むじな@金沢よろず批評ブログ

台湾、国際情勢、アニメなどについて批評

李登輝「変節」の原因

2007-02-03 17:20:33 | 台湾政治
ところで、どうして李登輝はこうした「変節」をしたのか?

◆国民党を温存させた李登輝
李登輝が陳水扁や民進党をこれほど憎むのは、民進党政権が本気になって国民党の党国利権構造にメスを入れ始めたからであろう。
李登輝には、国民党の利権構造を「本土化」するとき、外省人から本省人政治屋の手に掌握し、自らが利権構造のトップに立とうという腹があったのだろう。だからこそ黒金を発達させ、国民党を温存延命させたのである。金に目がくらんだということだ。
そんな意地汚い心がなければ、1996年に54%を獲得して初代民選総統になった時点で、ゴルバチョフよろしく、とっとと国民党の解体に手をつけていたはずである。
李登輝はそれをしなかった。国民党を本土化させることで、国民党が持っている利権構造をそのまま独り占めにしようとした。
だから、陳水扁政権が2002年に農会信用部に手をつけようとしたときに、李登輝と台連は猛反発したのだ。
ただ、その後陳水扁政権は萎縮して、国民党資産問題にはあまり手をつけようとしなくなった。すると李登輝や台連も民進党に協力した。
ところが、陳水扁二期目になって、やはり国民党資産問題に手をつけるべきだという声が盛り上がってくるや、李登輝は民進党と敵対するのである。
これは、明確な証拠はないが、時期と因果関係を照らしあわせると、推測としてはほぼ間違いないだろう。

◆中国による篭絡工作
朝日新聞の報道で、李登輝が昨年下半期以降、中国から訪問要請を受けていたことが明らかになっている。
これを私自身が独自に調べたところ、どうも昨年秋ごろから、中国の公的機関から学術団体などを通じて李登輝のところに接触が増えたようである。しかも中国はここで金品を使ったかは今のところ明らかではないが、さまざまな脅しを使ったのは確かなようだ。李登輝はたたけばたくさんホコリが出てくるからだ。
中国は李登輝がかつて共産党系組織の友人を売ったことはもちろん、総統任期時代のさまざまな事件の真相をばらすと脅されたらしい。友人を売ったことなど李登輝には何の良心の呵責もないだろうが、不正をばらされると困る。もちろん、ほかにもさまざまな手口を使ったのだろうが、これで李登輝が中国に篭絡された可能性は大きい。
というか、今回の発言内容やメディアの選択など、そうとしか考えられない。
実際、中国側にもそうする動機はある。李登輝ほどの大物を篭絡すれば、それにつながる独立派に動揺を与えることができ、また李登輝がひとつの核となる政界再編による中国国民党の分裂もあるいは阻止できるかもしれない。
しかも李登輝の脛にはたくさんの傷があるし、李登輝につながる台連や国民党本土派は国民党的体質を引きずり、トップダウンだから、これで国民党本土派をかなり撹乱させることができる。
これは民進党にはあまり通じない手だろう。というのも、民進党には「核」がないし、李登輝のようなカリスマもいないから、たとえ陳水扁を篭絡しても、民進党への影響も意味もないからだ。
しかも、ここに来て、宋楚瑜、馬英九など、中国が期待をかけてきた外省人の大物政治家が、次々と力を失墜させてきただけに、中国としては国民党本土派の台頭、中国派政治勢力の泡沫化を防ぎたかったはずだ。
もちろん、台湾では、有名人が中国に取り込まれたら、その時点で人気が失墜するというジンクスがあるし、中国もその点では許文龍のときに学習済みのはずなので、李登輝取り込みで大きく撹乱できるとまでは思っていないかもしれない。
しかし、やはり李登輝を中国側に引き寄せれば、牽制や速度緩和にはつながるだろう。

◆李登輝が中国行きを果たしたら、台湾では完全に失墜
今回の発言で、もともと李登輝に疑念を抱いてきた民進党の多くや、まともな独立派は李登輝離れを急速に起こしている。これで台連は完全に泡沫化するだろう。
だが、李登輝信者の中にはまだまだ「李登輝がそんなことをいうはずがない、飛ばした」と信じ込んでいる阿呆がいる。しかし、その阿呆もいずれは現実に気づくであろう。
そして、李登輝が本当に中国に行ったらどうなるか。
李登輝には、どうせ先が長くない人生、最後の花を飾って、中国の指導者を握手して世界的に注目されたい、という目論見があるのかもしれない。そして、アホな日本のマスコミは、「両岸和解」として大書特筆するだろう。
しかし、その時点で、李登輝は「台湾の李登輝」ではなくなり、台湾の庶民や民衆の中での彼の人気は完全に失墜するのだ。彼は中国に行ったが最後、台湾には戻ってこれなくなるだろう。
そのときは「中国人李登輝が、中国に投降した」という位置づけになるだけで、台湾にとって何のインパクトもなくなる。
今の台湾は李登輝に講釈されなくても、立派に台湾主体性と本土意識がはぐくまれ、成長しつづけている。ある意味で、漢民族意識が強い李登輝など日本語世代は、現在のように急速に「中国」離れが進む台湾全体の民意の中では、すでに時代遅れの古臭い意味での「中華台湾」主義でしかないのだ。

◆裏切りの人生
最初に指摘したように、李登輝の一生は背信・裏切りと変節の連続だった。戦後台湾共産党系の新民主同盟につながる読書会に参加して逮捕され、そのときに仲間を売ることで命を免れた経験がある。その後、60年代にはたびたび日米を訪れ独立派と接触したが、70年代には蒋経国の要請で国民党に入党、政府にも参加、その後は国民党内でどんどん出世、台北市長なども務めて、ついに蒋経国時代の副総統にもなった。この間、党外民主運動に対して特務出身の蒋経国が惨い弾圧を加えたが、李登輝はひたすら蒋経国に忠誠を誓った。総統になってからは最初は確かに民主化に尽力した。しかしまともな本土派若手を育てることはせずに、宋楚瑜、連戦など大中国派や本土派でも黒金系統の人間ばかり登用した。手塩にかけた連戦が2000年総統選挙で敗れ、自分が院政を敷く魂胆がつぶれるや、国民党を猛攻撃して、急進独立派と接近。「正名運動」の音頭をとるなど「独立派のゴッドファーザー」とも呼ばれ、むしろ陳水扁の弱腰を独立派の立場から批判するほどだった。2004年の総統選挙では陳水扁の応援に立った。
ところが、2006年になって陳水扁がメディアがでっち上げた「腐敗疑惑」で落ち目になるや、陳水扁について「ダーティだ」として狂ったように攻撃。このとき、陳水扁に対する不当なバッシングに反撃する独立派の多くと反りが合わなくなり、06年9月ごろから、独立派の集会に顔を出すこともなくなった。
そして、今回の発言である。
常に仲間を裏切り、政界を遊泳し、自分が世の中を動かすという自己陶酔に酔いしれてきた李登輝としては、当たり前の変節と裏切りでしかないのだ。

ともかく、今回の事件は、李登輝という仮面をかぶったカリスマの失墜の始まりである。
しかし、これは長期的に見れば台湾にとって悪いことではないだろう。
とにかく、これで、蒋経国につながる古い国民党ファッショにつながる政治的な大物はほとんど影響力がなくなるからだ。宋楚瑜、馬英九の失墜と同時に、李登輝も失墜。これは悪いことではない。

元国民党員としての正体を現した李登輝

2007-02-03 17:19:35 | 台湾政治
李登輝も中国勢力に篭絡されたようである。
1月31日発売の香港系大衆週刊誌「壱週刊」は、29日に行ったという李登輝に対するインタビューをカバーストーリーとして大々的に取り上げた。
カバー見出しも「李登輝:私は大陸を訪問したい。台湾独立を放棄して、中国資本を受け入れを」。
中身は二部に分けられ、最初がカバーストーリーの現在の話。第二部は「永遠に闘う」という見出しで生涯を振り返るものだ。
その中で話題になったのは次の発言だ。
「私は独立派ではなく、独立なんて一度も言ったことがない」
「台湾は主権が独立した国だから、独立という必要はない。米国や大陸との問題を引き起こす」
「しかし私は正常化を訴えてきた。つまり正名と制憲だ」
「統一か独立かというのは偽りのテーマで、単なる権力闘争だ。私は青や緑を超越して中道的な立場に立つ」
「香港が中国観光客を受け入れて景気が回復したように、台湾も中国観光客を受け入れて消費させれば良い。別に中国人の全員がスパイではないのだから」
「(胡錦濤は)口数少なく、無駄なことは言わない、黙々と仕事をやっている」「(陳水扁は)国務機密費の不正をやってダーティだ。黒金(暴力団と癒着した腐敗)も私の時代よりひどい」
「(陳水扁は)大嘘つきだ」
「(馬英九は)度胸がないが、何よりもクリーンだ」「私は日本に偏向していない。昔は社会主義を信奉した私が日本に偏向するはずがない。日本、台湾、中国はいずれも良いところがある」
退任後台湾独立急進派陣営に接近し、中国との交流を強く批判し、「反中親日派」ぶりを強調してきた李登輝としては、大きな変節であることには間違いない。
李登輝は31日にやはり香港系のTVBSの取材で、「壱週刊の報道は一部誤り。私は大陸に行くとは言っていない」と「釈明」したが、中国資本と観光客の開放、陳水扁を罵倒する一方で馬英九に一定の評価を加えた点については否定するどころか、中国資本開放を積極的に訴えるなど駄目押しをした。

◆問題は中国資本開放論と主張内容の前後矛盾
最初は「私は独立派ではない」という部分が問題になったが、実際には問題はそこではない。
最大の問題は、中国観光客や資本の積極的な受け入れを主張した部分と、陳水扁をダーティだといいながら、馬英九をクリーンなどと持ち上げた部分である。
その他、全体のトーンからすると、明らかに李登輝は「統一」に近い立場を主張していることになる。
実際、31日と1日、わりと的確で公正な評論で評判の三立新聞台政論番組「大話新聞」はそうした部分を含め、いくつもの矛盾を指摘し、李登輝が「変節」したと結論づけていた。
しかも三立については、李登輝はすでに壱週刊のインタビューで三立を罵倒し、台連も「大話新聞」での評論家の李登輝批判を「われわれは台湾の評論家を過大評価していた」として反撃するなどしている。いまやTVBSが李登輝と台連の味方で、三立が李登輝批判に回っているという構図だ。

◆「変節」というよりこれが正体か?
もっとも、私は最初、この報道を知ったときは、飛ばしかと勘繰った。しかし、実際に雑誌を買って記事を詳細に読むと、見出しには若干誇張があるものの、内容はおそらく李登輝が言ったことをかなり忠実に書いただけだろうという感触があった。これは何度か調査報道も手がけたこともある私の記者としての勘である。
実際、さらに多方面に当たってみると、どうも最近の李登輝は独立派と関係が悪化する一方で、中国側とも頻繁に接触しており、かなり中国に傾斜していることは間違いないようだ。もっとも、これは「変節」というよりは、もともと仲間や友人を裏切り続けてきたこの男の正体が明らかになっただけかも知れない。

◆わざわざ壱週刊とTVBSを選んだ意味
しかし、おかしなもので、台湾にいる李登輝信奉者のアホどもは、「壱週刊はしょせんは低俗なゴシップ誌で真意が伝わっていない」「李登輝は主権独立や制憲を強調していて、別に変わっていない」などと「弁明」しているが、それは醜い言い逃れというべきだろう。
そもそもそんなに「低俗なゴシップ誌」の取材をそれと知ってわざわざ受け入れたのは李登輝に問題があるのではないのか?しかもその釈明と補足説明を三立や民視のような本来李登輝びいきだったはずのテレビではなく、わざわざ香港系中国資本100%出資のTVBSを選んだのはなぜか?
聞いたところによると、李登輝のところには、台湾や日本のメディア各社が独占インタビューを申し込んできたが、なかなか実現していない。最近では時事通信が最後である。その中で、香港系の壱週刊とTVBSが取材を取れたのはなぜか?
しかも、「壱週刊」はイメージほどにはいい加減な雑誌ともいえない。確かに見出しは煽情的だが、記事の中身は割合しっかりとしたものが多い。そもそも記者の給料が高い。台湾人は金さえ払えばちゃんとした仕事をすることは、台湾で仕事をしている経験上明らかなので、台湾メディア界で最も高い給与水準を誇る「壱週刊」がほかのメディアよりも「いい加減」とは絶対にいえない(もちろん、記者には青系が多いのは当然だからそのバイアスはあるが)。かといって、立場も統一派とはいえない、もちろん独立派でもない。一種独特・独自のいわば社会派路線で、李登輝の発言をその意に反して親中国発言に歪曲するメリットなどない。その点は歪曲がお家芸になっている中国時報とは違う。
ただ、李登輝がわざわざ変節発言に香港系「壱週刊」を選んだのには、彼なりのメッセージがあるはずである。つまり香港との接近である。だからこそわざわざ香港の例を挙げて、中国との双方向の経済密接化を主張したのである。

◆独立論に関する部分の前後矛盾
では具体的にどこが矛盾で、問題なのか。
まず矛盾は、独立論に関する部分である。
「独立を言う必要はない。台湾はすでに主権独立国家だからだ」という部分は良い。というか、こんなことは李登輝が言う前に民進党が台湾前途決議文で党是にしているし、もとはといえば、(昔はまともだった)施明徳が言い出したことである。
だからこれをもって李登輝が変節したというのは当たらない。「米国や大陸と問題を起こす」というのも、現実判断としては理解できないわけではない。
とはいえ、もともと民進党がいっていることを、さも自分の発明かのように主張して、しかも民進党をぼろくそに言っているのは、訳がわからない。この人は要するに何でも自分の手柄にして、目立ちたいだけではないのか?
しかし問題はその前後である。
李登輝は一方では「正名制憲という台湾国家正常化が必要だ」といっている。
しかしこれはまさに法理独立を追求するものであって、先にいっている「独立を言う必要はない」というのは矛盾する。
また、「統一・独立ということは、緑と青の意味のない政治闘争になっている」ともいっていることとも矛盾する。
正名や制憲という議題は、まさに緑陣営で言われている議題なのだから、これを推進するということは、政治対立につながるからである。
私に言わせるなら、別に政治対立や闘争は悪いことではない。どんな国にも理念をめぐる対立や闘争はあるのだから。
問題は「政治対立はよくない」と大見得を切っておいて、まさにその自分が否定した政治対立の原因になっていることを得々と自分の専売特許のように語る、その錯乱と厚顔無恥である。
しかも正常化というなら、まだ正常化していないということなのだから、正常化していない国家が「香港の前例と同じく中国資本を引き入れる」のでは、まさに台湾は第二の香港になってしまうではないか?
李登輝の思想や発言がぶれるのは昔からだ(台湾人はすべてそうだ)。しかし、哲学の素養もある李登輝は、かつてなら、ひとつの発言だけに限定すれば、その発言が前後でこれほど矛盾することはなかったように思う。
もう耄碌しているのか、それとも実は正名や制憲などもどうでも良くて、ただひたすら中国に行きたいという念が根底にあるから、こんなに論理が破綻しているのではないのか?
これに対して、民視2日の討論番組で、台連の議員が必死で弁護していた。
「李前総統は変わっていない。正名制憲をやはり言っている」といっていたが、民進党議員から「でもそれは統一独立でいえば、どちらなんだ」と切り返されて、「間違いなく独立のほうだ」といっていた(笑)。民進党議員はこれには苦笑していた。とすると、李登輝が矛盾や嘘を言っていることを台連も認めたことになる。
ともかく、どうしょうもない破綻である。

◆現実の中国社会のモラル欠如を無視する暴論
私がどうしても許せないのはこの部分である。
香港が返還後経済的に沈滞したが、中国資本と観光客を積極的に受け入れることによって、投資と消費が活発になり、景気が回復した、として、台湾もそうすべきだと主張していることだ。
しかも、その後のTVBSでの補足説明では、「台湾は景気が悪く、民衆(李登輝は一貫して中国封建概念である「老百姓」といっている、これも李登輝の中華思想の部分である)は困っている。これは台湾企業が中国に進出して空洞化して、一方向だけの経済交流になっているからで、双方向にして、中国人も台湾に来て投資したり観光して消費させれば、景気は上昇して、民衆の暮らしも良くなる」といっている。
これは、とんでもない発想である。従来の李登輝の「戒急用忍」とは180度ロジックが異なっているし、中国人が大挙してやってくることなど、まさに台湾の民衆・庶民を最も困らせる最悪の事態である。台湾の民意に反する馬英九の思想とそっくりである。
そもそも空洞化しているなら、空洞化しないような対策をとり、産業構造転換を促進するアイデアを提案するのが筋であって、空洞化しているのは放置して中国の観光客や資本を引き入れれば双方向になっていい、というのは、幼稚かつ無責任なレトリックである。1945年の台湾が中国と双方向の経済交流となって、どうなったのか?
李登輝はいう。「中国人が全員がスパイではないのだから」。
それはそうである。しかし、李登輝は重大なことを忘れている。
スパイではなければ、良民、善良な市民で、台湾にとって有益だという発想が間違いなのである。
私は日本、韓国、香港の入管・犯罪統計を調べたことがある。すると、中国人の違法行為や犯罪が異常に多い。香港も日本も中国との「双方向」の交流をするようになって治安が一気に悪化した。韓国も朝鮮族を「韓国系中国人」として別枠で甘く受け入れているが、その犯罪率が異常に高い。
確かに中国人の多くはスパイではない。しかしスパイではないから、善良な市民だということにはならない。むしろ中国の場合、高度な知識を持つスパイであってくれたほうが、よっぽどマシなくらいだ。そうした「危険な暴民」の割合が、中国の場合は異常に高いのである。
これは中国人だからというより、むしろ改革開放、経済成長の下で、モラル低下が急速に進んでいるからだ。80年代までの「貧しかった中国」では考えられないような目を覆うばかりの腐敗、不道徳が蔓延している。それが現在の中国社会なのだ。
観光客や投資家を受け入れたら、みんながまともに金を落としてくれて、台湾社会も潤うなどというのは、あまりにも中国社会の現実と実態を知らない、阿呆のたわごとである。
また、モラルのない中国人が大量に台湾に押しかけるようになると、確実に日本人や欧米人が来なくなる。観光地が少ない台湾でまで、わざわざ中国人に出くわすことなど、誰も望まないからだ。
つまり、中国人観光客を受け入れると、これまでの母数にプラスになるのではなくて、中国人が増えた分、その倍以上の日本人の足が遠のき、収支は結果的に大幅にマイナスとなるのである。そして、街に中国人が溢れる。
李登輝の主張は、台湾を第二の香港にして、台湾を中国人に占拠させるトロイの木馬である。

◆李登輝の辞書ではクリーンとは腐敗の意味だったのか
もうひとつどうしょうもないのは、陳水扁は「国務機密費を着服している」「嘘つきだ」とこき下ろすのに対して、馬英九についてはいろいろと問題点はありながらも、少なくとも「クリーンだ」と持ち上げている。そして、黒金政治が李登輝時代に始まったという指摘に対して「黒金は私の時代よりも、今のほうがひどい」と責任回避する始末だ。
馬英九も市長特別支出費の着服が捜査対象になっているし、不正蓄財の結果としか思えない複数の不動産保有も明るみになっている。確かに馬英九は自分やメディアに「クリーン」だと持ち上げられているが、クリーンなどではありえない証拠が、最近次々と暴露されている。そもそも国民党にクリーンな人物など一人もいないだろう。そもそも三民主義などというろくでもなく中身のないドグマを掲げている国民党にいるというのは、国民党が持っている理念に共鳴したのではなくて、単に利権にくらんだに過ぎない。「国民党の理念に共鳴したから」などということは絶対にありえない。そもそも、国民党は共産党ほど理念や思想として中身のあるものは持っていないからだ。共鳴するほどの理念は国民党にはない。あるのは単なる利権だけだ。
ただ、政治に腐敗はつきものなので、国民党がダーティだというだけでは特に問題はない。問題は、国民党の不正腐敗は、党国体制に由来する構造的で独占的なものだという点だ。国民党は日本時代の資産を横領し、国家財産をすべて党の財産に横流ししてきた。これは日本や今の民進党で個別に起こっている汚職とは規模も性質も違う。
そこが問題なのであって、腐敗があるかないかの問題ではない。
また、黒金は李登輝時代に始まり、李登輝末期に頂点に達していたことは、台湾では誰もが知っている常識である。そもそも黒金は国民党の党国経済構造がなければ発達しようがない。それを「今のほうがひどい」というのは、とんでもないペテンと嘘である。
対して、陳水扁の娘婿のインサイダー、陳と夫人の国務機密費流用は、いずれも証拠はない、ほとんどでっち上げである。確かにインサイダーは一審で有罪判決が出たが、判決文を見ても具体的な物証は挙がっていない、つまり不当判決である。国務機密費にしても、制度化されていない部分の揚げ足を取った単なる濡れ衣である。
というか、そもそも陳水扁が機密費を横領したり、肉親が権力を嵩にきて不正ができるほど陳水扁一族が「悪人」なら、いまごろ李登輝とか国民党は存在できるはずがないではないか?
政治家には清濁あわせ呑むくらいでないといけないが、陳水扁の問題はむしろクリーンであるかどうかにばかり神経を使って、政治ができないところにあるのである。
クリーンは一国の成立条件ではない。そもそも国家である限り、クリーンであることはありえない。おそらく陳水扁はクリーンというなら、いかなる国の指導者の中でも最もクリーンだろう。
しかしそんなことは何の役にも立たないことは、陳水扁の政治操作の無能無策ぶりを見れば明らかだ。
ちょっと脱線したが、陳水扁がダーティなら、李登輝などとっくに始末されていたはずだ。李登輝みたいな老害がいつまでものさばっていられるのは、陳水扁がクリーンなだけが取柄の政治的無能者であるからにほかならない。
それをダーティと呼び、自らと馬英九をクリーンといって憚らない李登輝の辞書では、クリーンとダーティの意味が逆転しているのであろう。

◆「親日」も否定
私は日本右翼ではないので、どうでもいいが、おそらく日本の李登輝びいきのアホな右翼どもにとって目をむきそうな発言は「私は社会主義者だったから、日本に偏向しているはずがない。日本、台湾、中国はいずれも良いところがある」といっているところだ。
これは、何も考えずに読めば、正論のように見えるし、陳水扁あたりが言うなら(言わないが)スルーできる発言だ。
しかし、仔細に読めばこれも変節である。「武士道解題」などで、日本に対する思い入れ、親日派ぶりを見せ付けられ、李登輝に心酔してきた日本人の多くを裏切るものだということができる。
そもそも第一部で台湾は主権独立国家、正常化、主体性を主張しているのだから、ここで「私は主体性のある台湾人だから、日本も単なる友好的な外国としてみているだけだ」というならわかる。あるいは「社会主義者だった」という理由でも、史明がよく言っているように「私の社会主義思想は日本を通じて受け入れたものだから、その意味では日本には特別の意味はある」というなら、これまでの日本向けの発言とあわせて、まだまだ誠実で、一貫性があるというものである。
ところが、ここで「社会主義者だったから、日本に偏向しているはずがない」というのは、ロジックとしておかしい。
あくまでも台湾本土に立つ社会主義なら、社会主義であるほど、日本に偏向するはずである。史明がそうだ。
そうでなくて、日本に偏向していない社会主義だというなら、それは夏潮などと同じく中国共産党の流れを汲む社会主義だということになる。
この答えは明らかで、日本を台湾とだけでなく、中国とも同列において「いいところがある」といっている時点で、台湾本土派から逸脱している。普通台湾本土派で、日本を突き放して外国のひとつと見る場合でも、日本と台湾、米国や欧州、あるいはせいぜいがフィリピン、韓国とあたりなら同列に置いたとしても、中国を同列に置くことはしない。
李登輝のこの発言は、日本や台湾も、中国と同程度にしか「いいところ」がないといっているのと同じである。
ほかの部分を考慮すると、中国に妙な幻想を持っていることが現れている。