いとうな日々

MLB、プロ野球他野球全般、ニュースなどについて、勝手にコメントさせて頂いてます!

隔世の感

2010-01-19 | プロ野球
巨人、阪神で投手として活躍した小林茂氏が17日急逝した。奇しくも阪神淡路大震災の15年目の日であった。小林氏はサイドハンドのピッチャーとしてその投球スタイルは、多くのその種のピッチャーが技巧的投球を行う中、闘志を体全体で表現する熱血派であった。

小林氏といえば江川氏との運命的な係わりを思い出さずにはいられない。「巨人・大鵬・玉子焼き」といわれた巨人人気の陰りとなった事件である。「空白の一日」で巨人と契約した江川氏の身代わり?として小林氏が阪神に電撃トレードとなった事件である。

その後小林氏はその投球スタイルそのままに闘志むき出しのピッチングで、巨人戦では連勝を重ねた。その端正な顔立ちからは想像もできないファイトであった。

しかし、この世の中は無常なものである。日本ハムの一軍のピッチングコーチとしてこれからますますの能力が発揮されようとするとき他界してしまった。江川氏や長嶋巨人名誉監督のコメントを見てみると、人の係わりの数奇さを感じざるを得ない。これでまた、ひとつの時代に終止符が打たれることとなった。
>
▼巨人長嶋終身名誉監督 

突然の訃報に大きなショックを受けています。1976、77年のリーグ優勝に大きく貢献してくれたことを鮮明に覚えています。細身の体からは想像もつかないくらいスタミナがあり、ベンチにとって本当に頼りがいのある投手でした。正直に言うと、阪神へトレードになったことは残念な思いでいっぱいです。現場の監督として悪いことをしてしまったという気持ちがいまだに残っています。若すぎる、早すぎる最期です。

江川氏「僕の中ではまだ終わっていない

沈痛な面持ち。目には涙をためていた。午後10時。日本テレビ内で会見した元巨人の江川卓氏(54)は時折、声を詰まらせて言った。

 「突然の死でびっくりしました。今年から日本ハムで1軍のコーチになられるということで、また球場に行ったら、お会いするんだろうなとは思っていたんですけど……。大変残念です」

 プロ野球界を揺るがした江川事件。当事者として小林氏を巻き込んだ責任は忘れたことはない。電撃トレードから1年後の80年1月だった。東京・飯倉のステーキ店で偶然顔を合わせ、あいさつしようとしたが手で制された。そして同年8月16日の初対決。雨の後楽園で完投勝利を収めた。

 「一生の中で負けるわけにはいかない試合は2つ、3つある。そういう試合で勝つことができて小林さんに恩返しできたと思う」。直接対決は7勝2敗。一方で通算成績は自身の135勝に対し、小林氏は139勝。「入団の時から小林さんの成績を抜かないといけないという思いでやってきましたが、抜けなかった」と振り返った。

 現役時代2人だけで言葉を交わすことはなかったが、07年9月に酒造メーカー「黄桜」のCMで共演。トレードから28年後の和解だった。「その時におわびしました。“お互い大変だったな”という言葉をもらい、凄くホッとした」。結局、それ以来再会を果たせず、小林氏は逝った。

 江川氏は唇をかみしめながら言った。「僕の中では(江川事件は)まだ終わっていない。原因はこちらにある。小林さんが亡くなったからといって、申し訳ないという気持ちは一生なくならない」。小林氏のために何ができるか。自問自答した。「小林さんが残したプロ野球の実績、気持ちが凄く強い方だったので、そういうものは伝えていけたらと思います」

 夜には自身がキャスターを務める日本テレビ「SUPERうるぐす」で天国の小林氏へメッセージを送った。「もう1回投げ合ってみたいですね。全力で」。54歳。江川氏は小林氏の生きざまも背負い、生きていく。

 ≪07年9月CMで再会≫2人が再会した酒造メーカー「黄桜」のCM撮影は、07年9月に都内で行われた。台本は一切なし。4台のカメラの前で、それぞれの思いを語り合った。「お互いきっかけを探していた。憎しみはもうないよ」と小林氏。撮影は66分間におよび「これからは会ったらオレから声を掛けるよ」とも話した。一方、江川氏は再会の際に「長い間、本当に申し訳ありませんでした」と謝罪。テレビ番組内で撮影を振り返った時には「大変緊張した。会えてよかった…」と涙した。

スポニチ



最新の画像もっと見る