都市と楽しみ

都市計画と経済学を京都で考えています。楽しみは食べ歩き、テニス、庭園、絵画作成・鑑賞、オーディオと自転車

かつてデパートには夢があった

2008-10-04 16:33:02 | 都市生活

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1988年、MITの都市計画の授業で読んだ。当時、アメリカのデパートはFederated Allied<o:p></o:p> の2つのグループに集約されていて、Bloomingdalesが生活提案型(特化)で、Nordstrom がお客様志向の品揃え(広範囲のフルサービス)で特徴を出していた。<o:p></o:p>

今や日本のデパートも統合されようとしている。デパートは都心の華ともいえる施設で、かつてはおしゃれして一日を過ごす夢の施設であった。デパートは賃貸業になりつつあるが、電気や家具も売り場が小さくなっている。また、ハレの食事の場であった食堂も、殆どのお店からお子様ランチは消え、テナントの飲食街にとって変わった。あの白いリネンのかかったしつらえの特別食堂も阪急梅田(建替え)、日本橋高島屋くらいしかない。ホテルもおなじで、かつては宿泊、宴会、飲食の売上が同じくらいであったが、今のホテルは宿泊特化型であり、「ホテルでお食事」のありがたみは低くなっている。<o:p></o:p>

更に、都心居住が多くなり日本橋高島屋では近くに住む方の駐輪対応が急務だと聞く。そのため閉店前の飲食売り場の割引は大賑わいである。<o:p></o:p>

そして、梅田を代表に大型デパートの集中と開発が進んでいる。デパートはこのままでいいのかと思う。<o:p></o:p>

都心には休むところが欲しい。また買い物も楽しむというより「必要なので買いに来た」というときが多い。デパートこそ商品、時間を楽しむ、なごむという提案型の売り方ができるのではないだろうか。ディズニーのテーマは「ノー・ハッスル(がんばらない)」とのことである。(東京ディズニーランドはどうかな)そのような位置付けのサービスや提案ができないものだろうか。例えば、私はとあるアメリカの靴メーカーを20年来使っているが、どのデパートも扱ってくれなくなった。無いものはないという銀座の文具店「伊東屋」のような矜持はないのか。また男性の大人が憩える「イノダコーヒ」のようなカフェかバーでもできないか。包丁を研ぐサービスや掻き立ての鰹節はだめか。(錦市場にはある)お土産を売るくらいなら、どうして大阪の旭ポン酢、京都の山田の胡麻油、黒七味をそろえないのか。なんで、同じようなチェーンの飲食ばかりあるのか。<o:p></o:p>

街は「おまいり」、「回遊」、「真の目的」の3段階あるのではないかと思っている。「おまいり」とは街に出るきっかけで新しい施設、イベント、季節のおまいりなどがある。次に回遊とは、食事やウインドウショッピングである。ぶらぶらすることである。「真の目的」は実は街に出て買いたいもの、したいことで、なかなか買えない高額商品を見てみることや、恋愛関係の方々が思いをつげるとかいう人生での節目や大きな楽しみであろう。<o:p></o:p>

デパートはどうも、かつてあった「おまいり」の権威もなくなっているのではないだろうか。また一日楽しめる「回遊」も弱くなっている。「真の目的」は個別店舗が強い。となるとやはり「回遊」をいかに呼び込み、長くいてもらうかを考えることだろう。<o:p></o:p>

デパートは一旦入ると快適で出たくなくなるような仕掛けが欲しい。どうもそれは街を模倣するのではなく、そこでしか味わえない「体験」が欲しい。丁寧な応対よりも、お客が欲しい、したいと思うものがよい。ものはいくらでもある。欲しいのは「ここちよい時間」であろう。<o:p></o:p>

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