脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

Mono Fontana。

2016年03月12日 18時22分23秒 | 音楽
日本で「アルゼンチン音響派」として知られるミュージシャンたち、
フアナ・モリーナ、アレハンドロ・フラノフとかフェルナンド・カブ
サッキ等だが、ダントツで支持したいのは、モノ・フォンタナである。

フアナ・モリーナの『Segundo』も名盤だけど、フォンタナの『Cribas』
を聴いたとき、久々に自分が求める音楽と出会えたと、嬉しくなった。
「音楽」というよりは、まさに音響空間の提示なのである。絵画や映像
のように、「音」を視覚的な「像」として表現しているかのようである。

例えば、古びた洋館の、ほとんど調度品も何も置かれてない無人の一室
が目蓋に浮かぶ。部屋の扉を開けると、淡い午後の陽差しが板間の床を
照らしている。大きな窓を透かしては、遠景には何もなく、青空の下で
木々が揺れている。風がカーテンを少し翻したりしている。

そんな情景に、時計が時を刻む音が響く。風の音も聞こえる。ピアノの
ような音が、空白の室内にこぼれて、水のように流れる。音と音が水の
ように戯れる。ドビュシーやラベルのような「水」とも異なる、ピアノ
の水音である。ゆったりとして幻想的な水音ではなく、より現実的で変
化に富んだ、小さな流水の彩りが呟いているような、音と響きである。

こんなフォンタナの『Cribas』を聴いていると眠たくなる。私は、自分
を眠らせてくれる音楽が大好きである。優れた音楽はヒトを興奮で目覚
めさせるか、気持ちよく豊かに眠らせるものかのどっちかだと思う。

私は、自分を眠りへと解放してくれる音楽に浸っていることが好きであ
る。そんな音楽に微睡(まどろ)んでいる時空にあるときが、人生の至福
の一刻であると思うから。

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