※(その時の歌声が流れました。2013年のザ・タイガース再結成の時の歌声に比べれば、その時よりもさらに弱弱しくはなっていました

番組で、1993年のフジテレビの番組で披露した「若葉の頃」のシローの歌声が流れました。

ブレッド&バターは、ザ・タイガースの解散後にシローとユニットを組んでいた仲間たち。

シローの声が本当に優しくてナイーブで、雑味という濁りが全く感じられない、澄みきったものがある。そこに都会的な軽さも持ち合わせ、とても素敵でした。トッポの突き抜けるような高音が抜けた後、ギターは弾けなかったけれど、シローの優しい澄んだ声が加わったことはザ・タイガースには幸せでした。タローさんは役割が重くなって大変だっただろうけど(^^;

もっとシローの心に染み入るような歌声が聴きたかった。歌手、MC、俳優として、他の人にはない持ち味を持っていたのに、晩年は病魔に侵されてしまい、本当に残念なことでした。

タローさんが、「本当に歌が好きで歌いたかったんだろうな。もう1回、歌でカムバックしたかっただろう。」と語っていました。

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野生の馬

2021年01月30日 | タイガース・GS

J友さんから、教えて頂きました。映画「キネマの神様」オリジナル・サウンドトラックが発売されるそうです。⇒「キネマの神様」オリジナルサウンドトラックCD 4月14日発売。

2750円、音楽:岩代太郎。J友さんからの情報によると、岩代さんはショーケンが出演していた2018年の「不惑のスクラム」の音楽も担当していたそうで、ショーケンは「不惑のスクラム」の撮影の時には、体調は良くなかったのに出演していたのだとか・・ そういえば「ショーケン最終章」に書いてありました。「不惑」のサウンドトラックも発売されるそうです。



29日、NHKFMで ザ・タイガース作品集⇒NHKFM 午後0時30分~ 午後2時00分 歌謡スクランブル ▽ザ・タイガース作品集

私は聴けませんでしたが、聴かれたJ友さんから

『番組のアナの案内や、他の人も聴いていると思うと、テンションが上がりました🎵 アナが簡単にタイガースの経歴を紹介して、トッポの「つばさ」と、シローとブレッド&バターの「野生の馬」を初めて聴いて新鮮でした✨』

タイガースの曲はともかく、私も聞いたことが無い「つばさ」と「野生の馬」は聴きたかったわ。聴き逃しで聴いてみようと思うも、どこで聞けばいいのかわからず(^^;

「つばさ」のYOUTUBEは見つかりませんでしたが、「野生の馬」はありました。

タイガースが解散した後、シローはブレッド&バターで活動していましたが、2曲出しただけのようです。なんでブレバタに入ることになったんだろう?と当時は思いましたけど。ブレバタは私にはCMのイメージが強いです。

「野生の馬」は殆どの人の記憶に無くても「バタフライ」に関しては、少しは売れたんじゃないだろうか。レコードジャケットが昆虫採集の標本になってる(^^;

シローの歌う、バタフライ バタフライ 羽ばたく蝶々🎵という、優しい歌声は今でも記憶に残っていて、シローの声がゆったりと詩的な情景が浮かぶような曲は、去年亡くなった なかにし礼さんの訳詞だと知りました。昔、ブログにYOUTUBEを貼ったのに、今は見つけられない(-_-;)

シローの顔は今でもよくTVで見ています。TV大阪は3時からご老人向けの時代劇、杉良太郎さんの「遠山のきんさん」を放送していて、暇な家人がチャンネルをつけている。裏番組は「ちちんぷいぷい」と「ミヤネ屋」で、私自身は勧善懲悪のお気楽時代劇は好きではないけどね。

CMで顔が売れて、1975年ごろの番組だから、この時には俳優業に軸足を移していたのでしょう。若いシローが演技をしている、と思うと身内のような気分で観てしまい、調子のいい同心の役柄に、いまだに元気にやっているような気がしてしまいます。

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タローさんのリモートライブ

2021年01月28日 | タイガース・GS

タローさんのリモートライブは、1月23日に生配信されましたが、その日には用事で聴けず、翌 24日のタイガースの解散記念日の日に聴きました。またゆっくり聴かなくちゃ・・と思いながら、28日が配信の最後の日ではありませんか!

期限があるのだった、慌てて聴き返しました。


♪僕のマリー
タローさん「明けましておめでとうございます。
コロナ禍の時にライブができるのは有難いです。
今年は良い年にしたいけど、なかなかですね。
解散50周年に、こうやってライブをやれるのは幸せ。
解散して50周年、サリーと僕はPCR検査を受けて、安心しました。
1月24日は哀しい日ではあるけれど。」

♪落ち葉の物語
タローさん「世界は僕らをまっている」の撮影を思い出す。
田園調布で黒いマントを着て、小橋玲子さんに
ジュリーがチョコを渡す、今じゃ考えられない、
この曲を歌うと思い出す。まだ皆、10代で
解散50周年にライブをできるのは幸せです」

♪ラビングライフ
タローさん「ロンドンロケを思い出す」

♪「銀河のロマンス」

♪A LOT OF GOOD FRIEND
タローさん「一昨年、EXシアターでスーパースター
20周年のライブをしました。
僕にはスーパースターとタイガースの
多くの仲間がいるという歌です。」

「タイガースの物語を聴いて下さい」
♪夢追いかけた若い日

♪A LONG GOOD BY
タローさん「ピーが今から50年前に、武道館が終わった後
1人づつ握手をして、トラックに乗って京都に帰った。
それから38年余り、ジュリーとサリーが詞を
僕が曲を書いて、ピーがそれを聴いて戻ってきた。」

タローさんの声が語り掛けるように訥々として
とてもいい。感極まったのか、途中で涙声に・・
こちらも涙がジワーっときました。


(休憩)
「A LOT OF GOOD FRIEND」のPV

ジュリーやサリーたちの仲良く楽しそうな姿は、
まるで学生たちがじゃれているよう。
いつまでたっても変わらない絆に、
私も楽しく嬉しくなりました。

♪青い鳥
あれれ、歌詞がアヤシイ('_')
記念すべきタローさんの曲なのに(笑)
タローさん「緊張感がなくて恥ずかしい」

♪君だけに愛を
タローさん「こんな時代だからスタンディングも出来ない」

♪シーサイドバウンド 

♪色つきの女でいてくれよ

♪誓いの明日

♪LOVE LOVE LOVE 

指でⅬの字をかざすタローさん、
私も思わずⅬの字を揺らしました。
「誓いの明日」も「LOVE LOVE LOVE」も
タイガースの曲って、ほんとに心に残る
名曲ぞろいです✨

END


ビシっとした光沢のあるグレーのスーツで決めた、タローさんとスーパースターのメンバーたち。しかし、たまに歌詞がアヤシい・・💦のですが、和やかにゆるやかに進むライブは、時に観客に息詰まるような緊張感を与え、身動きができないほどの感動を受けるジュリーのライブとは、また全然違う、アットホームな暖かさ。特に、今回はタローさんの声が良かったわ(^-^)

「A LOT OF GOOD FRIEND」や「A LONG GOOD BY」は、歌詞も曲も本当に素晴らしく、聴くたびに心を動かされてしまう。タイガースという半世紀以上に渡る、長い物語はまだ続いている。そう信じさせてくれる曲を書いてくれるタローさん、どうも有難うございます✨

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サリー HAPPY BIRTHDAY!!

2021年01月10日 | タイガース・GS

1947年1月9日はサリーのお誕生日。

一日遅れになりましたが

74歳、おめでとうございます(^-^)

画像は、1968年の21歳のサリーです。

音楽から俳優の世界へと変わっていったサリーは

今は他の誰にも代えがたい役者さんです。

若いサリーは音楽と「かくとう」していたのかもしれないけれど

今現在の俳優としてのサリーに「かくとう」している

イメージがない。

それほど飄々とした軽やかさがサリーにはある。

年齢とともに、人間味の溢れるお芝居に

いっそうの味わいの深さと、厚みが加わっている。

とは思うものの

その厚みには重厚さよりも、軽やかな振れ幅があって

一本調子とも聞こえる関西弁や

調子のよい台詞が

いたって耳に心地よい。

 

この先、80になっても90になっても

ずーーーーーっと

サリーと呼ばせて下さい!!

そして、これからもずーーーーっと

ジュリーの味方でいて下さい(^^)




J友さんから情報を頂きました。元旦の読売新聞の記事が、ネットで読めます。こちら⇒読売オンライン
菅田将暉「芝居がしたい」…セットの端で2人きり、涙目で心情を説明する山田監督に役が重なった

※志村さんの後を継いだのは沢田研二。「とてもチャーミングで、久々に先輩のお芝居を見て興奮しました。同じゴウなので変な感じですけど、本当に光栄です」と感激を表現した。

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LAZY

2021年01月10日 | タイガース・GS

今日も我が家の草花は、凍り付いたままグッタリ、復活できるのか心配になってきた('_') 

寒そうな1984年のジュリー。

J友さんより、ジュリー情報を頂きました。ジュリーも出るそうです。

3秒聴けば誰でもわかる名曲ベスト100

TV東京は放送される曲が「TOKIO」ばっかりなので、違う曲が流れますように( ̄人 ̄)


そのまた「TOKIO」が、昨日のNHKの「コンテナ全開、開けちゃいました」という番組で、東京湾のコンテナの映像が流れ、そこにジュリーの「TOKIO」の歌声が結構長く流れました。


次もJ友さんから、教えていただきました。⇒【ジュリーの小ネタ!】誰も知らない?!沢田研二さんのマイクのお話!!

芳本春治さんは、ジュリーファンで、ライブでジュリーのカバーなどされているそうです。



ふみりんさんから見せて頂いた「カポネ大いに泣く」のイメージソングを歌っていた鹿取容子さん。84年の「カポネ」のイメージソングは、売れたのかしらん(^^; 私はこの方をけっこう覚えています。

ピンクレディーの所属事務所が、天馬るみ子さんらと、次のアイドルとして売り出した。都会的であか抜けた雰囲気は良かったけれど、歌唱力は。。。 

80年のデビュー曲「ゴーイン・バック・トー・チャイナ」という曲が印象に残っている。⇒鹿取 洋子 ゴーイン・バック・トゥ・チャイナ(1980 OA) その同じ曲をレッツゴーヤングだったか?で、LAZYが歌ったら、とても良かった。曲が一気に名曲に聴こえた、鹿取さん、すいませんね(*_*) 

LAZYはタローさんがプロデュースしていたそうです。そのせいか、アイドルGSのような売り出し方で、興味のない私には子供っぽく見えたけど、実力がある!と知りました。その後に出た、LAZYの新曲が「ゴーイン・バック・トー・チャイナ」を意識している!と思いました。私見ですけど(^^ゞこちら⇒Midnight Boxer

LAZYは鹿取さんとは歌詞が違う「ゴーイン・バック・トー・チャイナ」を、すでにアルバムに入れていたそうで、彼らがシングルで出せば、きっとヒットしたんじゃないだろうか。と今でもそう思う。

ボーカルの影山ヒロノブさんは、今はアニソンで有名な方だそうです。⇒影山ヒロノブが全部語った、アニソン界のトップランナーになるまで!

※一部を抜粋。なんだか、ファニーズのデビューと似ています(^^ゞ


──デビューに際して、LAZYはロック志向ではなく、アイドルバンドとして売り出されることになってしまったわけですが…… 

影山 最初に声をかけてくれたかまやつさんがね、「ポール・ロジャースにプロデュースさせよう」とか「格好もそのまんまでOK」とか言ってくれてたんで、「あぁ、このまま俺たちロックできるんだ」と思ってたわけですよ。そうしたら、かまやつさんはだんだんプロデュース・チームから外されていっちゃうんですよね。向こうのロックの話とか、デカいことばかり言うから(笑)。

で、代わりにチームになったのが、サウンド・プロデューサーが森本太郎さん(元ザ・タイガース)、レコード会社のディレクターは岡村右さん(元パープル・シャドウズ)、事務所の社長は元アウトキャストのメンバーっていう顔ぶれで。そうなるとやっぱりグループサウンズのようなタイプのバンドを、もう一度自分たちの手でプロデュースしたいって意識が強かったみたいですね。加えて、この頃日本でもベイ・シティ・ローラーズが爆発的な人気だったので、どうしたってその波に乗ろうとするよね。だからLAZYも、僕たちがやりたいハードロックとは別の方向の、「和製ベイ・シティ・ローラーズ」「平均年齢16歳のアイドルバンド」に変えられてしまったわけ。これについては、かまやつさんも後年、心苦しく思ってたよ……と告白してくれましたよ。

でもね、今思えばそれがよかったのか、悪かったのかはわからないんだよね。そこで無理矢理ハードロックでデビューしたとして、俺たちが今、ここに残れてるかどうかは本当にわからない。

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②GS I LOVE YOU 〜あの時君はすごかった!!

2020年12月30日 | タイガース・GS

頑張って、さあアップしようとしたら全部消えました。哀しい・・(T_T) 気を取り直して やり直し。



実はわたくし、よくわかっていませんでした。この番組で演奏しているのは「THE G.S」という音楽ユニットで、メンバーは三原綱木、植田芳暁、島英二、今井久、ミッキー吉野。だから、このメンバーではないトッポは、グストの扱いになったのね。

何故ブームは短命に終わったのか?

植田『プロダクションもGSは初めてで、来る仕事を全部ふる。TVを1日3本、その後は雑誌撮影。消耗してしまう。色んなものを構築する暇がない。賞味期限が切れた。学校を休んで公演いくる子がいると、GSは不良じゃないかと言われる。バンドの数がメチャメチャ増えた。レベルが低くなった、後から来た人が目立とうと、過激な事をやりすぎ、顰蹙をかった。』

評論家『新しいバンドを作るのは商売、GSは楽器にアンプと金がかかる、投資を回収しなければいけない。GSがカワイ子ちゃんの青春歌謡になって、若者の抵抗のシンボルの牙が抜かれた』

宇崎『GSの存在を快く思わない人が、をこのブームを早く終わらせたかったんじゃないか。』
評論家『GSと同時期にクールファイブがヒットしていた。業界はこっちを売りたいと思っていた、売れているGSを早く処分したいと思う人がいたかもしれない。』

『ビクターの大物プロデューサーが、悪貨は良貨を駆逐する。それをGSでやる、似て非なるGSを出してブームを鎮静化させたい。隠し玉は森〇一、青江〇奈。GSを潰す作戦、そこまでやるのかと思った。』
MC、驚きました、演歌の新人を出すために、そんな計画があったとは。

三原『凄いな、初めて聞いた。』
Wワンズ『僕らも初めて聞いた。そんな側面もあったでしょう。売れたが勝ち、パワーゲームだから。』
島『ジュリーとショーケンが組んだバンド、PYGが出来た時、GSはこれで終わりだと思った。』※島さん、そんなことを思ってたの~!もっとも私はすでにタイガース解散の時に、もうGSは終わりだと思ったわ。
植田『フォーリーブスが日劇で、ジュリーに負けない声援になって、楽器をやらず
歌って踊る、違う形態にならなければダメなんだ。』
三原『ブルコメが日劇でフォーリーブスのバックの伴奏をしたとき、時代が変わった、終わりだと思った。』
※うーむ、当時は勢いがあったのねフォーリーブス。
ミッキー『ゴダイゴが売れた時、アイドルが売れなくなるから、音楽的に売れているグループは邪魔。皆で追い落とそうとすると関係者から聞いた』
MC、ショービジネスはエグイがそれが本音。
今井『ホリプロで石川さゆり、百恵が出てきた時、相手にされなくなった。』

しかし、GSはその後のは音楽業界を変化させた。裏方とプロデューサーへ。ムーブメントは70年代以降、花開いた。評論家が、専属作家性が無くなったのは革命。
宇崎『GSは日本のポップスに影響を与えた。GSブームが無ければ、今のJポップは違うものになった。』

最後の質問、あなたにとってGSとは?

鳥塚『思い出の渚の詞は僕。岩谷時子さんの詞の考え方とは違う。』
植田『体内からあれほどの熱量を出したことが無い、猪突猛進。』
島『加瀬さんに拾ってもらって、まだ仕事ができる。』


ミッキー『まさに青春、GSハイスクールに入ったみたい。自分で演奏して歌う、この楽しさ、嬉しい』

今井『スナックでギターを弾いていたら、ホリプロにスカウトされた』


三原『ブルコメに入る前に他でギターを弾いていたら、スカウトされた。ジャッキーさんの性格の良さが出会いを作ってくれた。』

MC、今も青春ですね!GSは出会いと青春です!

最後に「あの時君は若かった」



「GSを潰す作戦」については、以前に聞いたことがありますが、まさか~(笑)っと、思っていました。実際にその話を聞いたと言われると、本当の事だったのかと呆れます。森〇一さんと演歌のファン層は、GSのファン層とは違うと思うけど・・ 消えてほしかったのでしょうねGSに。ショービジネス界の、ライバル潰しには なんでもやりそうな恐ろしさは、よ~くわかりました。

GSは消えても音楽業界にそのDNAは消えない。何よりも、GS時代の熱気を私は忘れることはありません。ジュリ~♪ショーケン!! しかしGSを語るのなら、一番人気のあるタイガースとテンプターズの映像くらい流して欲しかった・・オックスも完全無視してましたね。。

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①GS I LOVE YOU 〜あの時君はすごかった!!

2020年12月29日 | タイガース・GS

J友さんから教えていただきました。こちら⇒文春のアンケート

『「紅白で本当に聴きたい歌手」ベスト20』で、ジュリーが11位です。ジュリーの画像が素敵!



今夜の『GS I LOVE YOU 〜あの時君はすごかった!!』

(出演)「ザ・ワイルドワンズ」の鳥塚しげき、植田芳暁、島英二
ミッキー吉野、加瀬邦彦の次男の加瀬友貴が出演。等
さらにゲストで、「ザ・タイガース」の加橋かつみ

他にはブルーコメッツの三原綱木さん達、パープルシャドーズの今井さん。コメンテーターに、元GSのマネージャーだった宇崎竜童さんら。

曲目はまさにこれぞGS!!という名曲ばかり・・もちろん、出演者に大いに忖度した曲目です。トッポはゲストの扱いだけど、ザ・タイガースを脱退したのにね~。他のメンバーは誰も出ないのに、こういう時はメンバー代表なのね、と、つい昔のことを思い出してしまう。

亜麻色の髪の乙女
夕陽がないている
エメラルドの伝説
君にあいたい
愛するアニタ
青空のある限り
思いでのなぎさ
青い瞳
北国の二人
ブルーシャトー
花の首飾り
廃墟の鳩
シーサイドバウンド
長い髪の少女
愛する君に
あの時君は若かった


出演者のGSメンバーの誰もかれもが70歳代以上で、あの熱気のあった1960年代の頃の若さはとうになく、声も昔のようには出ていない。けど、今も現役でやっているという誇りと矜持が、ギターを弾くそれぞれの指から見えた気がした。

嬉しいのはワイルドワンズの一員の、加瀬さんジュニアの存在です。加瀬さんの遺志を継ぐ、真面目そうで育ちのよさそうなジュニアの姿に、昔は少女のおばさんは、ついつい肩入れをしたくなるのだ。ええ息子さんがいはって、加瀬さんは幸せやね~

番組では、GSブームとはなんだったのか、何故 短命に終わったのかも考えてみようというのは、今までにない切り口です。

「GS時代のエピソード」の数々は、それを体感した本人たちが自分で語るので、とても面白かったです。

w・ワンズの島さん「それは凄かった。空港についたら、ワーワー我々の名前を呼ぶ、デビューしてちょっとしかたってないのに。人気というものを知りました。三か月くらいで、人気を感じる暇もないほど忙しく、マネージャーと四国のある街に泊まったら、乗る予定の飛行機が動き出している。マネージャーが飛行機の前で仁王立ちして、飛行機を止めた。ありえない、乗客に白い目で見られた。」「GSとは加山雄三さんが名付けた。」

ミッキー吉野「ゴールデンカップスは、なんてとこに入ったのかと思った。」綱木さん「ヒットパレードは生放送、G・カップスは、TVにサンダルで短パンで着て、着替えずに本番に出ていて驚いた。」

ザ・タイガースはモンスターバンドで、加橋さん(トッポ)はボーカル兼、ギターという紹介に、ちょっとひっかかるも、ジュリー自身が「皆が歌っていた」と話していたので、まあ いいか。人気のエピソードは?と聞かれて「寝る暇がなかった」という、アッサリしたトッポの答えでした。

「GSのファッションは喜んで着ていたのですか?」に、植田さんが「長髪グループと短髪グループに分かれていたが、同じ事務所のタイガースとは、衣装を張り合っていた。」「ミリタリールックは短髪のブルコメも着た。」「夏の冷房のない体育館で3回ステージ、中のシャツはべトベト。冷房が無いので、体育館に氷柱を立て扇風機を回した」「地方の体育館で大きな音を立てたら、何度もヒューズが飛んで、演奏が中断した」とも話していました。いかにも、60年代のエピソードですな。

ミッキー吉野「コシノジュンコ・デザインの衣装を作ってもらったのに、ハサミで切りまくり、ジャケット撮影時にはデザインが変わっていた」ミッキー「メンバー全員が放送で揃っていない時はよくあって、あちこちのTV局で出禁になった。」ジュンコさんは、あらゆるGSのユニホームをデザインしたそうです。

カルチャーに影響を与えたGSは、音楽業界を変えた。日本の音楽業界を根底から変えたのは、専属作家制度。という話に、これはまさに朝ドラ「エール」で、主人公が専属作曲家になっていたな、と思い出した。志村けんさん演じる大作曲家が、主人公と専属契約を結ぶようにと推薦したのだった。そういう制度は、自作自演のGSが変えていった。

放送作家の阿久悠さん、放送局のプロデューサーのすぎやまこういちさん、シャンソンの作詞家のなかにし礼さん、音楽ディレクターの筒美京平さんと、色々な人が詞や曲を書くようになった。ジャパニーズ・ポップスの始まりはGSです。詞がありそれにメロディーをつけていたのが、曲が先になっていった。

 

「悪貨は良貨を駆逐する」

これって単なるGSの噂にすぎないのかと思っていたけど、本当にそうだったらしい・・・

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TOKIOと、なかにし礼さん

2020年12月26日 | タイガース・GS

25日の、新日本風土記 スペシャル「東京紅白歌合戦」は、「東京に関する曲を募集」していましたが、ジュリーの「TOKIO」の画像と曲は流れましたが、曲に関するエピソードは無しでした。

ジュリーの「TOKIO」の二か月前にYMOの「テクノポリス」がジュリーより先に「トキオ トキオ」と言っていたと。どちらが先か後かは知らない、けど、そういえばYMOも言ってました。たまたま、同時期になってしまったのか。紹介されたエピソードはYMOの方だった。

番組エピソードは「東京ラプソディー」。集団就職のテーマ曲「ああ上野駅」。新宿歌声喫茶に響く青春の歌「神田川」「なごり雪」と、正直に言ってバラ色の東京✨・・というよりも高度経済成長を支えた人たちのエピソード。仰ぎ見る東京。この先は歌声喫茶も、そこに集う人も ますます減っていくんだろうな・・。

ドヤ街を歌う「山谷ブルース」など、私より上の団塊の世代に響いた曲が多く紹介されて、全般的に郷愁を誘い物悲しく、拓郎さんの曲も数曲が取り上げられて、独特の雰囲気でした。ユーミンの「中央フリーウェイ」で、歌の光景である競馬場や、ビール工場の景色が映ったのは良かった(^-^) 

最近の曲も取り上げられたけど、最近のは私の知らない曲ばかりでしたわ(笑)



なかにし礼さんの訃報が報じられましたが、また1人 昭和を代表する作詞家が亡くなりました。ソロのジュリーとはご縁はなかったけれど、タイガースでは「花の首飾り」の補作詞がすぐに浮かび、それだけなの?と思っていたら、とんでもない。ヤフーニュースの記事にも、仕事内容に「タイガースの作詞」としっかり書いてあった。

J友さんにもらった、ティーンルックかセブンティーンの記事は皺だらけのヨレヨレです💦「花の首飾り」は、一般募集の歌詞の 補作詞。

反対側はCCCのジュリー、こちらは安井かずみさん。

花の首飾り、そして 美しき愛の掟

「ヒューマン・ルネッサンス」のアルバムでは
光ある世界
リラの祭り
帆のない小舟
忘れかけた子守唄
雨のレクイエム

我が愛するタイガースの曲を沢山作詞されていたのだなぁ・・としみじみ。画像は昨日のクリスマス記事に貼る予定だったのに、忘れていた「白夜の騎士」をここでは全然関係ないのに、無理やり貼ります。こちらも一般募集の歌詞で、補作詞は橋本淳さん。

ザ・テンプターズ の「 エメラルドの伝説」もなかにし礼さん。作曲が村井邦彦さんだという事は、今でもよく語られるので知っていたのに、作詞がなかにし礼さんと気がついていなかった。GSはどの作詞も格調高く美しく、聴く者の心に響く歌詞でした。かと思えば、深くてエロティックな軟派な歌詞、正反対の硬派な歌詞、「石狩挽歌」の北海道のにしん漁を歌った歌詞は、一遍の物語のようで 後世に残る忘れがたいものです。

阿久悠さんが作家として取りたかったであろうに取れなかった、なかにしさんの直木賞受賞の著作「長崎ぶらぶら節」や「兄弟」は読みました。自伝的な「兄弟」がドラマ化された時は、兄役はタケシさんでした。

朝ドラになった「てるてる家族」のヒロインは石原さとみさん。モデルは奥様の家族で、作り話のようなほんとの話で、数年前にBSで再放送しました。大好きなフィギアスケートが登場するので、私には見逃せないお話でした。

たまたま、この秋に「てるてる家族」の舞台になった池田市に行ったら、公園に小説「てるてる坊主の照子さん」の、なかにし礼さんの記念碑がありました。

お目当ては阪急グループの創始者、小林逸翁記念館だったけど、池田市には再建した池田城などもあり、歴史と自然も豊かな街で好きになりました。また春になれば行きたいです。来る人は少ないので、大丈夫。

 

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※追記しました 「最後の日劇ウエスタンカーニバル」のパンフレット

2020年12月04日 | タイガース・GS

※下に、J友さんからのコメントを追記しました。

ちょっと後回しになってしまいましたが、先日のブログ「渋谷のお店「ランタン」に、最後の日劇の時の出演者のサイン」 

それを見たJ友さんから、最後の日劇のパンフレットの画像を送っていただきました。



「最後のウエスタンカーニバル」のパンフレットを、何故か持っています。表紙とジュリー(コメント部分の拡大)・オールウェイズのページを送ります。

タイガースの出演はギリギリで決まったので、パンフレットにはありません😞💨

表紙

ジュリー

オールウェイズ

下の出演者の名前は、ランタンの壁に貼ってあったものと同じです。やっぱり黒田征太郎さんの文字でした。

「タイガースの出演はギリギリで決まったので、パンフレットにタイガースの画像はありません😞💨」

それは何故でしょう。

そのお言葉のとうり、1980年末のYOUNGの記事には、出演者の欄にザ・タイガースの名前はありませんでした。私はジュリーは出演場面は少ないだろうし、日劇に思い入れもなく、遠征までして観に行こうとは思いませんでした。タイガースが出ると知っていたら、行ったかも・・

※追記(J友さんの最後の日劇の思い出)

私も最後の日劇を観に行きました。他の人が花束をファンから貰ってるのに、ジュリーにはなくてラストの日に友と一緒に、ひとつの花束を日劇入り口の花屋で買って、ジュリーが歌ったあとに友と渡しました。掟破りと解ってましたが、ありがとうと握手までしてくれました、数分の出来事でしたが、今でも柔らかいジュリーのての感触が残っています、あの時は勇気が有りました!


当時の週刊誌の記事をJ友さんから頂きました。

1971年にザ・タイガースが解散してから、当時で10年。メンバーはバラバラに活動していましたし、即座にタイガースを再結成とは難しかったんでしょうね。慶応高校の教師のピーとは、連絡も取れなかっただろうし。

最後の日劇の舞台にタイガースが出るについて、ピーは参加はできなくても、再結成の連絡と承諾を得たかったのでは。その連絡が取れないがために、タイガースの名前を出演予定に書けなかったのでは、と想像しています。皆が揃わないと、勝手にタイガースとは軽々しく名乗らないところが、ジュリーらしい律義さですね。


 

当時の週刊誌の記事をJ友さんから頂きました。

脱退というショックをファンに与えて、突然やめてしまったトッポは、昔のことなど忘れたように最後の日劇のステージにタイガースとして参加。反対にピーは、消息はわかっていても 会うことすらかなわない。

ピーがいる全員が揃ったタイガースの姿が見たい!でも頑ななピーは、タイガースの時代を自ら拒否し、絶対に帰ってきてくれないんだろう。

タイガースのファンとして、そんな絶望的な気分で長いあいだ 過ごしておりました。

そんなピー先生は、今は昔を取り戻すかのように精力的に活動しています。京都にお帰りなさい(^-^)

 

続く・・

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