遊郭の一般的内容をまとめたうえで、長崎の特殊経済と唐人、オランダ人駐日対応から遊郭・遊女を描いており必読の書だ。
知見は:
・遊女は9C 後半遊行女婦(ゆうぎょうじょふ)、娘子(じょうし)と呼ばれ貴人の前で今様を謡う(白拍子など https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%8B%8D%E5%AD%90 ) 、中世には遊女集団として女系的「家」としての集団を形成、15C後半には遊女屋の経営者が男性となり、外部から遊女が流入、中世的な遊女集団が崩壊、近世以降、遊女屋は男性社会向けで性的欲望の場として雲煙、疑似的恋愛など演出し高額化するシステムが形成
・遊郭は公許でルールが厳格、私娼は岡場所→外場所(ほかばしょ)、遊里(ゆうり):江戸幕府、(明治政府も)無認可の売春を取締った
・公認遊郭として丸山遊郭(丸山町と寄合町)は吉原、島原、新町に市街地規模、後背地生産が貧弱で小型、対外貿易が特徴、
・貿易利益の還流(揚代や贈物など)が遊女の役目で、長崎第一の「商品」
・遊郭(堀と山)、周りの「茶屋」、「日本行(日本人のみ)」、「唐人行」・「阿蘭陀行」の外人相手で唐人屋敷や出島に出入りする
・吉原 上級:太夫・格子・三茶・梅茶、下級:鉄砲・けん鈍、囲(かこい)→丸山(身代金で奉公) 太夫、店(見世)、並
・名付遊女(名義借り:手数料契約)・仕切遊女(特定相手の愛人契約)で唐人・オランダ人相手で遊女としての身分で唐人屋敷・出島に出入り
・舞いや小唄(もとは白拍子のため)のできる遊女が評価
・揚代:日本人 太夫で15匁(約3万円)揚屋送込 だが、「惣花(そうばな:大盤振る舞い)」など、各種祝儀が必要な場合も、唐人6匁、オランダ15匁、(但し見世は25%割安)
・唐人は優遇、薬種:梅毒治療の山帰来(さんきらい https://www.fukudaryu.co.jp/sozai2/sankiraiHP.pdf )など、書籍が貴重なため、唐人を丸山遊女でつなぎとめるため揚代を割安にした
・オランダ人は1年交代のため、遊女をほぼ毎日呼んだ例も、約450万円に相当、高給のため贈物などが多かった、ラクダも。子供ができた場合は年金基金と年金支払いも
・丸山遊女は「太夫衆(たよし)」、(一般客からは「女郎衆(じょろし)」と呼ばれた)は三味線など芸の(裏では色を売る不見転も)「芸子衆(げいこし)」芸子より格上と見られた→これはどこの遊郭でも同じ
・江戸時代に大坂芸子から地下(ちげ)芸妓が丸山遊郭で勢力を伸ばす、両立状態となる。維新後は芸子が芸者となり主役に
・ロシア人対応(1860年~):検黴(けんばい:梅毒検査)は反対にあう
・明治5年(1872)丸山遊女も解放令に:娼妓になり鑑札が必要、芸妓も、しかし全国色街のひとつとなった
産業と色街の関わりを分析した観点が素晴らしい