脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

鴎外試論(7)

2007年10月22日 15時54分39秒 | 読書・鑑賞雑感
『雁』という作品は、不思議な読み物である。
筋が単純なので読み易いが、一方でかなり意図的に、
寓意だか象徴が散りばめられているようにも読める。

深読みすれば、
人生とは何なのか、「偶然と必然」とは何なのか等、
そんな形而上の問いに、軽い物語作品で応えているかのようでもある。

作者は、何故、この作品に「雁」と題名をつけたのだろうか?
鳥の雁が作中に登場するのは、
池に居る雁に、遠くから投げた石が偶然当たる場面で、である。

「偶然」を挙げれば、
お玉が美男であるとはいえ、岡田を見初めたのも偶然であり、
お玉の部屋の窓に吊るされた鳥カゴに蛇が侵入することも、
その現場に、当の岡田が通りかかるのも偶然である。

投げた小石が、雁に当たった偶然に意味があるのではなく、
石に当たった雁を肴に酒を飲むという、現実の人間関係に連続するとき、
偶然が意味として現実性に浮上し、意識化されるだけのことであろう。

お玉も末造も岡田も、人生夫々であるが、皆一羽の雁に過ぎない。
あるいは皆、誰かに気紛れに放り投げられる小石に過ぎない。
私には、そんな解題が浮かぶのだが、どうだろうか。

岡田は、お玉が見初めた一羽の雁である。
彼女は、自分の恋心という小石を投げるが、
岡田は、その小石に気づきもせず、異国へ飛び立ってしまう。

岡田は、作品冒頭に時間に狂いのない人物として示されているが、
彼は、出来事の中を超然と、時を刻む針のように進んでいく。
彼自身は、誰の手に落ちる雁でもないかのようだ。
ここに透かして見えるのは、
『青年』の純一を描いた後の、鴎外の影である。

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