むらぎものロココ

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画家のアトリエ

2004-12-28 21:59:17 | アート・文化
art_of_painting今年はほとんど展覧会に行かなかったが、日本では見る機会の少ないフェルメールの、しかも「画家のアトリエ」を見ることができるとあって、上野にある東京都美術館の「栄光のオランダ・フランドル絵画展」には5月の連休の際に足を運んだ。モデルがまとっている青い衣装と抱えている黄色い本、壁に掛けられている地図の精密な描写やシワ、画面の左側を覆うカーテンやテーブルの上に置かれた布の襞。この絵はいくら眺めても飽きることがない。
この絵は「絵画芸術」とも呼ばれ、様々な寓意がこめられている。モデルは歴史を司るミューズ「クリオ」で、彼女の持っている本はトゥキディデスの書物だとかいった具合。その根拠となるものにチェーザレ・リーパの「イコノロギア」がある。
そこでヘルテル版にある詩と絵画のアレゴリーを使って、フェルメールの絵を見てみる。
モデルのかぶっている月桂冠は不朽の名声を表わす。右手に持っているトランペットは、神のメッセージを告げるもの、支配や権力の象徴、名声や名誉を表わすものとされているが、「詩のアレゴリー」では歴史上の偉大な人物やできごとを賞賛するところから、叙事詩を表わすとされている。青は天上の芸術を表わす。これらのことから、モデルを抒情詩を除いた詩のアレゴリーと見ることもできる。(呉茂一の「ギリシャ神話」には「クリオ」は歴史または英雄詩を司るとの記述がある)。
「絵画のアレゴリー」では女性が右腕をキャンヴァスの上に乗せており、そのキャンヴァスには「詩のアレゴリー」が描かれている。ここからホラティウスの「詩は絵のごとく」が連想され、歴史画にたどり着く。歴史画は絵画のジャンルの最高峰であり、画家は誰でもそのジャンルでの成功を目指したが、フェルメールも例外ではなかった。また、「絵画のアレゴリー」に描かれている女性は首からマスクをぶらさげているが、このマスクは生のイミテーションとしての絵画を表わす。フェルメールの絵ではテーブルの上にある顔の石膏像がこれに対応する。さらに「絵画のアレゴリー」の画面の奥には画家のアトリエがあり、アペレスが絵を描いている後ろからプロトゲネスがそれを見ている様子が描かれている。このことからフェルメールは自らをアペレスになぞらえ、プロトゲネスはフェルメールの絵を見ている者ということになる。プロトゲネスは優れた画家であったが、アペレスの技量に降参したという逸話がプリニウスにある。つまり、自分が最高の画家であり、自分の絵を見る者は誰もが賞賛するはずだという、フェルメールの自信をそこに見て取ることもできる。