眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

『ミリキタニの猫』

2008-02-08 18:32:03 | 映画・本
この映画を観た後、あちこちの知人のサイトで感想を読んだ。どの方の感想も共感するものが多く、私にとって納得のいく書き方なので、読んだだけでもう十分満足してしまって、自分で書くことなど何も無いような気がしていた。

けれど今、他の映画の感想を書き始めようとして、やっぱり『ミリキタニ』については自分用に書いておきたいことがあるような気がして、何だか落ち着かなくなってきた。

私は、自分が何を思っているのかがパッと意識出来ないというか、わざわざ言葉として把握し直さないと、自分の考えていることがワカラナイ・・・とでもいうような、困ったトコロのある人らしい。映画を観ても、その映画がもたらした、なんだかボンヤリした靄のようなモノが頭の中に立ち込めているだけで、それをソォ~ッと抱えたまま、時々ちょっとだけ、ごくゆっくりかき混ぜたりして、何週間もいたりする。

しかも「言葉として把握し直す」のには、かなりのエネルギーを要するらしい。私にとっては、よほど元気な時じゃないと出来ない、ほとんど「芸当」と言ってもいいくらいの作業だ。(このブログがなかなか更新されない最大の理由でもある。)

それでも、今、「書く」ことは楽しい。

モノを感じる時、思う時、まして考える時には、人は言葉でそれをやっているのだと、どこかで何度か言われた気がするのだけれど、そういうやり方が出来たのは遠い昔のことで、しかもその頃は、書くことは楽しくもなんともなかった。今私が、どこかオバアサン猫のような日々を送るようになったことと、「書く」ことを楽しいと思うようになったのには、自分で思っている以上に深いところで、繋がりがあるような気がしている。


『ミリキタニの猫』の話に戻る。

例のよって、「ミリキタニ」という聞き覚えの無い言葉と、一種不思議な魅力を持つ色鮮やかな猫のイラストしか知らない状態で、私はこの映画を観に行った。だから、「ミリキタニ」が「三力谷」という日本名だと知った時は、それだけで十分驚いたのだけれど、その「三力谷さん」は「ミリキタニ」という外国名で呼ぶしかないような、圧倒的な迫力の持ち主だった。

そして結局のところ、このドキュメンタリー映画で描かれていたのも、私にとっては、ニューヨークで路上生活をしながら絵を描いている、この80歳の自称アーチストの、芸術家としての誇りの高さ!だった気がする。

お金だけでは決して受け取らない、「絵を売ることで食べてきた」画家であること。若き日に、「日本の絵と西洋の絵とを繋ぐ新しい芸術を生み出すために、自分はアメリカで生きることを選んだのだ」という自尊心と、自分の作品についての自負の念。逆境の中、意固地に「芸術家であるという誇り」を強固にすることで自分を守ってきただけとは思えないようなところが、映像で見るミリキタニからは感じられ、私はこの人のどこか清潔な感じ、ある種の潔さのようなものに、強く打たれたのだと思う。私の眼には、彼の絵の独特な美しさも、彼の誇りの高さに相応しく見えた。


「ミリキタニ」は、アメリカで生まれ、帰国して広島で育ち、軍人になることを強制する父に反発してアメリカに戻った結果、在米の親戚共々、財産は没収、カリフォルニアの強制収容所に送られ、その後市民権の放棄を強制される・・・といった人生を辿る。戦中戦後を通じて日系人が甞めた辛酸と、彼らを苦しめたアメリカという国に対する怒り・・・ドキュメンタリーは、その彼の凄まじいほどの怒りが融けていく過程を、2001年の「9・11」を挟む1年半ほどのドキュメンタリーとして描いている。

映画の冒頭、路上で出会った若い女性監督に、老画家は、絵を描いている自分を撮ってほしいと頼む。しかし、この映画が所謂ドキュメンタリーと違っているのは、撮影を引き受けた監督である彼女が、9・11の事件の後咳が治まらない画家を、さして広くもなさそうな自分の部屋へ連れ帰り、生活を共にするようになったことだ。

路上生活の頃のミリキタニは、ニューヨークの冬、着膨れてしかも背中は前屈みに曲がっていて、高齢でそういう生活をすることの大変さが一目で伝わってくる。けれど、彼女の部屋で絵を描いて生活するようになってからは、徐々に背筋も伸び、表情も和らぎ、路上でアメリカを大声で弾劾していた頃の彼とは、ほとんど別人のように見えてくる。

監督や彼女の知り合いの人たちが、「(自分から市民権を剥奪したに等しい)アメリカの社会保障の世話になる」のを頑として拒むミリキタニのために、いろいろな手段を講じてくれているのは感じられるのだけれど、そういうジャーナリスティック?な部分は全くといっていいほど映像としては出てこない。映画はただただ、ミリキタニの日常を淡々と描き、そのうち在米の親戚に有名な詩人の女性がいることや、生死が不明だった実の姉が存命なことも判ってくる。そして、ミリキタニの市民権がその後回復されていたことや、その知らせを彼が手にしていなかったのだという事実も明らかになる。

それらの情報を手に入れるためのすべての努力を、監督である彼女が映像としては取り上げていないことに、私は非常に珍しいものを見た気がしたのだと思う。

ミリキタニの日常だけですら、このオジイサンは結構ワガママなところもあって、監督が共同生活(というか、面倒を見るというか)をするのは大変だっただろう・・・と思わせられるのだけれど、彼女は受け答えも非常に大らかというか、「グランド・マスター」を自称する彼をニコニコと受け止めているのが、随所に感じられる。(自分が飼っているネコにかこつけるようにして、「私が居なきゃ、死んでしまう訳じゃあないでしょ。健康で自立したオトナなんだから。かまってほしいだけなんでしょ。」。ネコはもちろん知らんぷり。ミリキタニが、憮然としながらもちょっと悄気て見えたりするシーンもあって、微笑ましい。)

また、彼の絵を映像に取り上げる時のカットの仕方などからも、ミリキタニの描く絵に対して、口先だけではない敬意を、彼女が抱いているのも感じられる。(私の眼に、彼の絵が非常に美しく映るのは、そういう撮り方を彼女がしているからでもある。)

そして何より、被写体と監督というよりはオジイサンと孫娘(あるいは手のかかるコドモと歳の離れた姉!)とでもいった2人の間に流れるモノが、画面からはそのまま伝わってくる。


私はこの映画を観てから、ミリキタニのあれほどの怒りが(1年半の間に)融けていったのは何故だったのだろう・・・という疑問が、頭のどこかに残り続けたのだと思う。

市民権を持つ者として社会保障のお金を受け取り、低所得の人のための広い住居が提供され、それまでに描き溜めていた絵を自由に壁に飾り、それまでに知り合った人々を招くこともできるようになった。公共の絵画教室で絵を教えたりもした。そういうひとりの人間としての、経済的な安定も含めた「尊厳」の回復がひとつあると思う。

もうひとつは、これまでの人生で彼の中に充満した怒りを、共同生活の間に彼女がじっと聞いてくれたのだろうということ。(若い彼女にとっては遠い昔のことである太平洋戦争に纏わる日系人の苦労話を聞くことは、結構大変なことだったのではないか・・・と思うのは、勝手な憶測なのだろうか。)そして、日々実際に、彼に暖かく接してくれたのだろうということ。

もしかしたら、人は高齢であるほど「過去」から自由になりたいと思うものなのかもしれない・・・とも。(怒りを持ち続けるのは、人間にとっては本来辛いことのような気が、私はするからだ。)

けれど、そこまで考えても、私には疑問のカケラが残ってしまう。私は、「怒り」(恨み辛みとでもいうべきもの)がどれほど深くまで人の心に刻みつけられるかを、日々感じて育ったようなところがあるのだろうか、「そう簡単に、人は赦さないものだ」とでもいうような思い込みが、自分の中にあるのを感じる。

だからこそ、自分がかつて暮らした強制収容所を、ツァー客の1人として訪れた帰り、バスの中で口にしたミリキタニの言葉は強く印象に残っている。

「今はもう、すべて過ぎ去っていくだけだ。」

過去を清算できたこと、怒りが融けたのだということを、これほど端的に表現する言葉は無いかもしれない。


私はふと思った。「彼はアメリカを赦したかったのだ・・・。」

自分は日本人だと言い張っていても、それは自分に市民権が無いと思っていたからなのであって、彼にとってはアメリカこそ、人生の大半を生きてきた場所であり、彼の自負する絵も、そのアメリカの水に洗われながら彼が育ててきたものであり、そもそも愛情を持っているからこそ、裏切られたという怒りと憎悪も凄まじかったのだ。

しかも、彼は自分が「アーチスト」であることに迷いが無い。自分の作品に対する自信も、空威張りなのではなく、そういう「芸術家としての誇りの高さ」は、彼の人間としての土台の部分に傷がつくのを本当に防いできたのだという風に、私には見える。

それくらい、彼の「誇り」が「本物」だったからこそ、当然自分が持っていて然るべき市民権をアメリカが(放棄は無効だったという書類の形で)返して寄越したということで、「赦す」気持ちになれたのではないか・・・。

「市民権も財産も身よりも何も無い、高齢の路上生活者」などと、長い年月自分を惨めに思うことは、人間の土台を深刻に傷つけかねない。しかし、ミリキタニは本物の「芸術家としての誇り」を持ち得たからこそ、同じ人とは思えないほどの変貌、赦し方ができたのではないか・・・と。

監督はそういう彼の誇り高さを、観客に見てもらいたかったのだと思う。だからこそ、自分たちの奔走も、ミリキタニの過去の事情も(もしかしたら彼のプライバシーとして)作品上には出さず、最初から最後まで(ネコが好きで、自身もちょっと猫を思わせる?)この老画家の肖像を、映し続けたのではのではないかと。



ここまで書いて、やっと居心地の悪さが無くなった。何が書きたかったのか、自分でも判るようなワカラナイような文章だけれど、とにかく私の中の何かは気が済んだらしい。

ここから後は、映画とはあまり関係の無いような、個人的な付け足しだ。


この『ミリキタニの猫』を映画館で観た帰り、私は普段は寄らないスーパーで少しだけ買い物をした。店を出てまた自転車に乗ろうとした時、チリ-ンと、小さいけれどよく透る鈴の音がして、音の方を見るとひとりのオジイサンが、ちょっと離れた所で地べたに座り込んで、私のほうを見ている。店に入る時には見かけなかった人だ。

四国八十八ヶ所を巡るお遍路さんは、高知でも時々見かける風景だけれど、1月半ばの日暮れ時となると、南国と言われる高知でも、決してバカに出来ない寒さになる。その日は偶々寒波とかで、昼間も寒い風が吹く一日だった。夕方人通りが多くなるよりは、少し前の時間だったと思う。辺りには誰も見当たらなかった。

いかにも巡礼という格好をして、傍には杖、前には木のお椀、片手にあの鈴のようなものを持ち、編み笠を被った小さなオジイサンと目が合った私は、自転車を置いて、そちらへ歩いていった。途中で自分の財布を見ると、そういう時に限って小銭は十円玉が1つだけ。私は、ちょっと困って立ち止まった。(ここからさらに話は飛んで、全くの昔話になる。)

私は、禅宗の総本山の1つである永平寺の僧侶たちが、托鉢に回ってくるような田舎で、浄土宗の信者だった祖母に育てられた。マンジュウ笠を被り、冬でも素足で草鞋を履いた僧侶が門口に立って、あの鈴のようなものを鳴らし経を唱えると、祖母は必ず小銭を孫である私や姉に持たせて、椀の中に入れさせた。回ってくるのは僧侶だけではなく、尺八を吹く虚無僧だったり、たまには鳥追いの格好(とでも言うのだろうか)をして三味線を弾く女性だったりした記憶もある。

どういう場合でも、祖母は同じように小銭を持たせ、それは隣近所の家々も同じだった。勿論、祖母は僧侶に対しての時が一番、恭しく接していたけれど。こういうのを「喜捨」というのだと教えてくれたのは、祖母だったか父だったか・・・とにかく、何か思うところがあって修行をしている人や、今食べるものに困っている人に対しては、困ってない者がいくらかを「喜んで捨てる」のは当たり前なのだと。(こういうアイマイな説明の仕方を見ると、祖母から聞いたような気がしてくる。)

そういった育ち方のせいもあってか、道端で巡礼笠を見かけるといつも小銭を何枚か渡すのは、私の習慣のようになっている。けれど、無収入の一主婦である私の財布の中身は、私1人のものという気にはなれない。分不相応なことをするのは良くないというような気持ちも働く。

私は、ほんの一瞬、でも真剣に考えた。そして、千円札を1枚だけお椀に入れた。

その時のオジイサンの顔は、今も忘れられない。文字通り目を丸くして、本当に驚いているのがよく判った。「こんなに要らない(受け取れない)」と身振りでいうのを、私の手が押し留めて、私の口が勝手に「いいの。オイシイモノでも食べて。」と言うのを聞きながら、私はなんだか呆気に取られていた。(オジイサンより私の方が、もっと驚いていたのかもしれない。)

慌てた様子であちこち(と言っても、大して荷物は無かった)探しかけて、ふと思い出したように、オジイサンは細長いお札を何枚も取り出して、家のあちこちに貼っておくと災厄を防いでくれるから、どれだけでも持っていってくれと何度も言った。私は有難く数枚受け取って、ちょっとお辞儀をしてから傍を離れた。

家についてからも、私はなんだか呆然としていた。良いことかどうか判らないままにしたことを、どうやら相手がとても喜んでくれたらしい。そんなにまで喜んでくれたということで、逆に私が暖められたような気がした。そしてそういう成り行き自体が、なんだか不思議でたまらなかったのだ。

話としてはそれだけの、小さな出来事だった。それでも、私は後から随分考えさせられた。

私は普段、ああいう世慣れた口の利き方は出来ない。大体、ああいう押し付けがましい?ようなことは、まずしない。私にああいう行動を取らせたのは、『ミリキタニの猫』が及ぼした影響だと自分でも思った。こういう感慨には、すこし説明が要るかもしれない。

私の離人症というのは案外タチの悪いところがあって、例えば人の感じているものを、私自身は実感しにくい。やや極端に言うなら、現実の人間の感じるものより映画や本の中の人物の感じることの方が、ストレートに私に届く。かつては実際の自分の家族より、そういった登場人物の方が私にはリアルな存在だったくらい、言葉以外の方法では、私は他人と共感しにくい人間だと、自分でも思うことがある。

ところがあの時、あのオジイサンの感じている寒さは私自身が感じている寒さと同じものだということを、現実に私は肌に感じたのだと思う。だから、思わずあんなことをしてしまったのだ。

『ミリキタニの猫』という映画を通して感じられる暖かさ、軽やかさというのは、例えば『カポーティ』という映画で描かれていた「創造する者の業」などとは対極にあるようなものだと思う。


監督はミリキタニという画家の誇り高さを終始そのまま映して見せながら、私の中にはもっと別のものを、もう少し深いところに残したのかもしれない。







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3 コメント

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喜捨 (お茶屋)
2008-02-10 22:40:55
今度、托鉢僧を見かけたら、私も喜捨しようと思いました(本当)。
映画の影響もすごいけど、ムーマさんの文章の影響もすごかも(笑)。
やっぱりムーマさんの感想が読めてよかったです。

ところで、ミリキタニ爺さんは目に力がありましたね。80を超すと目の力が弱るけどね。亡くなる前の淀川長治さんもそうでした。
新藤兼人監督は、90近くになると思うけど、目に力がありますよね。意欲って大事だと思いました。若者の目ですよねぇ。
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若者の目! (ムーマ)
2008-02-11 13:50:53
お茶屋さん、ようこそ~。
「やっぱり感想が読めてよかった」と言っていただけて、とっても嬉しいです。

本当に、あのミリキタニの目は、ピシッと焦点の合った「若者の目」(お茶屋さんの表現がぴったり!)でした。(私は『ゆきゆきて、神軍』の主人公の顔が浮かび、後で他の方の感想に同じことが書かれているのを見て、嬉しかったりしました。)

例によって、映画と全然関係ないようなことも書きましたが、私が出会ったあの巡礼姿のオジイサンは、とてもいい人だったのだと思います。(「喜捨」してもらったのは私の方だったような気がします。)お茶屋さんのコメントを見て、やっぱり書いて良かったんだ・・・って、なんだかほっとしました。

いつもどうもありがとう。今から、「チネチッタ高知」の「2007年ベスト・キャラ」の発表を見にいきまーす(わくわく)。
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サムライの目? (ムーマ)
2008-02-11 14:58:05
たった今、ふと思い出したのですが、ミリキタニは、両親がもしかしたら元々士族の出だったのでしょうか。(だからこそ、経済的なこともあってアメリカに渡ったのだろうか・・・と。)

彼の力のある目は新藤監督や淀川サンと同じ「意欲」を、あのある種の清潔さというか潔さのようなものは、彼自身が言うところの「サムライ」を、本当に感じさせると私は思いました。
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