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ある日カッパ姉ちゃんとカメラおじさんの家に一匹の子犬がやってきた。
日々のうつろいの発見と冒険を胸に生きていこう!

愛するココロー19-

2007年07月27日 | 投稿連載
 愛するココロ  作者 大隈 充    
            19
 空虚の正体は、ココロの全知覚バロメーターで言えば、
世界という環境の中でそのすべての情報を感知する針が
振り切れた情態をいう。
全く何も感じないで反応しないと言うことではなく、
感じる情報が過剰かその密度が強烈かのどちらかの情態で
対応しきれず身動きできなくなったココロの有り様と
言い換えてもいい。
 末永栄一が、そんな空虚をココロに感知し始めたのは、
四才のとき母親と博多の父の家を出たときだった。もっとも
栄一が生まれた時から父親の伏見建二は、家にはほとんど
寄り付かなかったので、顔どころか記憶自体がない。
唯一かろうじてある手がかりは、建二のハイライトのきつい
タバコの匂いぐらいだった。
 なぜ健二が子供を嫌ったか、その正しい理由は今となっては
すべては推測でしかなくはっきりとはわからない。ただ過去の
事実だけを語れば当時三十才を過ぎてバリバリの証券マンだった
建二は、アンノンブームに乗って旅行会社株と電気株でかなり
の儲けを得て羽振りよく中州で毎日飲み歩いたときにまるで鮭
が交尾するように勢いと弾みで那珂川沿いのスナックで出会った
当時デパートの広告モデルをしていた19才のイズミと激しい
山火事のような一夜を共にした。
そして生まれたのが栄一だった。
建二は、呉服町にマンションを購入し、イズミと所帯を持った。
栄一が一人歩きできるようになった頃には、会社をやめて株で
儲けた財でベッドタウン予定地のマンションと土地を買いあさり、
不動産業を始めた。これが次々に当たり、福岡から東京まで
進出する勢いでその忙しさの中で博多の呉服町のイズミの待つ
マンションと栄一のオムツ姿や園児服は忘れ去られた。
勝負勘のよさで飛ぶ鳥を落とす勢いの若手土地成金の建二の成功は、
仕事に逃げたことの結果でしかなかった。本音は、家で自分の子供
とどう接していいかわからなかったのが真実で、家庭というものが
解らずできるだけ遠まわしに家族というものに接しているうちに
東京まで登り詰めていたというのが正しかった。
つまり父親を全く知らずに育った伏見建二に
とって子供は不変な未知の存在でしかなかった。この違和感を
埋めなければならないと思えば思うほど建二のココロの底の
乾いた砂漠は、子供を慈しもうとする水をあっという間に
吸い込んで一向に潤わず、いつまでも乾いたままの砂の原野だった。
又建二の母とイズミは折り合いが悪く、殆ど絶縁状態だった。
栄一は、祖母にも抱かれることなく、イズミに新しくできた恋人
との新生活のため父と父のマンションの灰皿に染み付いたハイライト
の哀切と苦渋の匂いとも別れることになった。
 イズミは、一人育児に疲れ精神的に不安定な状態がつづいた。
お漏らしをした栄一に度を越した折檻をして、足にギブスを巻いた
栄一を病院から負んぶして帰る段になってことの重大さに
後悔したりした。そんな乾いた日常を少しの間緩和してくれたのが
ミシンを踏んでハギレを縫っているときだけだった。
 そして洋裁の趣味に没頭する内にミシンのセールスマン溝部実と
親しくなり、栄一が四歳の誕生日に正式に建二と離婚が成立して、
栄一を連れて北九州に出て溝部の貸家でしばらく暮らした。
「あの人は、長いトンネルで出口を失った罪人のようやったばい。」
何回も洗い過ぎて襟のカラーの先が擦り切れて幾つも穴が空いている
服を着ている牧師の末永照夫は、日本茶を啜りながらバリトンの透る
声の悲しい音階で言った。
「イズミさんは、この教会を訪ねてきたときは皮を剥がれたウサギ
のごと、震えてとったけんが一週間後に博多湾の能古島で水死体で
発見されるとは思わんでした。」
礼拝堂の冷たい木製の長椅子で話を聞いていた村上刑事がメモして
いた手帳を閉じて湿った息と共に確認の質問をした。
「ということは、この教会に訪ねて来て栄一君を預けて自殺した
ということですか。」
「そりゃわからん。新聞記事では、博多港から出た連絡船から誤って
落ちたとしか書いていなかったけんが。」
「その、ミシンのセールスマンの男は、一緒にいなかったのですか。」
「家内の話で後から聞いたけんが、その男に金だけ取られて捨て
られて行く場所がなくなってうちの教会に来たちが。」
「イズミさんの親御さんとか、身寄りは?」
「奄美大島の人だったけんど、親父さんたちはブラジルに移民に
行って親戚もわからず仕方なく栄一君は、わたしら夫婦で
育てることにしました。」
「父親の伏見さんとこは?」
「それが呉服町のマンションは別の人の手に渡っていて居所が知れず、
何やら東京のどこかにおるち聞きましたが、自分の子も捨てるような
男に栄一を預けるのは、神もお喜びにならないやろうけんって、
諦めてしもうたったい。」
末永牧師は、立ち上がってステンドグラスの窓を開けた。
暖かい早春の風が桜の花びらとともに薄暗い室内に入ってきた。
「ここからは、海が見えるんですね。」
村上刑事が立ち上がって牧師の大きな背中越しに明るい窓外を眺めた。
「ちょうど海の中道が目の前で玄界灘の外海と博多湾の内海
の両方が見えっとです。」
「奇麗な海を見て栄一君は育ったんですね。」
「はい。頭のよかいい子でした。」
色ガラスの反射で牧師の顔が赤や青に彩られて、まるでイコン画
の肖像のように見えた。
「奇麗な海ですね。」
村上はもう一度今度は自分に言った。
海の中道の白い砂浜の向こうにギラギラと陽光に輝く荒海が遥かな
水平線まで広がっていた。
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