脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

『無意識の発見』(アンリ・エレンベルガー)の読後から

2007年05月03日 11時41分18秒 | 読書・鑑賞雑感
エレンベルガーの『無意識の発見』を少し読んでいたら、
未開社会における原始的治療法の事例として、ビロ(Bilo)というもの
が、小さく紹介されていた。ビロは、病気の名であり、患者のことであ
り、同時に治療儀式であるという。

マダガスカル島では、人生がうまくゆかず、自己実現衝動ばかり高くな
り、欲求不満のストレスから、精神障害を発症した者が出ると、村をあ
げてその不満を、充足してあげるような儀式的治療が行われるという。

この儀式では、ビロの患者は「王様」の扱いを受け、村人たちは臣下と
なる。患者は、王として奉られて壇上に上げられ、いけにえの動物が
屠られ、歌や踊りでもてなされる。

村をあげて、こんな光景が15~20日続けられると、患者はビロが治っ
ていくのだという。
(参考:アンリ・エレンベルガー『無意識の発見(上)』木村敏・中井
久夫監訳 弘文堂)

ビロとは、共同体の一員として、その資格を再度確認する通過儀礼にもみえる。ビロの患者は、ビロという儀式の負担を、共同体の成員にかけることで、逆に自身が、「治る義務」「正常に復帰する義務」を負わされているのではなかろうか。

皆から祭り上げられて世話になった以上、当人はきっと治らざるを得ない、あるいは治った気にならざるを得ない社会的圧力を感じ、「治る」のではなかろうか。

ビロは、パラノイアのような誇大妄想者に行えば、その妄想症状を強化しかねないとも考えられる。が、私が思うには、ビロとは「治る」見込みのある者にしか行われなかったのではなかろうか、ということである。

これは私の勝手な憶測であるが、ビロで「治らなかった」者は、共同体の中での社会的な位置付けや地位を奪われ、被差別者に転落したのでは? と予想する。重症の精神障害者には、ビロさえ行われなかったのではなかろうか、と推測する。

(ひょっとして、ビロの儀式を経由した村人は、全て共同体の一員として目出度く復帰したという牧歌的で極めて寛容な未開の社会というものがあるのかもしれないが。)

以上は、エレンベルガーの主張ではなく、私見に過ぎない。


戦前の松沢病院には、蘆原将軍こと蘆原金次郎(昭和12年没)という有名な誇大妄想患者がいた話は知られている。彼には、本物の将軍 乃木希典さえ会いに来て会談し、乃木将軍の労をねぎらったという話さえある。

蘆原金次郎は、87歳で亡くなるまで周囲からビロを施され続けた人とも言える。彼の精神障害は終生治らなかった。ビロとは、おそらく帰属する共同体の帰属資格を問うテストなのだろう。

近代日本社会の枠組を当てはめて、ビロについて考えてみると、蘆原金次郎のような重症者には、ビロを受ける資格さえなかったのである。

近代社会は、そのような重症精神障害者に精神病院という隔離空間を作り出した。そして共同体の規格に不都合な人々は、治療の名の下に社会から追放されたのである。重症者に至っては、仕方がなかろうという意見もあろうが、戦前には、天皇制ファシズムに抵抗した人々も、精神病院に送られたのである。

今日、現代社会の人と時代に相応しい、
現代版ビロのような(患者を「王様扱いせよ」という意味ではなく)、
社会への再通過儀礼のしくみが、精神障害者のために考えられても良いと思う。

メンタルヘルスブログ 統合失調症


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。