長生き日記

長生きを強く目指すのでなく良い加減に楽しむ日記

155  カチューシャの唄

2016-03-26 23:49:09 | 日記
 今日は「カチューシャの唄」の日なんだそうだ。大正3年に発表された日本の 歌謡曲で大流行した歌だ。僕も歌える。聴くならば鮫島有美子さんがよろしい。カチューシャはロシアの女性名、エカテリーナの愛称である。カーチヤともいうようだが、場合によっては小さいこのころはカーチヤ、少し長じてカチューシャ、立派なご婦人となるとエカテリーナ、となることもあるようだが、よくある名前なので、はじめからカーチヤ、あるいは初めからカチューシャと区別されていることも多そうだ。僕のよく知っっていたカーチヤはアメリカにいてメール付き合いしていたが最近連絡がない・していない。どうしているだろう。♫同じ姿でララゐてたもれ♫

154    人工知能

2016-03-25 23:42:37 | 日記
 人工知能がすごくなっている。自ら学習して能力を高めていくようだ。まあその方式を考える人のほうがいまのところより賢いのではあるが、やがては・・というところだろうか。臨界の日と言うらしい。碁では人間の強い人とほとんど同じくらいにできるようになったが、神業に達するにはもう少しかかるのかもしれないが、まあ時間の問題だろう。人工知能だと、焦るとか、つい遊んでしまうとかいうことはないのだろうか?人工知能が人間より強くなった後、人間同士の対局モチベーションが下がるか、上がるか、不変か興味あるところである。碁以外のゲーム、国際軍事、政治対応も人工知能でやることになるのだろう。想定外の対応についても、と言うか全て想定の範囲で事が行われるのだろうか。いやいや。
 「囲碁とは、二人で向かい合って、白石と黒石を交互に並べ合う、ただそれだけだと退屈だからたくさん並べられる方を勝ちとするように少しルールを決めて、二人で楽しく過ごすものだよ」と祖父が言っていたようだ。

153   位を高く

2016-03-24 23:42:23 | 日記
 昨日は、体調不良もあって10日ほど行けなかった弓道の練習に行ってきた。また叱られるんだろうなあと開き直ってにこにこしていったら、ベテラン中堅の女性が、「ワタナベさんは弓道が楽しいですかあ?」とおっしゃる。その人は最近どうもスランプのようで、射の後に首を垂れてああだこうだと考え込んでいる。上の人達は、勝手がどうの、押手がどうのと助言されている。僕が言うのはおこがましいが(だから言わないが)、僕の診るところ、その人の射は最近位が低くなっている気がする。こういう場合は、勝手がどうの、押手がどうのと考え込まずに、位が高いとはどういうことか考えて、そしてなぜそうなっているかを考えて、自分の弓道の原点と現状を比べて心に余裕を持たせるのが良いのだと思う。そうはとても言えないので(上の人たちもいるし)、(僕がにこにこしているのは)「まあ、弓道はおおらかにやろうと思ってますんで」と答えた。それが通じてその方がスランプを脱出するとよいなあ。
 そのあとの講習では、「また、摺り足ができてない」、とか「射だけじゃない、入場から退場までが弓道だ」とか想像通り叱られたが。久しぶりにしては、まずます六割ほどはあてることができた。ふふ、いやこうやって慢心するのは(僕の)弓道じゃないぞ、もっと位を高く保とう。

152     花と兵隊

2016-03-23 23:43:43 | 日記
 念のために検索したら、火野葦平がこういう題の小説を書いているとか、最近のタイ・日本合作映画に同名のがあるとかだが、それらとは関係なく・・・。
 短歌結社誌の書籍紹介に『詩歌と戦争』中野敏男著についての短文を書いたのだが、昨日の短歌会でメンバーのご婦人から「さっそく図書館で借りて読んだのよ」と言われて少しうれしかった。この本の骨子は詩歌も戦争翼賛、国家動員体勢に働くのだよ、白秋の「この道」などの郷愁や抒情もうっかりできないぞ、と言うものだ(いや、こんなに短文では誤解を与えるといけないので、気になる方は本を読んでください)、いや、これも日記の前振り。
 春になってよそのお庭や公園の花、花屋さんの店頭などきれいなものが多くなっている。近所の公園の写真だが、こんな公園はたくさんあるだろう。そういった作業をしてくれる(たぶん)ボランティア団体さんご苦労様です(本心から)。ただ、このような「○○隊」(きれいにし隊、見守り隊とかいろいろあると思われるが)、と言うのは、気持ちはわかるが何となく俗な感じで好きなネーミングではない。本当にそういった気分だけの理由だ。ただ、こういう活動は国家動員体制につながるとケチをつけられそうだなとも思い(ケチつけそうな動きも嫌いだが)、また本当にほんの少しそういう作用もありうるとも思うが、どんなものだろうか。

151   今日は水の日

2016-03-22 23:34:29 | 日記
 夫婦二人とも風邪だか何だかで調子が悪い日が続いている。僕の方がまだましなので、今日は区の短歌連盟の仕事、いや用事と午後からは短歌会。「妻は臥せっております」と説明にくれる。食欲がないが水分は摂らなければならないのでがぶがぶと白湯を飲む。今日は世界水の日とかで、まあ水に関心を持とうという日。水関係の人間だったので日記に書こう。すぐ役に立つ技術的な面ではなかったが、大局的に言えば人が利用できる淡水、水域を守ろう的な面につながる仕事だった。上水、下水系の仕事の人とも関連があった。だからというか、こじつけかもしれないが、普通に飲める水が好きで、ペットボトルの水を飲めとか浄水器絶対とか言うのは好きではない。世界的に言えば、良好な淡水が容易に手に入る人はそれほど多くはなくて、淡水資源が重要で、今後さらに重要になるとか言われているので、おおむねそうなのだろう。日本は本当に水に恵まれている。海水の淡水化をすればいいと言っても、そのエネルギー、廃棄物、内陸への供給方法など大変である。うまいこと陸地に広く適度な量の降水があるといいのだけれど、それを実現するためにはどうすればよいのだろうか。など、まあ水問題を考えたい日である。幼いころ千川上水の水路でバッタをとったりして遊んだ。東京は人が増えすぎた。やっと試行が始まった省庁移転ではやはり東京が良いとの消費者団体などの反対が出ているが、こういうのは政府が強引にやる方が良いのではないか。話題がずれた。