むじな@金沢よろず批評ブログ

台湾、国際情勢、アニメなどについて批評

新たな社会の力となるか 学生たちが国家権力の横暴に抗議する座り込み展開!

2008-11-09 23:24:39 | 台湾社会運動
6日昼総統府付近ではじまった「囲城」行動と時を同じくして、警察による過剰な取締に抗議して、人権と平和を訴える学生たちが、行政院前に集結してすわり込みを始めた。
要求は3点。馬英九と劉兆玄の謝罪、警政署長と国家安全局長の辞任、集会遊行(デモ)法改正。
しかし、抗議をひとつも許容しない反動政権は、7日午後4時47分から6時10分までの間に、警察が「柔性駆離」という、いわゆる「ごぼう抜き」を行う暴挙に出た。ただし、警察は学生たちを台湾大学正門まで送って解放した。この時点の学生は200人あまり。(なぜ、台湾大学正門?よくわからん行動だが、まあ警察としても、相手が学生だし、申請していない以外に違法行動もないので、処置に困って、なるべく穏便に済ませたのだろうか)
その後学生たちは、事前に申し合わせ、公告していたように、場所を自由広場に移して7日夜から座りこみをおこなっている。途中8日昼前からは寒気も入り、大雨も降っているが、学生たちの行動は続いている。入れ替わりもあるから総計では800人くらいはいるだろうが、常時いるのは100人強だ。
新竹市、台中市、彰化、台南市、高雄市でも、これに呼応した大学生らが数十人規模で座り込みを始めている。

ブログ http://action1106.blogspot.com/ ; http://1106protestcast.com

ライブ 
http://live.yahoo.com/wenli
台南のライブ http://live.yahoo.com/tainandirect

報道 苦勞網(左派系社会運動を網羅) http://www.coolloud.org.tw/ ; http://blackbeartw.pixnet.net/blog/post/21963907


人数的にはちょっとさびしい。しかし、これは時期的な問題もある。
というのも、週明けは多くの大学で中間テストの時期である。1990年3月にあった「野百合運動」は2週間前後にわたって、常時数千人の学生が座り込みを行ったが、それは春休みかあるいは学期初めで比較的に時間に余裕がある時期だったので、比較にならない。
だから、この運動も週明けて金曜までが山場である。これを乗りきれば、さらに多くの参加者が見込まれるだろう。

そもそも、1996年以降、抗議行動が最大限に許容されてきた台湾社会において、しかも純粋な学生という階層が行っている平和的抗議行動に対して、警察が排除行動に出たのは、市民社会の反発を呼び起こすにあまりあるものがあるのだ。
また、学生たちが指摘している現行集会デモ法の悪法性をいみじくも証明してしまった。
台湾の現行集会デモ法は、韓国の同類の法律と同じく、権威主義時代に作られたものが、そのまま残っており、警察による許可制となっていたり、主要政府機関や外国公館付近での集会デモを禁ずるなど、きわめて権威主義的な色彩の法律である。

学生の抗議に対して、明らかに中国人特権層という顔をしている国民党支持者の間には心無い罵倒を投げつけるものがいる。「合法的なものか」「通行の邪魔だ」など。自らが2006年に赤シャツ隊で道路を不法占拠してきたことを棚に上げて。法そのものがおかしいという運動で、しかもそもそも警察が許容しようとしなかったことに対する抗議に合法も何もないだろう。
しかも学生を支持する民衆に反論されると「われわれも言論の自由がある」と開き直る始末だ。他人の言論の自由を攻撃、妨害しようとして自らを自由だというのも、自由の意味を知らない反動分子の特徴だ。
自分と意見の異なる人間の行動にいちいち食ってかかるのは自由ではなく、単なる頑迷なだけである。

台湾が本当の意味での民主主義社会になるのは、いつの日であろうか。



6日午後11時30分過ぎ、行政院前、座り込み



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7日午後3時20分過ぎ、行政院前、笠をかぶって座り込み



7日午後3日20分過ぎ、行政院前、警察側が「行為違法」の警告



7日午後3時20分過ぎ、行政院前、学生側が「警察違法」の指摘



7日午後10時50分過ぎ、自由広場に移って



8日午後4時40分過ぎ、自由広場、雨の中、「戒厳令の雰囲気をを再び感じる」

アホな上層部の命令に従わざるを得ない一線警官の悲哀 下手な取締が抗議に火をつけた

2008-11-09 23:22:46 | 台湾その他の話題
陳雲林が台湾に着いた3日から始まった抗議行動に対して、特に前半は警察側の過剰対応、脱法行為が目に余った。
3日昼には陳が泊まる圓山(グランド)ホテルで、すでに予約して宿泊していた民進党所属台中市議員が部屋から「台湾を愛する、陳のような匪賊は帰れ」という垂れ幕を掲げたところ、それを見つけた警官が令状もなくいきな部屋に押し入り、垂れ幕を取り上げ、さらに正当に宿泊している議員をホテルからつまみ出した。
4日夕方には会談場所の晶華(リージェント)ホテルでは、民進党の現元立法委員が抗議すると警察が押し倒して立法委員らが重傷を負った。
さらにその後の4日夜には連戦との会談が行われた国賓(アンバサダー)ホテル周辺道路では、抗議の人があふれて騒然となる中、民生東路と中山北路の角にあるCDショップ「上揚」で台湾語の歌を鳴らしていたところ、警官がやはり令状なしに踏み込んで、音楽のスイッチを切り、店のシャッターを強制的に閉め、その過程で売り物がいくつか壊された。(同店は、もともと深緑系で有名だったから、狙い撃ちされたのだろう。まるで80年代だ)
また、同じ場所で歩いていたヘビメタ歌手Freddy(馬英九とも交流があるが、総統選挙では謝長廷を支持)が「警戒線を超えた」として警官に殴打された。しかし現場に警戒線など設定されておらず、別の人は殴打されなかった。
3日から4日にかけて、空港から台北への道、ホテル周辺などで、「中華民国国旗」を持っていた民衆が「国旗」を没収され、警官が「国旗」を破損したりした。一方、五星紅旗を持っている場合は、没収されたりすることはあまりなかった。チベット旗は個々の警官が知らないのか、あまり問題にならなかった。

議員らに対して暴行を働いたり、令状もなく宿泊客の部屋に押し入ったり、店に侵入するというのは、法の過剰執行というより、明らかに脱法、違法行為である。
まあ、もっとも国民党なんて、もともとそういう集団なんだけどね。

ところが、どうせ横暴なら、何人に対しても横暴を徹底させればいいものを、どうも大国に対しては弱いらしいw。
4日夕方のリージェントではファンキーな風体のフランス人が主に英語で「台湾は独立国家だ」と陳からわずか数メートルの場所から叫んだが、警察は取り囲んだが、あまり強硬につまみ出すことはせず、フランス人もたいした怪我は負わなかった模様。
さらに5日夜にはリージェントの隣のロイヤルホテル(日本航空系)の部屋から民進党員が抗議の垂れ幕を掲げたが、3日のグランドホテルとは違って、警察は踏み込めなかった。
つまり、毛唐とか日本とか大国が関わっていると何も手出しをできない、一貫しない姿勢をさらけ出していた。
まあ、身の程を知っているともいえるんだが、ここまでくると、買弁資本の手先まるだしだった1930年代の腐敗反動国民党そのまんまだわw。

ただ5日から7日にかけて現場で警官を適当にからかいながら、表情や雰囲気を観察した限りでは、一線の警官も非常にやりきれなさを抱えていた様子だった。

一線にいる警官たちは、日頃から民衆と接触しているから、今の市民社会の動向はわかっているし、中国が好きな人間なんていない。だから、抗議側の気持ちは痛いほどわかっているし、心の中では支持し、参加したい気持ちでいっぱいなのだろう。
ただ、警官という職業上、上司の命令は絶対だ。かといって、トップが馬英九という愚かもので、愚かな命令をしてくるので、心中の葛藤は極限に達しているのだ。

案の定、台中県から借り出されていた警官が、心身とも憔悴しきって脳卒中を起こして病院に担ぎ込まれる事件も発生した。
台湾の記者に聞いたところでは、警官のブログなどで「駆り出されて、激務で、疲労困憊してやってられない」という声が吐露されている。

7日夕刻に行政院前で座り込みしていた学生を警察が排除(ごぼう抜き)に乗り出したが、警官の表情多くがやりきれなそうだった。それもあって、日本だったら10分くらいで終わりそうな作業が、1時間半もかかっていた。これは技術がないこともあるが、警官にもやりきれない気持ちがあるからだ。

技術がないといえば、1996年以降、台湾の官憲は抗議運動を基本的に放置し、逸脱したものだけ押し返す、というきわめてマイルドな方式を採用してきた。だから、日本の警察が持っているような高度な鎮圧技術を身に着ける機会がなかった。
持っていないなら、はじめから下手に鎮圧する動きなどしなければよいのだが、それが馬英九にはわからないようで、下手に取り締まろうとして、下手に民衆を刺激して、抗議行動に火をつけてしまっているのだ。


実はやる気がない警官、5日夜、リージェントホテル裏門

ネット社会を理解できない低脳国民党

2008-11-09 23:22:05 | 台湾社会運動
国民党所属立法委員・張碩文が抗議の座り込みをしている学生を「謝長廷選対本部の若者が先導しているから、民進党が操縦している」といい、新党所属の台北市議員の侯冠群が「デモで公共物が破壊されるため補償が必要だから、デモの主催団体には税金をかける法律改正が必要だ」などと主張している。
これは民進党だけがデモを煽動、主導できると思い込んでいて、ネット社会というものを知らない愚かな発言だ。
ネット社会では匿名性が原則であり、ある言説や運動が起こっても、誰が首謀者なのか、そして参加者と単なる見物人の区別もわからない。それがネット社会における市民運動の特徴なのだ。

「主催団体に税金をかける」というなら、5日のリージェントホテルの抗議行動は、一体誰に税金をかけるのか?
あの行動は、市民が勝手に集まったもので、民進党はまったく関知していないどころか、むしろ介入をためらうという不甲斐なさで、どこにも「主催団体」などありはしない。

数百人にのぼる学生の座り込みにしても、謝長廷選対本部に関わった若者や民進党員の若者はいるかもしれない。しかし、現場を見ればわかるが、明らかに民進党の影はないどころか、むしろ楽生院問題で民進党政権とも衝突した学生も多い。ネットで情報を知って集まっている。
言いだしっぺは、台湾大学社会学系助理教授の李明[王](ハーリー族の研究もしていて、私と相互に論文の引用した仲でもある)だが、だからといって、彼自身が集めたのはたかだか20名かそこらで、法的にいう「主催団体」には当てはまらない。

また、民進党が関わっているかどうかといえば、関わっている大人としては、台湾人権促進会、緑の党などがあるが、それらは台湾独立派ではあっても、むしろ政権時代の民進党にも批判の声を上げてきた団体である。
愛国同心会や中華統一促進党が深藍であっても、国民党主流とは明らかに違うように、緑の党やその他左派的社会運動団体、あるいは今回の学生は、確かに台湾独立派ではあるが、民進党とはまったく異なる。
台湾の政治社会の版図は、すでに藍か緑かで二分化できないほど多様化してしまっている、運動する学生たちはもちろん国民党には反対だが、必ずしも今の民進党に近いわけではない。いや、学生から見れば、民進党すら国民党と同じ保守の側にあるように見えるくらいなのだ。反動国民党側から見て、民進党が国民党よりも左にあるから、そのさらに左に位置する学生が民進党の別働隊に見えて仕方がなくても、それは単なる錯覚である。

何よりも、民進党が関知も主導もしていない運動が始まったのは、市民社会、市民運動が今の民進党に飽き足らず、民進党に失望しているからに他ならない。
それが可能になったのは、ネット社会の力でもあるのだ。

張碩文も侯冠群もネット社会というものを知らないのだろう。しかし今の時代に、ネット社会について知らないものが偉そうに発言する資格はない。

市民社会に乗り越えられた民進党の弱体と無能力

2008-11-09 23:21:17 | 台湾社会運動
今回の一連の抗議行動の主力は、いわば勝手に繰り出してきた「勝手連」の市民たちだった。国民党勢力はこれを民進党の策動だと非難しているが、実際現場を見ればわかることだが、姿・格好からみても、主力となったのは台北周辺の中産層・公務員で、おそらく1月と3月には国民党を支持した層である。その証拠に、抗議の現場では中華民国国旗を掲げる人も見かけられたし、欧米の基準から見れば手段もおとなしいものだった。
というか、大体、11月の平日の夜6時ごろから抗議に繰り出せる「ヒマ人」は、労働者や小規模商売人が多い民進党の支持層にそう多くはない。現場を見れば、明らかにあれは本来の国民党支持層が主力だったといえる。国民党支持層だって、多くは本土派であり、中国には不信感や反感を持っているのが、今の台湾の現実だ。
そういう意味で、馬政権は基盤から崩れつつあるのである。

それに、一連の抗議運動が本当に民進党が主導、策動していたというのは、現在の民進党に対する過大評価もいいところである。民進党にそこまでの力があるのであれば、現在の状況をうまく利用、操作して、馬政権はとっくにひっくり返されているだろう。

今の民進党には市民運動を主導するほどの力も知恵もない。民進党は発展した市民社会にとっくに乗り越えられてしまった。

しかもあろうことか、国民党勢力が6日の投石や火炎瓶をさして「民進党は暴力政党だ」などと中傷した際、民進党は「あれはヤクザが介入したものだ」と根拠もない反論を行ったり、「われわれの秩序維持部隊も不足があり、暴走した党員は処分する」などといっているのが、これは力の無さを暴露したものだ。

ヤクザが介入したかどうかは証拠はないし、ヤクザのすべてが悪いわけではない。民進党の著名政治家にもうヤクザがいる。日本の寅さんだってヤクザだ。歴史的に台湾で外来政権に抵抗してきた人たちも多くはヤクザかチンピラだ。
抗議行動の過程で、お祭り騒ぎで妙な人が入ってくるのは避けられない。それをつつかれていちいち狼狽しているようでは、運動などできない。

そもそも4日、5日、6日のホテル周辺の抗議運動は民進党が企画したものではないし、民進党の政治家の姿は5日と6日にはほとんど目立たず、現場にいた少数の民進党支持層も失望していたくらいである。

そうである以上、民進党は
(1)そもそもホテル周辺の抗議は、民進党が企画していないし、関知していない。
(2)しかし事前に警告したとおり、陳の来訪によって、市民の怒りが爆発し、不幸な結果を招くはずだ。そして、そのとおりになった。つまり、すべては国民党政権が来訪を急いだことによるものだ。
(3)市民の行動は民進党の指揮を超えるものだが、それは市民の怒りの大きさを示すものであり、国民党は市民の怒りをを正視すべきだ。
と反論すべきだったのである。

そして、きわめつけとして持ち出すべきなのは、1990年代までの民進党なら持ち出していた「人民の抵抗権」の概念である。
今回は国民党政権の官憲に脱法行為、過剰行動が目立ったし、やってきたのは世界で数少ない強権国家の高官である。だから、人民の抵抗権という反論をすべきだった。
まして、民主進歩党の党名における進歩とは、リベラル左派的な意味での進歩傾向を意味する。そうであるなら、なおさら「人民の抵抗権」「市民の不服従」「進歩的市民社会の不満の表出」といって正当化すべきだった。
また、進歩という単語のもうひとつの意味でも、民進党は進歩を怠っているというべきである。いや、むしろ1990年代よりも退歩すらしている。

もちろん、民進党の名誉のために付け加えるなら、民進党には民主は確実に存在する。その点は民主主義のミの字も知らない国民党よりも数倍はマシである。
しかし、残念ながら市民社会は民進党よりもはるかに先に進んでしまった。これが民進党の悲劇である。だから、最近、馬政権の失策で、国民党の評判も一気に低下しても、民進党がそれに反比例して浮揚することもできない。確かに最低水準は脱したが、2004年夏の最高潮には戻っていない。

そういう意味では、今必要なのは、市民社会から新たな政治の流れと動きが育つことである。それが民進党を飲み込むのもよし、別の政党をつくるのもよし。

いずれにしても、来年の台湾は、政界再編が起こるだろう。国民党ももはやボロボロ。民進党も脳死状態とあっては、巻きなおしは必至だ。中華民国体制も崩壊し、一から出直すことになるだろう。

国民党勢力の無知・愚鈍・反動と反民主性 そして市民的不服従の時代へ

2008-11-09 23:20:42 | 台湾社会運動
今回の陳雲林に対する抗議行動は、6日昼の「囲城」(総統府付近包囲運動)および同日夜の圓山ホテル周辺での抗議で最高潮に達した。
囲城では景福門付近では、警察が設けた鉄条網突破と投石、夜の台北美術館付近の抗議では角棒による警官隊への応戦や火炎瓶投擲が見られた。

台湾の国民党勢力とマスコミは、なぜかそうした世界の目を見ようとせず、しきりに「抗議行動は違法で、逸脱行為で、民主国家としてはあるまじき恥だ」などと書き立てた。
しかし一言でいって、これは台湾市民の中国および馬政権に対する怒りがそれだけ大きいこと、国会も独占状態の台湾の政治体制で体制内で浮かばれない多様な声が火炎瓶などの形で現れたからに他ならない。
実際には民主国家であればあるほど、強権に対する抗議行動は強く、激しくなるものだ。
WTOシアトル会議、ブッシュの各国訪問、米国のイラク侵略、聖火リレーなどに対する抗議行動は、いずれも鉄パイプや石や火炎瓶が乱舞する激しいものとなった。
それこそが民主主義の常態であり、憲法に先立つ自然権としての人民の抵抗権の発露なのである。
だから、本当に民主主義がわかっている欧米日のマスコミは、抗議を肯定的に取り上げたのである。

ゲリラや「過激な抗議」が起こるのは、社会の多様な意見や声が、体制内で表出され、解決されるチャネルを欠いている場合に起こることは、政治学や政治社会学では常識である。
南米でかつて左翼ゲリラが横行したのも、保守独占体制の中で、貧困層を代表する意見が抑圧されてきたから、左翼が急進化し、ゲリラや武装闘争の形で表出したものである。
中東におけるいわゆるイスラーム主義やイスラームテロと呼ばれる動きも、欧米のマスコミがイスラームを蔑視し、イスラームの人たちの「欧米キリスト教徒」とは異なる視点や考え方を一切抑圧してしまっているために起こっている。
60年代米国でもマルコムXらは過激な手段に訴えたが、それも白人の抑圧と蔑視がそれだけ強く、黒人の権益が守られなかったからである。

台湾では、少なくとも総統選挙が行われた1996年から、特にリベラルな民進党政権になった2000年以降、体制側は少数派や弱者も含めた多様な意見を尊重する姿勢を示してきた。まして抑圧されてきた側の民進党や独立派が政権を握ったこともあって、基本的に弱者は過激な手段に訴えなくてもよくなった。

しかし5月に馬英九が総統となり、国民党政権が復活して、事態は大きく変わった。
国会選挙でも総統選挙でも圧勝した国民党は、「選挙で勝ったのだから、われわれのやることはすべて正当だ」などという傲慢な論理を使って(これはヒトラーも使った論理だ)、多様な意見に一切耳をふさいだ。
選挙で馬と国民党を支持した人は、経済を良くするという一点のみ支持した人が多いのであって、対中傾斜を支持したわけではない。それどころか馬英九は選挙中にチベット弾圧に対する五輪ボイコットを示唆し、台湾住民自決論を叫んだのであって、対中傾斜などおくびにも出していないのだ。選挙で言わなかったことまで支持したという強弁は、ヒトラーと同じである。

多様な意見が抑圧されれば、鬱屈した不満と怒りは、より過激な手段で爆発する。

まして、別記する学生の座り込みという「平和的運動」すら、許可せず、排除してしまう以上、また民進党が当初申請した「囲城」デモも直前まで許可しなかった以上、国民党陣営が「平和的抗議ならよい」というのは、虚言でしかない。誰が平和的行動すら認めなかったのか。

ただ、それにしては、台湾人は根っからのお人よしと温厚さからか、手段は一般に想像されるほど過激ではなかった。
火炎瓶もたかだか数発だけ、そして投石と角棒だけ。
日本や欧米でよく見かけるヘルメットをかけて鉄パイプ、あるいはより殺傷力が高い凶器を持ち出すものは【いなかった】。
これで「暴力」などという国民党勢力は、それだけ民主主義がわかっていない、市民の抗議というものがわかっていない反動集団であることを暴露した。
そもそも暴力なのは、違法な取締りを実施した国民党政権なのである。

台湾はこの5ヶ月で、一挙に時代が逆行した。
これは、中華民国体制の後進性に由来するものだ。民主化も中華民国体制に制限され、選挙の過程だけの民主化にとどまり、国民党自身の民主化、三権分立の確立、すべての権力機構と構成員の民主化はまだまだなのだ。
たまたまこれまで台湾は民主主義を確立したように見えたのは、たまたまこれまでの選択が李登輝と陳水扁という僥倖さに由来するもので、結局は人治でしかなかったのだ。
つまり、指導者の思想が民主的なら民主主義は実行されるが、権威主義なら民主主義は保障されない。
民進党系が指摘するように「戒厳令時代に戻った」というのは大げさにしても、体制側の頑迷さと非寛容さは、1993年ごろのレベルに逆戻りしたといえるだろう。
しかし、台湾は着実に進歩している。国民党は1930年代から反動腐敗頑迷という体質は変わっていないが、台湾市民社会は賢くなっている。国民党の妄想は通用しない。
しかも、国民党や馬英九には、明らかに彼らが望んでいる独裁を実行するほどの能力はない。

筆者は以前、台湾では市民社会が成熟しているから、無能な政治家でも関知しない、と指摘したが、この1週間で馬政権が見せたものは、市民社会に適した無能さなどではなくて、明らかに頭の中は権威主義を残しているという点である。
これは危険である。
そして、このような馬鹿げた反動政権には、台湾の市民社会は服従しないであろう。
陳雲林から総統とも、指導者とも呼んでもらえなかった馬英九は、誰も尊敬しない。
総統や政府の権威や権力というのは、国民がそれを信頼して承認するから生まれる、つまり幻想の上に成り立っている脆いものなのだ。
もし、台湾市民が政府を政府と認知せず、総統を総統と認知しなければ、政府も総統も成り立たない。
これからは市民的不服従が始まる。そして、馬政権は自己崩壊するのだ。

中国に台湾市民社会の怒りが爆発 6時間足止めの快挙 国民党内部にも意見対立か

2008-11-09 23:18:38 | 台湾社会運動
いやあ、興奮の5日間だった。

陳雲林の台湾訪問では、日頃中国の台湾に対する高圧的な対応に対してこれまで鬱積した台湾市民の不満が大爆発したという感じだ。
これまで台湾に中国側から高官が訪問することもなかったから、中国に対する抗議、あるいはチベット独立への支援などの行動は、直接の対象が見出せなかった。今回は抗議すべき対象がわざわざのこのこやってきたのだから、これは絶好の機会であった。そして、実際台湾人民は世界初の快挙を成し遂げたのだ。
それは5日夜、晶華飯店(リージェントホテル)で開かれた国民党主席呉伯雄と陳雲林との会談で、陳らが会談が終わってから7時間以上もホテルに足止めされたということだ。

これはおそらく前代未聞の事態で、独裁体制になれた陳雲林は肝をつぶしたことだろう。
そして、おそらくこの背後には、国民党内部にも、陳雲林の来訪と中国の日頃の対応を快しとしない勢力があって、意図的に抗議行動の制圧に待ったをかけ、馬英九と陳のメンツをつぶそうとしたものと思われる。
実際、国民党内部でも、今回の来訪には反対意見も強く、市民の間でも「9月にメラミン問題が起こってその補償もされていない」として現時点での来訪は反対の声が多かった。
それなのに来訪が強行された背景には、中国共産党側は馬英九政権が長く持たないと見てできるだけ早く協定を結んで台湾を縛り付けておく必要を感じたこと、そして馬政権もそれをうすうす気づいていて(実際、独立派元老の辜寛敏が前週に馬にあった話を8日になって暴露したところでは「この機会を逃すと永遠に機会はない」と馬は言ったという)急いだものと思われる。
しかも「両岸和解」を世界に向けて喧伝したいはずなのに、わざわざ米大統領選挙という世界的に注目されない時期に設定したのは、よほど急いでいたに違いない。

ともかく、陳の来訪は、拙速であるという見方は台湾社会では強かった。
案の定、台湾では対中国としては世界でも最も人数が多く、最も強い部類に属する市民の抗議の声があげられたのである。

ホテル前は夕方から抗議の民衆が詰め掛けていたが、午後6時ごろホテル正門から呉と陳が入った。
私自身は6時半に現場に向かったが、不思議なことに警官のほとんどは遠巻きに見ているだけで、積極的に民衆を排除したりはしなかった。これは、おそらく前日4日にこのホテルと国賓飯店(アンバサダーホテル)周辺で起こった抗議行動に対する警察の過剰制圧行動が、社会から大きな批判を呼び起こしたことが大きく作用したと思われる。
正門前ではチベット人と支援グループが風刺劇を行っていて、緑の台湾人旗を振って中国に抗議する人が多かった。
同ホテルは車の出入り口が4箇所あるが、最初は正門前だけ群衆が集まっていたが、後で人も増えるにつれて分散、4箇所とも包囲した。
ところが、普通は夜の宴会が終わる8時あるいは9時になっても抗議対象らしきものは現れない。一部ではもう去ったのではという声もあったが、抗議の人波は収まらなかった。
私自身は翌朝早くに取材予定が入っていたので、11時には引き上げた。しかし実際には帰宅しても興奮していたので、現場にいればよかったと思う。

家でテレビを見ていたら、実際には午前2時10分過ぎまで、陳は足止めを食らわされていたようだ。警官たちも積極的な排除行動を行わず、ようやく午前2時過ぎになって本格的な排除を行い、陳らはホテルを脱することができたようだ。
つまり、普通の終了時間8時を基点として、6時間強にわたってホテルに足止めを食らわされたことになる。陳は恐怖しただろう。
しかし、これが自由な市民社会・台湾なのである。中国のように、幹部が特権ですべての道を何の障害もなく通行できる社会とは異なるのだ。

だから、AP通信はこう書いたらしい。「台湾と中国は国が違うばかりでなく、宇宙さえも違うようだ」。


5日午後7時20分ごろ、リージェントホテル正門前、チベット人の風刺劇


5日午後9時50分過ぎ、リージェントホテル裏門