脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

ビートルズがやって来た頃。

2016年07月02日 08時31分18秒 | 音楽
今年の6月29日は、ビートルズ来日50周年だった。1966年の同日
未明、東京の羽田空港に彼らは降り立った。当時の日本は、ロック音楽
未開の地だった。ビートルズに憧れて都心をうろつく何千人もの未成年
者たちが、騒動を警戒する警察の取締りで補導されたという。

1966年6月、私は東京の下町で小学校2年生になったばかりだった。
遥か時の彼方、50年前である。当時は東京といえども、都心や幹線道
路以外、道はまだ土がむき出しで、アスファルト舗装がされていなかっ
た。木造平屋の民家も多く、高い建物がないので、空も広く大きかった。

そんな頃の東京にビートルズはやって来た。ビートルズが何のことかも
知らない子供にとっても、50年前の6/29は、周囲の空気がいつもと違う
ことは感じられた。私の家には、明治生まれの祖父母に昭和一桁の父母
の、四人の大人がいたが、ビートルズを報じる白黒TVの映像に皆揃っ
て眉をしかめ悪口を言っていた。

祖母は私に、外国から怖いのが飛行機で来て大変だと言っていた。何を
しに来たの? 祖母は、何をしだか知らないが、皇居の方では、お巡り
さんがあんなにいっぱいだから、悪いことをする奴らに決まってると言
う。そんな悪い奴らがどうして日本に来れるの? 悪い奴らだけどエラ
イんだかで、しょうがないとか、しわくちゃの顔を曇らせていた。

かくの如く1966年当時、東京下町の町工場だった我が家の大人たち
は、ビートルズというのが何なのか、全く理解していなかった。それは、
音楽グループでさえなく、海賊だか犯罪者集団に近いイメージをもって
恐れられていたのだ。今思うと、まったくおかしな話なのだが、当時の
低階層な庶民の文化レベルでは、新規な海外文化を受け入れる理解力も
その器も持たないヒトが大半だった。

だからこそ、1966年のビートルズ来日は、日本の戦後文化史・音楽
史にとっては、いや日本社会全体にとっても、一大社会事象だったと思
う。ビートルズは来日したのではなく、まさに台風のように日本に「上
陸」したのだ。未だロック文化未開の地=日本に、高い空から舞い降り
てきた。それは「自由」という別名が刻まれた、新たな時代のグローバ
ル文化の「黒船」だった。

ビートルズは、もはや戦後でさえない世界に、新しい音楽文化の幕開け
を果たした。世界各地彼らのコンサートでは、絶叫し涙を流し興奮から
失神しさらには失禁までする少女たちが続出した。この現象は、ビート
ルズ以外のロック・コンサートではあまり聞くことがない気がする。

彼らの斬新さと比類のない魅力に、最初に電撃に打たれたのはティーン
の少女たちだった。だが未だ、彼女たちの身体は抑圧管理され過ぎて硬
直していたのだ。絶叫が失神が、彼女たちを自由へと解き放った。それ
が、当時の大人たちは決して判ろうとしない、Beatlesという体験だった。

Beatlesという輝きに魅せられて熱狂に酔い、彼らの音楽と心身が共振
するとき、絶対的で不可侵な「自由」(それは、自分とは掛け替えのな
いこの自分であること、そんな自分を肯定し抱きしめること)、そんな
身震いするような電撃的瞬間が訪れる。耳で聴いていたのではない。肌
身の全身が震撼したのだ。それが、Beatlesを体験するということだっ
たのではないだろうか。

世界大戦終結後という、非戦平和への移行期に、たまたまリヴァプール
出身の四人の若者の資質と音楽が、強烈な熱狂体験を世界中にもたらし
た。音楽やファッションから世界観や人生観までも、若い世代が彼らか
ら受けた影響は計り知れない。ビートルズは、音楽・演奏というものを、
万単位の人間を動員するコンサート形式に昇華させたが、ポップ音楽に
そんな集客や熱狂の力があることを、最初に証明したのは彼らである。

またビートルズは、イギリス国家から勲章を授与されていたが、そのた
めもあってか、世界各地で警察警備に守られて公演活動をしていた。
つまり公費・税金で警備が敷かれたミュージシャンだった。政財界の要
人や公人でもない、ただの20代の若者なのにである。たかが音楽バン
ドに過ぎないのに、ビートルズが動けば、それに合せて若者が社会が動
く。為政者たちは、かくも大きな社会現象を引き起こせるビートルズの
ような文化現象を警戒していたことだろう。

ロック音楽という文化が社会変動さえ引き起こしかねないという可能性
を、ビートルズは示唆していた。だからこそビートルズは、時代と社会
に、相当特殊なポジションを獲得した、破格の存在体でありえた。



   *     *     *     *     *

あれから「50年」もの歳月が経過したと思うと、感慨深いものがある。
半世紀という時間の隔たりは、物事を懐かしむに相応しい長さだと思う。
街並みも家も、人の顔付き・装い・佇まいから、感じ方や考え方、生き
様やら価値観等々、何もかもがすっかり変わってしまったのだ。

当たり前と言えば当たり前のことだが、彼らが来てから50年も経過し
たのかと思うと、今もビートルズ(70年に解散)自体は、音楽としても思
い出としても何も変わらないのに、それに係ったこちら側は昔を懐かし
む歳ばかり重ね、今尚生きていることに、他者の画した時代やら、紡い
だ時間を漂うだけで、大文字の歴史の、パッケージ旅行でもしているだ
けの人生にも思えてくる。

そして歳老いて、思い出だけを頭の片隅に残して、死んでゆく、この世
から消えてゆく。人間なんて、人生なんて、、、ただ、こんなもの。
やはり、ただの「夢」かな。



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