むじな@金沢よろず批評ブログ

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八田與一没後67周年墓前祭になんとも場(馬)違いな馬区長出席

2009-05-10 01:21:08 | 台湾その他の話題
八田與一没後67周年の墓前祭が8日午後、台南県官田郷の烏山頭ダム脇の八田の墓と像の前で行われた。馬英九が総統として初めて、いや自称台湾地区指導者として初めて出席し、北京語で八田の功績を賞賛し、八田の顕彰を通じて日本との友好を維持することを強調した。
しかし、馬という名前だからしょうがないんだけど、場(ば)違いなんだよな。ハーバード出のシナ人の「ハンサム」なエリートが、北京語で挨拶するってのが。しかも周りは、北京語なんて日常的に使わない台南県の水利関係者と、馬が大嫌いなはずの日本人、しかも特にその中でも絶対そりがあいそうにない保守的な金沢人ばかりだもんなw。
台南県、とくに同ダムが位置する官田郷は陳水扁の故郷で、民進党の地盤だから、そこを切り込みたいという政治的思惑だけがミエミエすぎて、しらける。

おまけに演説内容も反日的な表現や事実の間違いが多かった。「日本時代の人でも侵略的で植民地主義の人ならわれわれも排撃するが、八田技師はそうではなかった」なんてわざわざ言わなくてもいいことをいったり(通訳は日本語にしなかったが)、事実関係でも「没後60周年」なんて間違ったり、あと「八田技師は地元で優勢な真仏宗の敬虔な信者」と「真仏宗」なんて造語をしてみたり、わけわかだった。

いい間違いの「60周年」だが、これは馬の頭の中では今年10月1日の「心の祖国」中華人民共和国建国60周年が頭の中にあるから、ついすべったのだろう、きっと。そしてそれだけ馬英九の頭の中では八田與一なんてどうでもいいということを示したものといえる。これは呆れた。
それから、「真仏宗」とは何ぞや?真宗といいたいんだろうが、それなら「浄土真宗」というべき。しかも、八田與一があのダムを作ったときの思想的基盤には真宗があったというのは、八田が真宗王国の金沢出身だということから来る憶測の類で、実際にはこの辺はまだまだ解明されていない。私が以前小川尚義について調べたときのように、明治で先進的な仕事をした人の多くは、伝統の仏教の基盤のほかに、キリスト教の影響もある。それに八田は工事担当者のために良質な宿舎を用意して、しかも子弟のための学校や病院まで建設したのだから、思想的には当時の先進思想だった共産主義や国家社会主義(ナチズム)の影響もないとはいえない。馬英九は何を根拠にして「真宗だけ」と言い切るのか?
さらに馬は「侵略思想なら排撃するが」といっているが、八田にとってはあくまでも台湾は日本の領土という前提で開発していたのだから、排撃の対象になってしまうんだが、そのあたり、まったくわかっていないらしい。大体、旧制高校を経過しているような人で、いくら技術者でも、漢文をはじめ文学哲学の素養は深かったと思うべきで、しかも植民地で活躍した人は、今でいえば帝国主義思想以外の思想を持っているはずがない。馬の幕僚とか周辺には、日本の近代史に通じている人間がまったくいないから、「八田は技術者だから政治的思想的には中立で無色だっただろう」と勝手に思い込んでいるだけだろう。だからこそ馬の演説は日本人には響くものがないのだ。

しかも仮にも「現職総統」なんだから、通訳は外交部か総統府の専属のプロの台湾人を用意するのが儀礼的には普通。それなのに、金沢出身で台湾で活躍している日本人にさせていた。これは、外交儀礼に反する行為で、信じられない。まあ、金沢人が通訳したから、いい間違いとか不適切な表現を直したりできたという実際的メリットはあるんだけど、総統府は実務的に失格。

おまけに、交流協会の斎藤代表は、事前にあった「台湾の地位未定」発言で、総統府や聯合報にバッシングされたことから急遽欠席。しかも欠席したということを直接確認するすべがないらしく、今回の行事を企画した人に電話かけて「斎藤氏は来るのか」聞いている始末。通訳を用意しないといい、交流協会に照会するルートもないことといい、今の馬政権の外交は完全に失調を来たしているといっていい。

もっとも、シナ人の馬は台湾史と日本との関係については無知で、没後年数を平気で間違えているように、八田與一に対する心はこもっていない。
陳水扁は地元のくせに、逆に地盤だからこその安心感か、墓前祭には一度も来たことがないし、李登輝も農業経済学者で南部の農村に通暁しているだけに、逆に墓前祭に来ることはなかった。
その点、台湾人ではなく、台湾の土地を愛してもいない馬はだからこそ、白紙状態で李登輝から八田與一だけ吹き込まれたから、八田與一だけは、「馬」鹿の一つ覚えみたいに、なんでもする姿勢だ。
8日の演説でも、われわれの期待通り、八田與一がダムや水路の建設中にすんでいた宿舎など従業員宿舎4棟を復元し、記念公園にする計画も正式に発表した。
その点では、金沢出身者としてはありがたいことだが。

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