南こうせつ(75)の「第22回グッドエイジャー賞」( https://news.yahoo.co.jp/pickup/6512714 )を見て早稲田を想いだす
神田川( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%94%B0%E5%B7%9D_(%E6%9B%B2) )の作詞をした大阪出身の喜多条忠( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%9C%E5%A4%9A%E6%A2%9D%E5%BF%A0 )の早稲田大学時代の思い出がもとになっているとある。(べんてん の前の店から南の戸田平橋の近くらしい)
73年が「神田川」、76年3月がキャンディースの「春一番」とともに西早稲田に上京した。陽の当らない崖の下宿で6カ月、縁があり代田橋に引っ越した
思い出は、布団しかない部屋で寒く、自販機の暖かいコーヒーで暖を取ったことだ。あれから約50年、馬齢を重ねる
あの頃、早稲田の街は夜も校歌放吟、安い定食屋、風呂屋だった。今のRCの風呂・台所・便所付きなど無かった。賄いつきの下宿、例えば「日本館」などが隆盛を極めた時代だ。
早稲田も、地方学生が6割を超えていたが、いまや半減した
神田川も、前と言ってもアラカンまでは「べんてん」という東池袋系のつけ麺を土曜(前の日は所用を片付け泊りの翌朝)の10時前がお決まりだった。うまかったが、だんだん量が食べられなくなっていった
https://blog.goo.ne.jp/n7yohshima/e/343f6c2262f8d020b4e0969ecce448a8
https://blog.goo.ne.jp/n7yohshima/e/80b483d2ea5b04b5d03779b139e62961
https://blog.goo.ne.jp/n7yohshima/e/53f618acf5d18ead56805f0fbf714871
https://blog.goo.ne.jp/n7yohshima/e/9458a09e4031922aee76c865bfab9956
https://blog.goo.ne.jp/n7yohshima/e/66b8b5aa0a826d03afc6a58b1d5cdd67
https://blog.goo.ne.jp/n7yohshima/e/7fe8d388b6f118d9423cb06f3039e8c7
早稲田の学生も、街も変わった、50年の時空は流れる
今もあの頃を懐かしむのは、自分で生きていく「起点」だったのだろう。それから、美術・音楽・食の楽しみを積んだ
いまや、食は払えるが胃袋がついていかない、若いやつにおごるしかない。これが昔おごってもらった先輩への感謝の循環だと思う