What’s ノーマリゼーション?

福祉について考えるUMEMOTOのブログ

性善説か性悪説か?

2005-08-03 09:14:40 | 教育について
義務教育の場ば大きく変わろうとしている。7月30日文部科学省は、公立小中学校が自らの裁量で学級編成を行えるように制度を改正する方針を固めた。
これにより、個々の学校が、学年ごとに学級の人数を変えたり、不登校対応に専念する教員を置いたりするなど、さまざまな問題を抱える実情に合わせて対応できるようになる。
これまで、都道府県が県一律の学級定数を決め、市町村が学級編成をおこなっていたのに対し、今回の改正案では市町村が学級定数を決め、各学校で学級編成をおこなえるようになる。
つまり、権限委譲であり、分権の流れにのった対応といえる。今までの大きな枠組みでは対応しきれない問題が増えてきたことの表れでもあろう。

それに対し、義務教育費においては分権の方向性は未だみえてこない。昨年より全国知事会などの地方団体は、国と地方の税財源を見直す「三位一体改革」の一環として、義務教育費の国庫負担を廃止し、税源と一緒に痴呆に移してほしいと求めてきた。金銭面での分権も進めようということである。
しかし、これまで国庫負担があるからこそ大きな顔をしてこれた国にとっては、税源を委譲することは、自分たちの発言権を失うとして反対をしている。国の言い分としては、これまで国が教育に責任をもってきたことで、世界でもトップクラスの教育水準を確保できたということがある。これまでの国のかかわりをすべて否定するつもりもないし、確かに全国一律の教育を提供してきたことの意義はあっただろう。しかし、その体制に限界がみえてきてたことも明らかである。

そんな中、全国知事会の意見に反して、国庫負担の継続を求める声がある。その代表が東京都の石原慎太郎知事と長野県の田中康夫知事である。田中知事が言うには、税源を委譲したところで、その税金がきちんと目的通りに使われる保障はない、というのである。今までの自治体のずさんな財政運営を批判しており、知事の発言としてはいささか過激だが、これまで長野県において、真剣に県議や県職員と向き合い、ぶつかり合ってきた田中知事だからこその言葉でもある。
税源を委譲することは聞こえはいいが、それがすぐに分権につながるほど今の役所の体制はできていない、といういわば性悪説である。きちんと国が責任をもっていくべきだ、と。

しかし、そんなことを言っていては、分権は一向に進まないのも現実である。地方分権は構造そのものを変える「構造改革」であり、4年くらい前に小泉首相が「―痛みを伴う」としきりに言っていた通り、その過程では大きな意識変革が求められ、大きな痛みも伴うものである。
それぞれの思惑が絡み合っている現状を打破しなければ、構造改革は進むことはない。地方分権自体は多くの人が賛成するところであり、方向性も間違ってはいない。その方向に向かって、皆が一旦利害を捨て、痛みを受ける覚悟を持って改革に当たる必要がある。

私たち日本人にそれだけの意気込みと力がある、という性善説を信じたい。

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