むじな@金沢よろず批評ブログ

台湾、国際情勢、アニメなどについて批評

売れる本=良い本ではない、文化商品は売れ行きと質が反比例する、ネオリベの貧しい発想こそ問題

2010-04-29 16:43:33 | 芸術・文化全般
2ちゃんねるとか見ていると、私の本が売れるのかなどと書いているバカが多いが、そういうのはおそらく本をマトモに買ったことも読んだこともない、農奴の末裔だろう。考え方が卑賤そのもの。
これが工業製品だったら売れることは良いことだが、本とか映画とかは文化商品なんであって、「売れること」が第一義ではない。むしろ売れ行きが良いものは質の点ではいまいちであることが多い。

たとえば宮崎駿の映画。後々評価が高まって、今では世界のアニメ映画の最高傑作に数えられている「天空の城ラピュタ」、その次に評価が高い「カリオストロの城」は、公開当時の興行成績は惨憺たるものだった。ラピュタなんか動員客数は70万人程度で、配給収入は6億に届かず、明らかに赤字だっただろう。
しかし、今となっては、ラピュタはキャラのよさ、名台詞の数々もあって、テレビ放映されるたびに名言のところで、2ちゃんねるの実況板が炎上するまでになっている。
それに対して、1000万人以上を動員し興行収入も100億円を超えるハウルやポニョは明らかに駄作だ。むしろ80年代に興行的には最悪だったころの秀作が後世に評価されて作られた名声だけで動員しているだけだ。
クラシック音楽だって、レハール以前の作曲家は、それだけでは食えず、芸術家らしい偏屈さでパトロンも失って赤貧にあえいでいたのが多かったし、現在評価が高い作品も初演時点では評価が低かったもののほうが多い。
小説だって、村上春樹の「1Q84」の文学的評価は?。売り方もえげつなく、大衆作家化しているから、ノーベル賞的にはマイナスだろう。むしろ売れる前や売れ始めのころのほうが良い作品が多かった。

しかも、私の本は、いちおう商業ベースのものだが、内容的には学術に近いもので、台湾政治というテーマは初めから「売れる」筋合いのものではない。
これが純粋に学術書だったら、それこそ発行部数は300部とか、初めから「売れる」といったレベルではない。
それでも「台湾入門」などは内容をしっかり書いているから、定番書籍として息が長く徐々に売れるのであって、本というものは、そもそもそういうものだ。

宮崎アニメが典型だが、文化商品は売れないころの売れなかった作品にこそ真価がある。「本が売れるのか」などと書いている輩は、おそらく本というものの意味を知らないんだろうね。

もっとも、今の出版界は、特に大手ほど、ネオリベ流「消費主義」に汚染されて、「売れ筋」をやたら気にする悪しき傾向があるのは事実だが、それなら最初から本など出すべきじゃない。中小にはまだまだ矜持はあるんだけどね。

それから、「売れる」=「良い」という発想も、ある意味では団塊の世代的。もちろん団塊でもまともな人はいるけども、三浦展の指摘を借りれば、団塊の世代は総体的に米国崇拝で大量消費志向が強い。今も「日本は消費が弱く、不況だ」などといっている「よくある論調=謬論」の出所は多くは団塊の世代だろう。米国流の消費こそが良い、消費しなくなった日本はだから元気がなく衰退していて、中国こそが強い、というあほらしい妄想だ。そういう人たちがバブルとその崩壊を招いた元凶なわけで、こういう発想こそリーマンショック以降の現在は無用だということが、まだまだ気づかないアホが多すぎる。
おそらく「アンタの本が売れるのか」なんて書いているのは、その子どもたち=団塊ジュニアだろう。彼らは親の世代の洗脳を受けてやはり消費主義の考え方が浸透しているから。
しかし、今の25歳以下くらいは違う。金がない人間は消費をしない。あるだけで生活を楽しむようになっている。それは西欧が何十年も前から学び取った生活スタイルで、先進国成熟社会として望ましいあり方だ。しかし団塊およびジュニア世代から見ると、そういう生き方は理解できないようだ。その結果が「お前の本が売れるのか?」という貧しい発言である。

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