goo blog サービス終了のお知らせ 

(移転しました)Saoの猫日和/old

saoの猫日和のURLが変わりました。
⇒ https://blog.goo.ne.jp/saoneko0224

GSブームはザ・タイガース、沢田研二が登場したからこそ爆発!

2022年02月06日 | タイガース・GS

 紹介しようと思いながら忘れていた、去年の週刊朝日11月の記事⇒「タイガース・メモリアル・クラブ・バンド」伝説のコンサートがDVDに

タローさん、真木ひでとさん、三原綱木さんの3人がインタビューに答えています。ジュリーほどではないけれど、野口(真木)ヒデトさん三原綱木さんは、好きだったのよね(^^♪ 気になるのが、この記事の中に『GSブームがなければ 沢田研二や萩原健一、堺正章らも世に出ることはなかった。日本の音楽界、芸能界はずいぶんと寂しいものになっていただろう。』

い~え!違います。ザ・タイガース、沢田研二が登場したから、GSブームは爆発したのです。

タイガースが、ジュリーが登場しなければ、GSブームは音楽のひとつのムーブメント、一分野に過ぎなかった。そのタイガースの後を追ったのがテンプターズで、タイガースがいなければ、ショーケンが登場することも無かったかもしれません。

間違いなく、ジュリーが登場したからこそのGSブームだったと言えます。


昨日はザ・タイガースのデビュー記念で、新宿ACBの元支配人さんが書いたコラムを引用しましたが、本を眺めていたら、今まで気になっていたことについて、いくつか気になる発見がありました。

内田裕也さんを紹介する箇所

裕也さんの当時の気持ちが切ないです・・💦

その裕也さんの紹介ページに『上京前、関西で佐川満男とともにギンギンのロックバンドを結成。・・その後、上京しナベプロに所属、ダブルビーツとして田川譲二とともに活躍。』

と書いてありました。去年ジュリーがMCで、田川譲二さんは亡くなられたと話していましたが、裕也さんと田川さんが組んでいた時もあったのね。田川さんについては、ミュージシャンであったのだろう、としか想像ができなくて。(裕也さんは、何度もバンドを結成しています。)

朝ドラ「カムカムエブリバディ」に東京の芸能プロ社長役で出演していた佐川満男さん。朝ドラを見ながら、この時代(1960年代前後)佐川さんと裕也さんは、大阪のジャズ喫茶で一緒になっていたんだろな、と思っていたら、まさに当たりでした。

カムカムの佐川さんの役柄紹介

歌手だった佐川さんは今は俳優として、関西弁が喋れるので、大阪のNHK制作の番組によく登場しています。去年の朝ドラ「おちょやん」にも登場しました。「カムカム」では珍しく東京人の役でしたが、今回は当時の音楽シーンを知る、元ミュージシャンとして、起用されたのでしょう。ジュリー主演の「ふたつ愛」では、ジュリー演じる医師を訴える役で共演しています。

ついでに私が一昨年、歴史ウォーキングで訪れた、神戸の新開地。そこに昔あった劇場の出演者に、佐川満男さんの名前があった。それは私が産まれる前の新聞記事で、佐川さんはまるで歴史上の人物やんか。と思いましたわ(^-^; 今でも活躍は、素晴らしいです。

【関西レジェンド伝】佐川満男(1)難波のジャズ喫茶で内田裕也と歌った

【関西レジェンド伝】佐川満男(2)難波のジャズ喫茶で内田裕也と歌った

 



今日はTVでオリンピック三昧、素晴らしい選手のパフォーマンスに大興奮してます~! メダルを取った選手、おめでとう~!!逃した選手もよく頑張りました✨ これから登場する、神戸出身のフィギアスケートの坂本香織さんを応援してください!!

コメント (2)

2月5日はザ・タイガースがデビューした日

2022年02月05日 | タイガース・GS

2月5日はザ・タイガースがデビューした日です。

あれから、もう55年も経ちました。

タローさんのブログ⇒デビュー55周年

ピーのブログ⇒石巻会場下見みのる

2022年5月11日に「レコードデビュー55年記念石巻コンサート」を行います。



 

私は「僕のマリー」でデビュー当時のザ・タイガースは

まだ知らなくて、「シーサイドバウンド」で

凄い人気だ!と周囲で騒がれ始めてから

気になっていました。

小学生の夏休みの終わりも近い日に

同級生のお宅に遊びに行ったら

雨がシトシト日曜日♪と、一緒に歌いながら

ザ・タイガースのレコードをかけてくれて

へええ~ 人気があるのね~

「モナリザの微笑み」のレコードジャケットを

シゲシゲと眺めました。

 

その後、たまたまTVに映ったジュリーの綺麗な

白い顔を見た途端に、

ジュリーが心の中に入り込んでしまい

その日から忘れられなくなりました。

産まれて初めて、人を美しいと認識しました。

その日から55年・・

ジュリーも私もすっかり歳をとりましたが

気持はずっと変わることはなく

今に至っております


 

新宿ACBの支配人だった井上さんの本より

デビュー当時のザ・タイガース

拡大

デビュー当時の彼らが、55年後の

自分達の姿を思い浮かべることは

なかったことでしょう。

ファンもまた、いまだに彼らを追いかけて

いるとは思っていなかったと思います。

 



ようやく発売になるようで、安心しました(^-^)

 

コメント (4)

(1989年)タイガース メモリアル クラブ バンド in 横浜アリーナ、DVD発売

2022年01月25日 | タイガース・GS

ピーのブログ⇒半世紀+1年



タローさんのブログで⇒ タイガース メモリアル クラブ バンド in 横浜アリーナ

1989年6月10日、横浜アリーナでタイガース メモリアル クラブ バンドのライブが行われた。 

ザ・タイガース、加瀬邦彦とザ・ワイルドワンズ、ザ・ゴールデンカップスが再結成された。それに他の人気バンドのメンバーも多数出演した。 

こんなに多くGSの人気者が出演したライブは、おそらく日劇ウエスタンカーニバル以来だと思う。その時のDVDがやっと発売されることになった。



前に、タイガース メモリアル クラブ バンド(1993)のDVDが発売されていますが、先日、新聞にNHKのDVDの広告が出ていました。

(拡大)ジュリーは出演していないので、申しわけないですが興味は有りませんでした。

ところが、今度はジュリーが出演した、TMCBの横浜アリーナのDVDが出るわけですね!

1989年6月10日、横浜アリーナで行われた、タイガース メモリアル クラブ バンドのライブには行きました。

①タイガース・メモリアル・クラブ・バンド(TMCB)

②タイガース・メモリアル・クラブ・バンド、ジュリーも青くなる「青い鳥」

「タイガース メモリアル クラブ バンド in 横浜アリーナ」は、当時はNHK(民放かも?)と、BSで放送されました。BSの曲目には、総合では放送が無かった「青い鳥」や「懐かしきラブソング」もありました。

NHKさん、ジュリーを出せば売れるとふんだのでしょうか。ジュリーが出演した、他の多くのNHKのドラマもお願いいたします。



今回発売の曲目は

  君に会いたい

  長い髪の少女

  好きさ好きさ好きさ

  小さなスナック

  スワンの涙

  夕陽が泣いている

  ノー・ノー・ボーイ

  ブルー・シャトー

  たどりついたらいつも雨ふり

  銀色のグラス

  青空のある限り

  僕のマリー

  君だけに愛を

  シーサイド・バウンド


当時 総合?で放送したものには、他に「未来への花束」や「ツイスト&シャウト」がありました。BSの放送には他に「青い鳥」「忘れられたラブソング」もありました。アルバムが発売されているので、そこには全曲が納められていたのかもしれません。なにせ、出演者が多かったので、曲目も多かったはずです。

1989年の横浜アリーナの広いステージには、赤い衣装のジュリーを中心に、大人数の出演者たちが並んでいました。60年代末のタイガース時代から約20年もたって、40代になったGSのジュリーのステージが見られるのは嬉しいです(^^♪

コメント (9)

きょうは何の日、1月24日 1971(昭和46)年 ザ・タイガース解散

2022年01月24日 | タイガース・GS

ピーのブログ⇒半世紀+1年


J友さんから、新聞記事を頂きました。

高知新聞朝刊

きょうは何の日

1月24日 1971(昭和46)年

ザ・タイガース解散

「初詣ライブの余韻に浸っています」

と言われるJ友さんが

『花の首飾りじゃなくて、君だけに愛をっていうのがいいですよね~』

ほんとだ、「花の首飾り」は書いてない。

心の中で小さく両の手を握る(^-^;


 

以前に、当時のYOUNGの記事のコピーを頂いていました。

文字の部分を拡大しました

「タイガースの名は永久に不滅のものとなった」

記者さんは、その場の興奮のあまりに

書いたのかもしれない。

それから50年後のことなんか、考えていなかったでしょ。

きっと。

「不滅」

半世紀以上もたった2022年になっても

勿論 この先も

ザ・タイガースの名前は永久に不滅です。

コメント (4)

モンキーズ&タイガースのテーマ

2021年12月15日 | タイガース・GS

twitter情報を頂きました。森田芳光監督の妻、三沢和子さんのインタビューが、読めます。『ときめきに死す』の箇所のみ抜粋。

宇多丸・三沢和子=編・著『森田芳光全映画』
早すぎた『ときめきに死す』

三沢: よく「早すぎた」って言われていて、例えば当時は全然評価されていなかった『家族ゲーム』の次の作品の『ときめきに死す』っていうのも、あんまり褒められた記憶がなくて、それが今になって森田の作品の中で一番人気ぐらいになってるんですよね。ちょっと早すぎたことは間違いないかもしれません。


『ときめきに死す』が、森田監督の作品の中で、いまや一番人気になっていたとは知りませんでした。そういえば各地で何度も上映されています。CSの放送も多多ありますが、これはひとえにジュリー人気のせいですね(^^; 正直に言ってどちらかといえば難解・・です(汗)



 

先日、私の小学生時代のアイドルが、また1人天国へ旅立ちました。モンキーズのマイク・ネスミスが亡くなりました、78歳。 ミッキーと2人で、さよならツアーを11月までやっていたのですね。残るメンバーはミッキー1人だけで、本当にさよならになってしまいました。

J友さんは68年に、武道館で来日したモンキーズのショーをご覧になったそうです。

神戸新聞

小学生時代は家から帰ったら、夕方からモンキーズのコメディ番組が放送されていて、いつも観ていました。あんまり笑えないギャグもあったけれど、デイビーは可愛かったなぁ。やっぱり一番デイビーが好きでしたが、他のメンバー達も、それぞれが個性があって好きでした。何度も何度も再放送したので、しまいめには飽きてしまいましたが(^^; 

朝日新聞

朝日新聞の記事の「アイドル的な人気を獲得した」。

「アイドル的」というのは違うと思います、モンキーズは紛れもない「アイドル」だからです。演奏が出来ないとか、寄せ集めとか、昔は色々言われていましたが、ビートルズとは違うけど、4人は親しみやすく、音楽も明るく楽しくて素敵で、今も忘れないヒット曲がいっぱいありました。

もう10数年も前ですが、アメリカの青少年向けのドラマを見ていたら、60歳くらいのデイビーが登場したので、わ~デイビー!!とビックリ!!

ドラマの主人公の若い女の子がキャ~!デイビー・ジョーンズよ!!と興奮していたので、モンキーズのデイビーは今でもアメリカで人気があって、リスペクトされているのだと知り、嬉しかったです。その数年後の2012年、デイビーは66歳で亡くなってしまい、たいそうショックを受けました。

モンキーズといえば「モンキーズのテーマ」

モンキーズを知らない人も有るでしょうが、「タイガースのテーマ」はもちろん、その曲名を変えただけ(^-^) 

1981年の同窓会の「タイガースのテーマ」

2013年の白髪おじんチームの「タイガースのテーマ」

ドタドタ足を上げる様子がおかしくも楽しいです(^^♪

1981年から2013年、ジュリーの歌声の違い、体形の違いも楽しめます(^^♪

コメント

船橋ヘルスセンターでGS時代のジュリーを見た記憶

2021年11月21日 | タイガース・GS

昨日のブログのコメ欄に「GS時代のジュリーを見た記憶」をいただきました。


GS時代のジュリーを見た記憶 (武田の赤備え)
2021-11-21 
通りすがりでございます。昔々、船橋ヘルスセンターが千葉にありました。とても大きな施設で、会社のバス旅行にも使われていました。偶然、父親の会社のレクリエーションの日と、ザ・タイガースのコンサートの日が同じ日で、体の小さい幼稚園児であった私は、楽屋裏に(偶然)入ってしまいました。ジュリーは知っていたので、見たとたんに硬直した私を、「かわいい子だねー」と頭を撫でてくれました。その他のメンバーの人にも可愛がられましたが、迷子になった私は親にひどく怒られました。


上のコメントを読まれた千葉県のJ友さん達より、相次いでメールを頂きました。

Fさん『ずっと前から、(船橋ヘルスセンターは)船橋ららぽーとなって、何度も行きました!
タイガースとか、全員集合の公開録画が有りました😊
船橋のジュリ友に船橋ヘルスセンターの話しをしたら、地元なのでよく行っていて、多くのGSはプールでショーをしていたが、タイガースは(ファンが集まり過ぎて)危ないと言う事で、大劇場でする事になったそうです!』

Yさん『ブログのコメントを読んで思わず✉️しました。
船橋ヘルスセンターは初めてジュリーを観た、想い出の場所😍
中学生だった3人はタイガースのステージに初めて参加。爆音の中、ジュリーをしっかり観てました(笑) 懐かしいです。』

お二人もから、船橋ヘルスセンターに関するメールを頂けるとは思いませんでした。関西人のわたしでも船橋ヘルスセンターや、後継のララポート船橋の名前は知っています。関東圏、とりわけ千葉県民の方にはザ・タイガースのショーとともに、懐かしい思い出だと思います。


(wikiより)船橋ヘルスセンター(ふなばしヘルスセンター、1955年11月3日 - 1977年5月5日閉館)は、かつて千葉県船橋市浜町に存在した総合レジャー施設である。

全盛期にはザ・タイガースなど当時の人気歌手・グループによる「歌謡ショー」が屋外ステージで行われたほか、人気テレビ番組『8時だョ!全員集合』(TBSテレビ)の公開放送も行われた。また、ローラースケート場はTBSが中継を行っていた国際プロレスの試合会場としても使用された。


船橋ヘルスセンターも、ララポート船橋も、私は関西人だけど知ってる・・。と書きましたが、1980年代初めにTOKIOに住んでいた時、ラジオから開業間もないララポート船橋のCMがいつも流れていたのを思い出しました。あの時に、ララポ船橋の名前が脳裏に摺りこまれたのかもしれません(^^ゞ



後回しになってしまいましたが、11月6日の朝日新聞be

私の The Best!

オシャレなピーの必需品は、ネッカチーフだそうです。

最後に、亡くなったザ・タイガースの中井マネージャーの事が書いてあって、胸がつまります。

コメント (5)

明月荘跡は今

2021年10月23日 | タイガース・GS

ちょっと、淋しくなってしまったお話をJ友さんから伺いました。

ファニーズが青春時代を過ごした西成区の明月荘跡に、

現在 新しい住宅が建築中だそうです。

元は、けっこう広い面積でしたからね。

大きなお宅が建つんじゃないでしょうか。

更地ならともかく、新しい家が建ってしまうと

元の建物の記憶は、完全に消え去っていくようで、

淋しい限りですわ・・💦

ここに一世を風靡した、時代を創った大スター達が

若い無名の時代に住んでいたと、どこかに小さな

説明プレートでも、設置してくれないかな・・

なんて思います。



 

某国民的人気歌手の、Sさんのコンサートの広告が、昨日の朝刊に載っていました。それも明日の日曜日の滋賀と、水曜日の神戸国際会館、11月末の大阪フェスは二日間。いつもならすぐに完売しそうなのに、こんなにギリギリまで広告が出るなんて、Sさんでは珍しいことです。

さすがに、明日の滋賀は完売したようですが、コロナ禍の今は、人気者でもなかなか売りにくい状況なんだと知りました。ファン層でいうとジュリーと同じくらいか、もしかしたら さらに上かもしれない。高齢者はワクチンを打っても、密なライブに二の足を踏むのに、この私は命知らずなんやわ(・・;) でも行かずに後悔はしたくないの。

Sさんのような、国民的人気者でもこれなんだから、エンタメ業界全体の苦境が目に見えるようです。(宝〇だって売れてない・・)ジュリーが前のように全国各地でライブを開催できますように。

コメント

君たちは親につけて貰った名前はないのかね

2021年10月17日 | タイガース・GS

昨日のサリーの記事で、思い出しました。昔、佐藤栄作元首相を讃える会に参加していたタイガースですが、佐藤首相が、当時は芸能界の作る団体の会長、後ろだてだったからです。

讃える会と言うと、どこかの国みたいで、あやしくなりますが、佐藤首相、芸能界を守ってくれて有難うの会、と言った方が良いのでは。たいして変わらないかな?(^^;

当時の週刊誌のとても小さな記事を今でも覚えています。会に参加したタイガースの面々が、それぞれ名前を名乗るときに、ジュリーです、サリーです、タローです!と名乗ったところ、

佐藤栄作首相が『君たちは親につけて貰った名前はないのかね』

と、言ったと書いてありました。なんだかおかしくって、もう半世紀以上たちましたが、いまだに覚えています。※(真偽のほどは知りません)

※コメ欄で、週刊誌ネタは記者の捏造であると、ジュリー自身が否定したとコメントを頂きました。多分記事は、週刊平凡か明星だと思います。



 

いつまでも秋らしくない日々が続いている、と思っていたら、明日は一転 11月の天気になるそうです。ガーデニングもやらなくっちゃ・・

J友さんから、あけびが実りました、と画像を頂きました。あけびは、買うと1個でもとても高いんです。

うちのペチュニア

ニチニチ草が、秋になって元気になってきました。

 

コメント (3)

シローの一周忌

2021年08月31日 | タイガース・GS

日が過ぎてしまいましたが、8月28日は、早いものでシローの一周忌でした。

下の雑誌の切り抜きは、シローがタイガースに入って、間もない頃のもの。

タイガースにシローが入る原因を作ったトッポが、週刊誌のインタビューに答えています。⇒岸部四郎さんの一周忌、兄・岸部一徳が初めて打ち明けた「複雑な胸の内」

シローが亡くなったあとも、寺内タケシさんら、GSのスター達が亡くなったのがとても寂しいです。

コメント

熱狂のタイガース②(ジュリーがいた)

2021年07月02日 | タイガース・GS

昨日発売の週刊文春の連載、「ジュリーがいた」は、熱狂のタイガース②

そこに書かれているのは、まさに私が見ていた当時のタイガースのこと。田舎の小学生だから、タイガースの合宿所に押しかけたりすることなど無く、「世界は僕らを待っている」を見に行ったりも出来ず、明治製菓のチョコも買わず、子どもらしく、ただ、ジュリーとタイガースをTVで見て、憧れるだけだった。メンバーの京都の家には、21世紀の今でも行ったことはない。

TVでタイガースを見るだけの私でも、文中に出てくる「週間マーガレット」に「週間少女フレンド」は見ていた。私はどちらかというとマーガレット派で、少女フレンドは家が向かいにあった、幼馴染に見せて貰っていた。文中に1972年には別冊マーガレットは100万部に達したとあって、中学生時代は必ず楽しみにして買っていたと、今回の記事を読んで、ほんとに懐かしくて懐かしくて仕方がないわ〜!

「キャロラインちゃん物語」あった、あった!!ケネディ大統領の娘のキャロラインさんが、後に駐日大使になって日本に来た時は、けっこう嬉しかった(^^♪ 大統領の遺児である、あの幼い少女が、今は皺のあるおばちゃんになって、、と感慨深かったけれど、自分も同じく歳をとっているんだけどね。

マーガレットや、りぼんで連載されていた「ザ・タイガース物語」「沢田研二物語」はもちろん読んだ。本当はジュリーは「感動スター・ドキュメント」などには取り上げて欲しくなかったのではないか?と思うけど、ジュリーの妹さんの名前も顔も、そういう物語で知り、今も親近感を覚えている。

文中に『週間マーガレットに、タイガースのユニフォーム募集が載り、この時の応募総数は18万以上という驚異的な数だった。』とあって、取り上げてくれて、島崎さん有難う~!!感謝感謝✨ もうこれは、今でもとても良く記憶していて、2014年に「マーガレット展」がデパートで開催された際に、ブログに書いている。


(以下は、2014年10月のブログから、一部抜粋)

その時の展示から

元記事が小さくて、豪華な審査員が誰だかわかんない('_')

結果発表がマーガレットに載った記事は、いまだによーっく覚えていて、見開きの巻頭グラビアページに、選考に残った数十点のデザイン画が、ズラーーーっと掲載されて、それは壮観だった。

最終選考に残ったデザイン画は、さすがに みな絵が上手くて、子供心にとても感心して見た記憶がある。ジュリー自身のイラストがとても魅力的に、プロ並みに上手にかけていたものは、いまでも目に浮かぶ。素敵なデザインばかりで、どれがいいのかわからない!選ばれるのはどれかと、本当にワクワクした。

選ばれたデザインが形になり、実際にタイガースのメンバーが着用したのがこれ


実は、デザイン画の時の方が、もっと素敵に良く見えた・・・(・・;) 

正直、ユニホームになったら、あれ?なんかちょっとデザイン画と違う、当時流行りのヒッピー風の胸の刺繍がビミョーで💦
デザイン画で見た時は、胸の刺繍の柄がと~っても素敵でエキゾチックで、他にはないデザインだと思ったのに。インド風の刺繍が決め手で選ばれたと思うのだけど、実際に服になると、微妙でね~。デザイン画と、縫った服の出来上がりは違うものなのね・・と、小学生の私は知った。

実際にユニフォームになったら、エキゾチック、といえば聞こえはいいが(ヒッピー風という)どこかから、うっとうしくも暑苦しい~風が吹いてくるような気が・・ 服になる前のデザイン画の時は、とても良かったのに。

ジュリーにヒッピー風は似合わないと思う。タイガースはやっぱり、垢抜けたヨーロピアンよね。しかし、もう一度見たい!あのマーガレットに掲載された、最終選考に残ったデザイン画の数々・・・国会図書館になら、あるのだろうか?見たいなぁ。

マーガレットは、いっぱい持っていたけれど、親にいつの間にか全部捨てられてしまった。おそらく、誰もが親に捨てられたんじゃないだろうか。ジュリーの記事だけを残しておけば良かった、なんて今は思うけど、子供の時は、そんな考えは残念ながら思い浮かばなかったのだ。

コメント (9)