脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

『家族喰い 尼崎連続変死事件の真相』(小野一光)の読後から。

2014年05月10日 10時18分56秒 | 読書・鑑賞雑感
尼崎連続変死事件。2年程前だったか、この事件報道に接したとき、
角田(以下Sと略)という人物のおぞましさ・不気味さに鳥肌が立つ
思いがしたものだ。また、犯人一味へ憤りを抱くのと同じ位、捜査
を放置してきた警察にも強い憤りと不信感を覚えた。
だがどうして、被害者家族たちは、Sに漬け込まれ取り込まれ、
ここまで言いなりになってしまったものだろうか?

本書は、兵庫県尼崎の角田美代子(64)をボスとした擬似家族のよう
な人間集団が、縁戚関係等にある家族・家庭を次々と崩壊離散させ、
財産の収奪、監禁・虐待死或いは殺人を繰り返した連続事件の、現
地取材ルポである。
尼崎事件の全貌は、余りにも縁戚者や被害・加害の人間関係が多岐
かつ相互に入り組んでいるので、ここでは、Sの犯行手口に着目し、
複数の被害ケースから抜き書きして一本にまとめてみる。

先ずSは、縁戚者に何らかの因縁を付けて絡む。次にヤクザ風体の
男たちを引き連れて、居宅に押し込み、家族を自宅に軟禁して自分
たちも居座る。一家を恐怖の状態に陥れ、不当過大な金銭要求をな
し、恫喝や威迫、家族同士に殴り合いをさせる、裸にさせる等、意
に反する強要を通じて恐怖支配を確立する。

Sが恫喝する気迫は、覚醒剤の作用も絡んでいたかのようだが、あ
の異様な面貌で鬼気迫られる恐怖は、余程尋常ではなく、被害者た
ちは萎縮して声を上げる気力も奪われていたのだろう。

家庭乗っ取り・家族喰いが狙われるのは、第一には親戚筋である。
親族間の揉め事という内輪の民事に偽装することで、警察の介入を
回避するためだろう。(但し、一般人が家族乗っ取りや言い掛かり・
恐喝等の標的となったケースもある。)

Sは組織暴力団ではないので、暴対法等は適用されないが、暴行・
脅迫・恐喝・監禁・略取の容疑で、親族間や近所付き合いでも、刑
事事件は成立するが、このような近親関係の場合、警察の対応は事
無かれで鈍いのが通例だ。それはSの狙い目でもあったのだろう。

Sは最後に、監禁され恐怖に支配された一家に、示談を持ちかける。
家から立ち退く条件として、夫婦は離婚して慰謝料を妻に払え、妻
はS宅に引越せ、子供は連れて行くから養育費を支払え等、その要
求金額も数千万の桁である。だがこんな法外・理不尽・不条理な一
方的要求でも、被害者家族は既に憔悴し切り判断能力を失っており、
言いなりの条件を丸呑みしてしまう。

さらに後日、会社等の関係先にも押しかける等圧力を強め、カネを
工面するするために、ヤミ金でも友人・知人でも借金しろ、住んで
る土地・家屋を売り払え、会社を辞めて退職金で払え、生命保険に
入っていれば自殺するようほのめかす等、悪辣・非道の脅迫を繰り
返し、ターゲットが死ぬまで毟り取るという、鬼畜の所業で追い打
ちをかける。

手口全体は、ヤミ金融の取立てにも似ているが、Sファミリーはカ
ルト集団にも似て見える。Sに特徴的な手法は、拉致ではなく、略
取行為である。略取とは、脅迫等の不正手段により本人の意に反し
て生活環境から離脱させ、自己又は第三者の実力支配下に移すこと
である。Sは家族を崩壊に追い込み、気に入った者或いは人質を、
自分のマンションに同居させ、時にはファミリーの養子にした。

これは犯罪の実行役や手下を確保するためでもあろうが、S自身の
心の空虚が「家族」というものを欲していたのかもしれない。
膨らんだ擬似家族は、Sの保身の盾であり悪事の手先とされるが、
逃亡を企てた者や逆らう者が出ると、次々と監禁や暴行の果てに殺
害され、遺体はコンクリ詰めで海に沈められ、民家の床下に埋めら
れた。Sに葬られた被害者の数は、この15年程の間で、10人は超
えている模様である。

(それにしても、こんな山賊行為が15年も続いていて、警察とは一体、
何をしてたんだ?!)

また、これら悪鬼の所業は、どうして、Sの何に発したものなのか?

Sは親の愛に恵まれない生い立ちではあったらしい。そのせいか家
族愛に恵まれた親子やきょうだいという関係を、異常な執念で憎ん
でいたように見える。自分に縁のない家族愛など、破壊したい程、
嫉妬をたぎらせていたのだろうか。
Sは情愛の欠落した人格であり、憎悪と金銭物欲、自己保身と身勝
手さを生存の原理に、自分より弱い者を巧みに見つけては、生き血
を吸って生きる化物だった。

我々が悪や不正を自然と憎むように、Sは人間の情や愛の関係こそ、
憎むことが自然であるような人物なのだ。情愛に溢れた幸せを憎み、
そんな他者からは、骨の髄まで徹底的に奪わねば気が済まないよう
な人間性であろう。悪人とは、こういう人物のことではないのか。

しかし、人殺しまでしないまでも、Sのような悪人はいつの時代の
何処にでもいるのだろう。善が永遠なら、悪も永遠なのである。
一般人が自衛のために3Dプリンターで拳銃を製造する事件があっ
たばかりだが、Sファミリーのような事例を念頭に置けば、私はそ
のような個人の自救行為も、事情によっては非難できない気さえす
る。人間も動物も、生きるということは、不可避的に悲しいかな、
好まざるとも闘争(場合によって逃走?)なのだ。

参考文献:小野一光『家族喰い 尼崎連続変死事件の真相』(太田出版)

PS:尼崎事件のようなことは、本当にあってはならないと思う。
   警察の対応の貧困さは目に余る。警察も同罪の人でなしであ
   る。被害を決死の覚悟で訴える姿に接すれば、これは何かあ
   るなと想像や勘を働かすのが、職務上も当然であろう。

   民事不介入は解るが、民事の陰に刑事事案はないかと疑いそ
   れを探り、保護すべき被害者がいれば救出を図る等の措置が
   取られていれば、被害も軽減され事件も連続殺人になる事態
   は極力回避できたのではなかろうか。
 



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