眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

2007年に観た映画  (劇場での外国映画編)

2008-01-13 12:41:48 | 映画1年分の「ひとこと感想」2006~
2007年の秋、初めてシネコンの1ヶ月フリーパスというのを使った。(私は案外映画館で観ていないので、なかなかポイントが貯まらない。)家族2人も、似たような頃にやはりフリーパスが取れたので、少しずつズレて2ヶ月くらいの間、何を観ただの、どうだっただの、いつもより映画についての会話が弾んだ。

映画についての好みも3人で少しずつズレているのだけれど、ことフリーパスに関して共通だったのは、「同じ作品を何回も観るというゼイタク?が出来る。」とか、「自分からは、まず観ないような映画も、せっせと観に行ってしまう(笑)。」とか。「案外、期待せずに観に行ったのが良かったりもするし・・・。」という声も。

そして結論。「映画が1800円ていうのはやっぱり高い。」

「みんないろんな割引利用して、実際はもっと安い値段で観てるって話もあるんだし、それなら最初からもう少し値段下げて、行き易くしたらいいのに。」「オフシアターがあれだけ安くしてるのに、大体シネコンはメンズ・デイも無い。」などなど。

それでも、いろいろ文句を言いながらも、我が家では映画はそれなりに、家族共通の娯楽になっている。ケーブルTVからせっせと録画してくれるヒトもいて、土日の夕食時にみんなで(適当にツッコミを入れたりしながら)見るのも、作品によってはそれはそれで、「大人数で観る」楽しさがある。

実は、私はこれまで「ビデオでしか映画を観られない」ような時期、ほとんどスクリーンで観るのと変わらない感じで、家で「映画」を観ていたと思う。そういう脳内修正?のようなことは、必要に迫られると案外簡単にできる。「(実際に)映画館で観る」という比較の対象が無いと、ヘッドフォンを着けて一人で自宅のテレビの前にいても、充分「映画を観ている」気がした。「映画(のような衣食住以外の世界)」に対する飢えの度合いが、今とは全然違ったからこそ、できたことなのかもしれないけれど。

けれど、それでも私は、大画面とあの暗闇の魔術を思うと、映画はスクリーンで観られるに越したことはないと思う。

シネコンの「鑑賞環境の快適さ」も、小さな古い映画館の懐かしい雰囲気も、両方味わえる場所に居て、しかもそこまで一人で観にいくことができるという今の生活は、随分恵まれたことなのかもしれない。



【2007年映画館で観た外国映画】

『007 カジノ・ロワイヤル』  10代の友人が「タイトル・ロールのアニメを見るだけでも、入場料払う価値がある。」などと言うので、それほど期待もせずに見にいって、「地味で華が無い」云々と言われていた筈のニュー・ボンドにビックリ仰天!した作品。どこか素朴なものの残る、駆け出しボンドを演じたこの俳優サンは、驚くほど深みのある演技のできる人だった。(イブニング・ドレスとタキシードでシャワーの雨に打たれるシーンは、忘れられない・・・。)

『墨攻』  予告編で見た「兼愛」「非攻」といった墨家の考え方に興味が湧いて観に行った作品。(原作その他、墨家についても全く知らない。)予想以上に、私には面白かった。(アン・ソンギさんも見られたし。アンディ・ラウさんの魅力にも、今回初めて気がついた。)きっといろいろ説明不足なのだろうけど、私は個人的にこういう「必要とされるならどこへでも行く」人種を何人か見てきたと思うので、それが命がけの場合でも「行くヤツは行く」だろうと思い、墨人の考え方やストイシズムも含めて、別に不自然とは思わなかった。(ただ、あの王様はひどい。あそこまで、やる事なす事タチの悪い権力者も、あんまり見たことない気がするくらい。映画の後味の悪い部分は、どれもこの人のせいだった。)

『あなたになら言える秘密のこと』  珍しく、観た後で感想を書けた1本。
http://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/0e7363822a521920d12c26fb4bec3c7a

『ディパーテッド』  観ている間、ずっと思った。「この平板さは何なんだろう・・・。」オリジナルがあまりに強く印象に残っているので、これ1本だけで見るのが難しいとはいえ、あの香港映画人たちが持っていた度胸のすえ方(それが必要とされている「切羽詰り方」のようなモノ)が感じられないからなのか、単なる脚本の違いなのか、或いはこれが文化の違いとでもいうべきものなのか、私にはヨクワカラナカッタ。ただ、個人的には、L・ディカプリオという人の瞳の繊細さは、今でも魅力的だと思った。M・デイモンとジャンケンで配役を決めたという冗談出るくらい、2人は外見上似て見えたけれど、私にとってはこの瞳の持つ意味は大きい。M・デイモンが嫌いなわけじゃあなくて、ただ、「民族や文化の境界を越えて目の前に現れる」ためには、私の場合はこういう瞳(のような何か)が必要なのかもしれない・・・と思う。(なんか『ディパーテッド』とは全然関係ないなあ。)ここまで書いてから漸く、後日10代の友人に付き合って、『インファナル・アフェアー』をもう一度、家の古い録画ビデオで観たのを思い出した。その時彼は『インファナル』のことを、「『ディパーテッド』のマズイところ、全部抜いたみたいな映画」と言って、普段はあまり感想を言わないのに、自分から見た2作品の違いを、細かく説明してくれた。私は私で、『インファナル』の主人公2人は、どちらももっと倫理観、道徳観といった精神性において苦しんだのだと、改めて思った。確かに、比べるべきではない、全く別の映画だったのだろう。

『幸せのちから』  泊まる所も無くなって、トイレで眠ってしまった子どもを抱いて涙を流していた父親は忘れられない。こういう時の(自分の不甲斐なさに対する)怒り、悔しさ、情けなさは、小さな子を抱えて一度でも「路頭に迷った」ことがあれば、本当に忘れることができないと思う。(なぜか私でさえ経験がある?くらいだから、同じ思いをした人は案外多いんじゃないか・・・などとも。)それは別として、主人公親子はいかにも自然で魅力的。

『不都合な真実』  家族4人で観に行った。大変シリアスな「地球の現状」を、とても分かりやすく、データも揃えて説明してくれている。20代は真剣な顔で「正にエコロジーの教材。子どもに見てほしいし、もちろんできるだけ多くの大人にも。」50代は比較的クールに「まあ、ブッシュとは人間が違うからな~。英語の勉強にもなるし。」(10代の感想は聞いた記憶が無い。なぜだろう?)私は私で、ゴア氏の長年の「講座」を映画化する際にプラスされたのは、彼のその後の人生と今の日常だと思った。全編、彼のトレーニングされた明瞭明解な英語が流れるこの映画は、そういう意味では、ゴア氏という人そのものを描いたドキュメンタリーのようにも見えた。

『ナイト・ミュージアム』  家族4人で夜観に行って、「なあんにもムズカシイコト考えなくていい映画!」で、感想も一致。(「このアイディア考えついた人はエライ!」とか、「アメリカで既に2億ドル稼いだヒット商品!」とか、ちょっと珍しいくらい、帰りはワイワイガヤガヤ、楽しかった。)

『ドリームガールズ』  こういう映画に出演する俳優さんたちの歌(というかパフォーマンス全体)の上手さに、いつもビックリさせられる。ただ、楽曲としてはちょっと「熱唱」が連続しすぎる感じで、その組み合わせ方が、私の好みとは違うかも。それと、彼女たちを売り出す方針に異議を唱えた女性メンバーに対して、あそこまで冷たくなくていいんじゃないか・・・とも。決して彼女自身のワガママからではなく、ただ黒人(の生んだ音楽)としてのアイデンティティーとでもいうモノを、彼女は訴えていたように私には見えたので。(プロデューサー側の苦悩もワカルのだけれど。)

『ホリデイ』  2人の女優さんのコメディエンヌぶりが素敵!!( これくらい、演じる人たちも楽しそうに見えるようなラブ・コメが、もっとあったらいいのにな・・・。)

『オール・ザ・キングス・メン』  全体的に「過剰」さを感じる以外は、映像も美しく、センチメンタルなストーリー運びも、私には寧ろプラスに作用して見えた。(ただ、S・ペンは、その太り方も演技の仕方も、いくらなんでもちょっと行きすぎじゃないかな・・・。)

『明日へのチケット』  3番目のサッカー少年たちの話が秀逸!! これほど後味のいい映画も珍しい?くらいで、あのラストでは、思わず拍手するところだった。少年(といっても、そろそろオトナ)の1人が「(チャンピオンズ・リーグの、それもセルティックの)試合は1回だけど、難民は山といる。」と真剣な顔で言った時には、つい声を立てて笑ってしまった。

『ラブソングができるまで』  H・グラントが「もう映画には出ない」と言っていたのに、この作品に出演する気になった理由が分かるような気がした。歌にピアノにアノ振付(あはは)・・・も良かったけれど、こういう「気難しい(不機嫌そうな)」中年男という役はこの人が自然にみえるので、それもなんだかウレシかった。(私はこの人のコメディーが本当に好きなので、また出てほしい。)

『ブラッド・ダイヤモンド』  この映画が終わって外に出る時になって、私は自分の日常(自分がドコの誰なのかさえ)を、文字通りきれいさっぱり忘れていたのに気がついた。(最近は映画を観ることが当たり前になり過ぎていて、こういう感覚を忘れていたことにも愕然とした。)「アフリカは、先進国の人々にとって、どういう点をとっても興味深い、或いはエキサイティングな映画の素材」ということが、どこかで私にとっても重苦しいモノになっているのを思うと、この映画は少なくとも私にとっては、「娯楽」作品としてのレベルがよほど高い?のだろう。(終盤、それまでと違って、急に「ハリウッド」製の場面の連続になるのは残念だけど。)3人の俳優さんたちが好演していて、久々に生き生きとしたL・ディカプリオを観られたのも嬉しかったのだと思う。「故郷を知る瞬間」というタイトルで感想を書きたかったけれど、結局書けないままになったのが悔しい。

『プレステージ』  マジック(というかマジシャンと呼ばれる人たち)というのは、こういう空恐ろしいようなモノを、多かれ少なかれ、どこかに秘めているのかもしれないな・・・などと思いながら観ていた。

『300』  ペルシャ側の描き方が、私の眼にさえメチャクチャ?に見えて、イランの人たちが怒るのも無理ないと思った。ただ、映像が独特で、血しぶきが飛ぼうが頭が飛ぼうが、眼をそむける感じにはならない。それにしても、スパルタがここまで大変な文化風土だったとは。

『アポカリプト』  ネット上で、「この作品はこれ1本だけで、前にも後にも同系列のものが無い」とか「残虐シーンが無ければ、最高の『子供向き』映画!」などと書かれているのを見た。どちらも一応、かなりの『褒め言葉』のつもりらしかったけれど、確かに、どちらも当たっているように見えて、それでも私には「なんといっていいのかワカラナイ」作品(これも相当な褒め言葉として)だった。ただ、私はM・ギブソン監督の映画が好きだけれど、それはこの監督の「俳優の起用の仕方」に拠るところが大きいのかもしれない・・・と、改めて思った。ほとんど「出てくるヒトの顔ばかり観ている」ようなところが私にはあるので、キャストの適不適は本当に大きいのだろうと。

『ダイ・ハード4.0』  いくらなんでもこれは(あまりに非現実的)・・・というアクション・シーンの連続。面白いと言えば面白いんだけど。それに「勇気と根性で、人間の1人や2人(4人や5人?)殺して来い!」「家族(身内)を守るために殺せたら一人前だ!」とでも言われているような気がして。この「世界一不運な」主人公は嫌いじゃないんだけどな・・・・。(B・ウィリスは以前よりも今の方が、私には魅力的。)

『世界最速のインディアン』  私は「スピードを感じさせるモノ」を見ているのが昔から好きで、チーターもツバメもF1もジェット機も、同列に並べて、「見て」喜んでいる。(勿論、どれについても知識なんか全く無い。)この映画の中で、主人公が暴走族?たちと競走するシーンで、彼のマシンが彼らのオートバイとは「コンセプトが全然違う!」と一目で分かった瞬間、高校生の頃にドキュメンタリー映画で見たソルトレイクでの「世界最速」を競う場面の数々を、突然思い出した。(『インディアン』の中で主人公が語る「歴史上のライダー」たちのエピソードを、私はそのドキュメンタリーの中で、実際に見ていたのだ!)A・ホプキンズが「明朗快活で幸せな男を演じたくて、出演を即決めた」というこの作品は、確かに、デリケートな彼が70歳近くなって初めて?見せてくれた「生きることをごく自然に楽しんでいる」主人公の魅力もあって、「現実を離れた全く別の世界」で、ついでに「高校生の頃の自分」にも出会えた、私にとっても幸せな2時間だった。

『オーシャンズ13』  シネコンのフリーパスでの1本目。このシリーズをあまり良く知らないので、もっと思い入れのある(キャラをよく知っている)人が観たほうが面白いかも・・・とは思ったけれど、脚本がよく練られた、シャレたコメディーを見ている感じで、それなりに楽しかった。私にとっては、この映画の主人公はラスヴェガス(のカジノという場所)だったのかもしれない。

『トランスフォーマー』  これもパスが無ければ観なかった1本。が、意外なことに「観て良かった!!」。ストーリーは「ワカルよーなワカラナイよーな」なのだけれど、とにかく巨大ロボット?(実は高度に知的な生命体)みたいなヒトたちが、状況に合わせて変身(というのかしら?)しながら闘いを繰り広げるのを、ボー然として眺めていた。(ただそれだけで、ほとんど「感動」!したのだ。あのヒトたちが、こちらを見て「瞬き」したり、そーっと動こうとすればするほど、あちこちでモノをひっくり返したりするのも含めて。)要するに「大金かけて作られた、子どものための夏休み映画」なのだけれど、私にはなぜかとても懐かしい感じがして、かつてアトムの『地上最大のロボット』を書いた手塚サンがこれを観たら、一体なんて言われるだろう・・・などと考えた。(それにしても、どうしてこれくらいのモノを、日本で作って外国に見せることができないのかなあ。なんかみょーに口惜しい。)

『レミーのおいしいレストラン』  ピクサーのアニメがさらに技術的に高くなったのを感じたけれど、特別な愛着を持つに至らないのは、「ネズミが(もちろん人間相手の)高級レストランで料理をする!」ということに私が「感動」しないからかもしれない・・・などと考えたりした。キャラの中では亡くなったシェフの幻が一番魅力的。あと、料理の批評家が、いつぞや美術館で観たフランスのアニメ『ベルヴィル・ランデヴー』の登場人物を思わせて、(モノがフランス料理なだけに)なんだか可笑しかった。

『ラッシュアワー3』  私はJ・チェンの作る映画が大好きだけど、今回は、アクション・シーンはいつも通りに見えるのに、彼自身はどこか身体の具合が悪いのだろうかと心配になるほど、表情がさえないのに驚いた。脚本が粗雑なのか、他の俳優さんたちも生かされていない感じで残念。(ただ個人的には、本当に久方ぶりに真田広之の英語を聞いて嬉しかった。この人は日本語よりも英語での方が、感情のこもった喋り方をするような気がするくらい、表情と言葉の内容が自然に一致する、美しい英語を話す。もっとも役柄上は、もっと崩れた英語のほうが相応しいんだと思うけど。)

『ツォツィ』  南アフリカ、ヨハネスブルクのスラムを、映画で見たのは初めてだと思う。ただ、前半はステロタイプから遠い映画に見えていたのに、その後、妙な感じがしてきて、結局、私には(「感動」とはおそらく反対の)いわく言いがたい「イヤな感じ」が、どこかに残った作品。ただ、その理由が説明し辛い。この映画は「イギリス・南アフリカ合作」とあるけれど、イギリス映画の、それも特に旧植民地がらみの作品で、時として感じる臭みのようなものを、私はなぜか感じてしまったのだと思う。(なぜ素直に受け取れないのか・・・ただ、私は「教育」されるのが嫌いだというだけのことなのかもしれないけれど。この映画からは、どこか教育臭も私は感じてしまったので。)そのことを別にすれば、主人公ツォツィと、拾った赤ん坊と、同じく小さな子を独りで育てている若い母親の交流?は、母親の家の室内の雰囲気、隠されていたツォツィの素顔などと共に、今も心に残っている。

『ミス・ポター』  風景や室内の調度の美しさが、そのまま「作品を薄っぺらに見せない」機能を果たしていて、彼女が描く絵の中の動物キャラクターたちがアニメーションのように動き出したりするのも、決して安っぽくは見えない。そういった「人間以外」に、どれほど注意を払い手間ひまをかけたかに、作り手側の真剣さとセンスが感じられて、とても「気持ちのいい」作品に仕上がっていると思った。当時のイギリスの富裕な階層出身の女性が、その頃の常識とは違うやり方で、自分の望む形の親からの「自立」を計る姿も、(私などには実話とは思えないほど)爽やか。個人的には、ダンスを教えるシーンでの、E・マクレガーの歌が良かった。(今でも私は、ああいう場面を見ると、かつてと同じようにドキドキ(どぎまぎ?)してしまう・・・。)

『ファンタスティック・フォー:銀河の危機』  面白かった! 全くのフィクション(というか、そもそもSFマンガなんだし)なので、ダイ・ハードやM:iシリーズより、私としては「安心」して?観ていられるような気も。子供向けと言えばそうなんだけど、オトナのノスタルジーをくすぐるところもあって、娯楽作品として上手く出来ていると思った。(岩男サン、可愛い!)

『さらば、ベルリン』  当時のベルリンの風景(人々の姿も含めて)を実在するフィルムで見られたことが、一番印象に残った。(物語としては、女主人公が、どうしてああいうコトをしたのか・・・が、結局私には解らなかったために、不満が残ったのだと思う。)

『エディット・ピアフ 愛の賛歌』  理由もなく涙が溢れてくる・・・という映画に、久しぶりに出合った気がした。普通、涙はそれなりの理由?があって眼に浮かぶ。なのに、この映画の場面場面で、彼女の歌声(実在のあのピアフ自身の声)が聞こえてきた瞬間から、私の眼には涙が溢れてくるのだ。後で、この映画を見てもいない10代の友人にふとそんな話をしたら、「理由が判って涙が出るのは、良く出来たいい映画。理由が判らず、それでも涙が出るのは、自分にとっていい映画。」と言われた。『善き人のためのソナタ』は「良く出来たいい映画」で、この『ピアフ』は「私にとっていい映画」だったのだろうか・・・。(私が聴く度、なぜか涙が出そうになるシャンソン数曲は、ピアフが始めて歌ったものだということも、この映画で知った。)映画自体は要するに、最初から最後まで、1人の人間が「壊れていく」過程をずっと見ているような作品だったけれど、1つだけ強く印象に残った言葉があった。晩年、若い女性記者に「歌手にとって最高の瞬間は?」と尋ねられて、ピアフは「幕が上がったとき」と答える。確かに私には、幕が上がった瞬間に、彼女が自分=全世界とでもいうような場所に「ワープ」してしまうように見えた。現実の中で怯えながら生きている自分ではない、世界イコール自分自身という広々とした空間に跳び込めるからこそ、この人は生きていられたのではないか・・・などと、ふと思わせられた言葉だった。

『シッコ』  ムーア監督の自国(の医療制度)に対する怒りと、それでも何とかしたいという想いの真剣さが伝わってくる。彼がフランスやキューバで見せた表情も、印象に残った。ただ、こういうアメリカの医療制度の問題は、私が学生だった頃でさえ言われていたことでもある。当時(70年代前半)は、日本でも薬漬けの状況や医療費の膨大な赤字が取り沙汰されていて、学生だけの小さな勉強会の席でも、日本の皆保険制度はこの先どうなるのだろう・・・といった不安を、多かれ少なかれ皆感じてはいたけれど、「それでも、アメリカの制度よりは、はるかにマシ」という結論になったのを、今もよく覚えている。しかし、現実として、日本も既にアメリカのようになりつつあるのを感じる現在、将来に向けて、どういう道を私たちは選ぶのだろう。(例えばイギリスの病院のスタッフには、外国出身の人が本当に多く目についた。日本の場合、赤字国債を山のように抱えて、どういうヤリクリの仕方を考え出せるのだろう・・・などなど。)家族4人で観に行って、おそらく4人4様にいろいろ後から考えさせられたと思われる作品だった。

『幸せのレシピ』  以前にオリジナルの『マーサの幸せレシピ』を録画して観たので、予想してはいたものの、2作の雰囲気のあまりの違いに驚いた。ストーリーはそれほど変えてないのに、こちらは正にハリウッド映画そのもの!で、一方いかにもヨーロッパの映画(こういう言い方はレッテル貼ってるだけで良くないけど)・・・という感じのオリジナルは、不思議な暗さが印象に残る、オトナ向けの作品だったと思う。何より、主演男女の雰囲気と、役柄の設定が違う。『マーサ』のヒロインの「性格上の問題」を思うと、こちらの女性はもう問題外。全くの健康人、人格円満なオトナの1人にしか見えない。男性の方も、こちらは好青年で解りやすく、今風のアメリカ青年の良さ!という感じで、『マーサ』の方のイタリア男の凄み、迫力?とは好対照。ただ、疲れているときに観るなら、こちらの方がいいかも。私にとっては、C・ゼタ=ジョーンズという女優さんは、こういう時にこそ自然で魅力的なんだ・・・と、納得した作品。

『キングダム/見えざる敵』  結末の皮肉さ(と言っても、正に「現実」をひと言で言い当てたもの)が、この映画をよくある娯楽作品とは一線を画すものにしていると思った。主人公たちは不死身としか思えない・・・とかいった「作り事」上の欠点よりも、寧ろ脚本の肌理の細かさのせいか、別の意味でのリアルさを感じさせて、よく出来た映画なんだな・・・と。個人的(というのもオカシイけど)に大きかったのは、『パラダイス・ナウ』に出演していた、パレスチナ人の俳優さん2人に会えたこと。どちらもキチンとした役を与えられていて、その扱われ方(と2人の好演!)が、とても嬉しかった。

『ヘアスプレー』  とにかく元気が出る!映画。主人公がとってもチャーミング。でも、他の人たちもそれぞれ魅力的?で、特にその両親など、カップルのまま一対で今年のベスト・キャラに応募しようかと、一瞬思ったくらい。(実は、私は半分本気で、ああいう夫婦に憧れがあるのかも。)M・ファイファーもあの人ならでは?の役柄で、私の眼にはステキだった。

『ボーン・アルティメイタム』  「良い牛肉を上手に焼いたステーキみたい。」と、観た直後のメモにあるのを、今見て、思わず笑ってしまった。よく出来ていて、とても面白いんだけれど、私にとっては異国の料理というか、本来は食べない食物と言う感じがしたのかもしれない。(M・デイモンという人が、そもそも、私にはサーロイン・ステーキのような俳優さんなのだ。)でも、その後、家族が前2作のDVDを買ったので、それを観たら、私もまたイメージが変わるかもしれない。(ちょっと楽しみ。)







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