むらぎものロココ

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アルトゥール・ルリエー

2007-09-11 17:32:18 | 音楽史
LourieARTHUR LOURIE
STRING QUARTETS/DUO
 
 
UTRECHT STRING QUARTET

アルトゥール・ルリエー(1892-1966)はペテルブルクに生まれた。ペテルブルク音楽院でピアノと作曲を学んだ。旧弊なアカデミズムに飽き足らず、ドビュッシーやスクリャービンの音楽に影響を受けつつ、実験的な音楽をつくるようになった。ルリエーは前衛的な芸術家たちと密接な交流を持ち、アレクサンドル・ブロークの友人としてアクメイズムにも通じていたし、ロシア未来派のグループにも加わり、彼らの雑誌に寄稿したり、マヤコフスキーやアフマートヴァの詩に音楽を付けたり、フレーブニコフの舞台のための音楽を担当したりした。
Figlou 
ルリエーは1914年にピアノ曲「ジンテーゼ」を作曲した。この曲は高度な半音階的作品で、十二音それぞれに体系的な同等性を与えるまでには至っていないものの、十二音技法の初期の例とされている。その翌年には「大気のかたち」を作曲した。この曲は、ピカソに献呈されたことからも示されるようにキュビズムの影響を受け、その楽譜はページ全体にテンポの示されていない断片をいくつか配置したもので、図形楽譜を用いた最初の例とされている。

ロシア革命後、ルリエーは教育人民委員会の音楽部門の責任者となったが、ベルリンを訪問した1921年にそのままロシアへ帰らずに亡命した。翌年からパリに移り、そこでストラヴィンスキーと交流するようになった。この時期からルリエーはロシア音楽のルーツをさかのぼるなど、次第に前衛的な作風から新古典主義的なものへと音楽のスタイルを変化させていった。ユダヤ人であったルリエーはナチの台頭を機に、1941年からアメリカ合衆国に渡り、1966年プリンストンで死去した。

→F.マース「ロシア音楽史」(春秋社)