家の中で「けんか」ばかり
見せられながら育つって
ひどい環境やなあって言われそう(^^;
でも、こどもの頃のわたしの家は
そんなひどい暮らしじゃなかった。
両親が詐欺に遭って借金に追われてても
「食べていけない」ほどの貧乏は
一度も経験していない。
ただ… 毎日、親子喧嘩か夫婦喧嘩を
見ていた気がするだけ。
(いや~「気がする」なんてモンじゃ
なかったよォ)
まずは「親子喧嘩」について。
母は、自分からきっぱり
「わたしはあのヒトが嫌いなの」
あとは独り言のように、声を落として
「仲の悪い親子っていうのも
世の中にはあるもんなんよ」
祖母の方は、母が自分を嫌っているなどと
想像もしていなかったのか、或いは
そんなことは「大したことじゃない」
大事な大事な一人娘…とだけ思っていたからか
母がどんなに頭ごなしに
まさに「喧嘩腰」の物言いをしても
めったに言い返すようなことはなかった。
「一年の半分ほどは同居する」ようになって以来
母の独り相撲のような、ヒステリックな叱責を
姉もわたしも、ときには父も
聞かされる羽目になった。
父は、何とか穏やかに話ができるようにと
いろいろ気を遣ってみたのだという。
「でもダメなんだよな。
何をどう言っても変わらない」
そして、あるとき言った。
「結局、一卵性親子のケンカなんだから
他人が口出しして改善するような
ものじゃないんだ(苦笑)」
夫婦喧嘩の方は、もっと長い年月
姉もわたしも「つき合わされた」と思う。
といっても、こちらは(私の眼には)
「仲がいい」のがわかっていた。
ただ、「理想主義者」の父が
「女の人も、自分の思うことは
はっきり口に出していいんだ。
思うことは言うべきなんだよ」
19歳で、25歳と結婚した母は、
言われる通りにしないといけないと
思い込んだ?のかも。
2人の娘が10代になる頃には
夫婦の間で、さまざまな「意見の相違」をめぐって
父言うところの「ディスカッション」を
毎日繰り広げるようになっていた。
(でも… 「口喧嘩」にしか見えないことも
多かったな~)
母が感情的になって、激しい言葉が出ても
父は冷静に考えた?返事をするので
大抵はソコソコのところで落ち着いたんだけど…
そういえば
急須が空を飛んだことがあったっけ。
(フタだけ割れた)
投げたのはもちろん父の方。
でも急須はいいけど(こっちは驚いただけだし)
「手が飛んだ」のも一度見た。
このときは、母が涙ぐんで
「なにも叩かなくてもいいじゃない…」
どちらのときも、父は
「とにかく機関銃みたいに文句言うのを
止めなきゃいけなくなったからだよ」
でも悪かった… みたいなこと
あのとき言ったかなあ。言わなかった気がする。
わたしには、父がなんだか悔しそうに見えた。
手を出したせいで「母に負けた」からじゃなくて
「自分に負けた」って感じの顔。
うちではいわゆる「暴力」は
見ることがなかったから、珍しくて
今でも覚えているだけ。
でも父は、男兄弟3人とも
「父親に殴られるのは珍しくなかった。
名前呼ばれたら反対向いて逃げろって
みんな言ってたくらい(笑)」
こどもが「ふたりとも女の子」だったから余計に
父もいろいろ考えて、努力してくれたんだと思う。
…… と、ここまで書いて思った。
「おかあちゃん、ねえ、あんなに
ピリピリしなくて良かったのに」
「あんなに怒ってばっかりの理由が
きっとあったんだと思うけど
いつ怒られるか、おねえちゃんもわたしも
毎日ビクビクしてたんだよ。知ってた?」
「ひとの口喧嘩、毎日見るのも聞くのもヤ!だったけど
そんなこと数に入らなかった気もする。
自分が怒られるかどうかの方が
よっぽど大事(おおごと)だったから」
ま、わたしは思ってた以上に
おかあちゃんに似てたみたいだから
息子たちに同じような思いさせたんだろな。
同じような思いさせないように
おねえちゃんもわたしも
気をつけてたつもりなんだけど
繰り返したことが結構ありそうな気がして。
でも、うちも「暴力は考えられない」家だし
ソモソモ、けんか毎日するほど
「仲のいい両親」でもないし。
若い友人たちが、自分の育った家のことを
なんて言うか… いつか機会があったら
聞いてみたい気もするけど
やめといたほうがいい気もする(^^;
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