カジュアル・アミーガ         本ブログの動画、写真及び文章の無断転載と使用を禁じます。

ある日カッパ姉ちゃんとカメラおじさんの家に一匹の子犬がやってきた。
日々のうつろいの発見と冒険を胸に生きていこう!

池ノ上の豆腐店、ついに取り壊し!

2011年05月31日 | 街角探検
以前渋谷と下北沢の間にある古い豆腐店を紹介した。
池田屋豆腐店
けっこういい店構えの老夫婦による店でした。
何回か休んでは再開していた。

おじいさんの体調がよくなかったり
おばあさん一人で大変そうだった。
それがついに
取り壊し。
なんだろう。身内の葬式を見ているような
変な淋しさがあります。

昭和3年に建てられた建物が平成23年に命尽きた。
83年間ありがとう。
それにしても
おばあさんは、どうしてるのだろうか。
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雨に咲く花々よ

2011年05月30日 | めんちゃん日記
台風が低気圧になっても
大雨は降りつづく
こうなったら
ぼくは、雨をたのしんで
歩こう。

濡れてしたたる
水のしずく
花々は、うれしそう。

そうか。
花って雨が好きなんだ。
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Cardごのみ155~マリアの祈り1&2

2011年05月29日 | 食玩小物
今日は神聖な雰囲気のカード2枚です。
どちらのカードにも教会などで配られている
マリア様の御絵を使いました。
クリスチャンではありませんが、
美しい絵柄の御絵には憧れがあります☆
上はレース模様のコースターを組み合わ
せて清楚な感じに。
下は白百合や子羊を使って可愛く仕上げました♪
     

コメント (2)
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懐かしい人への旅6

2011年05月29日 | 投稿連載
懐かしい人への旅 作者大隅 充
      6

この松竹にいた三年半の間に中村さんの関わった木下作品以外の
美術監督作品には川島雄三監督の「相惚れトコトン同志」「学生
社長」、小林正樹監督「息子の青春」、野村芳太郎監督「次男坊」
「きんぴら先生とお嬢さん」(大阪志郎・高橋貞二)などがある。
俳優では大阪志郎さんと知己を得て生涯付き合いがあったと娘さ
んの公美さんは言っておられた。
 そして昭和29年に新生日活へ移籍する直前にやったのが木下
恵介「二十四の瞳」で中村公彦さんがロケマッチという手法の名
手だったことをこの作品で見てとれる。
 映画ファンなら誰もが知っているこの映画は数々の映画賞を総
なめした。監督、撮影、脚本、主演・・ただ美術だけがとれなか
った。
それは今でもこの映画を観た人が勘違いしているのだが、全部小
豆島に行って撮ってきたものと思っているフシがある。教室にし
ても高峰秀子の家にしても大船のセットである。しかしロケ先の
瀬戸内海の美しい風景とマッチしたセットを組んだ中村美術があ
の子供達の純真な笑顔や涙を引き立たせたのだった。
その技術が巧すぎて、評論家でさえ映画美術の姿を読みきれなか
った。
 映画賞の発表のとき木下恵介監督が中村さんにそのことを言っ
て「それだけあなたの美術がすぐれていたということですよ。あ
まりにも自然なセットだったから・・」
と慰められたというエピソードがある。
 この中村美術の天才的なロケマッチ手法はその後日活に移って
から今村昌平作品で花開くことになる。
 「にっぽん昆虫記」は、映画の美術の考え方をまるっきりひっ
くり返したと言っていい今村昌平監督作品である。撮影所で作ら
れていた映画産業は、必ずセットやロケセットでその背景となる
舞台を描いてきた。ところがこの「にっぽん昆虫記」は、東北の
寒村の農家を一軒借り切って撮影された。そして徹底してその実
際の農家の中で撮影された。普通農家の居間のシーンだとセット
が組まれ俯瞰で撮影するときは、天井のないスタジオセットの上
にクレーンにカメラを乗せて撮影する。しかしこの作品では、
実際の農家の天井にカメラを仕込むし、壁に穴を開けて引き画を
撮ったりした。つまりこれは、ロケマッチの極致と言っていいも
のになった。ほとんどドキュメントに近い作法である。映画のウ
ソから自由になりたいと願った今村監督と中村美術が合体した瞬
間だった。
 それはちょうど時代がハリウッド的な絵空事に満足できなくな
っていた時期でもあった。その下地は、ロッセリーニに代表され
るイタリアのネオリアリズモの影響があり、その後のフランスの
街にカメラを持ち出して即興で演出するヌーベルバーグの流れと
呼応する映画史的な動きと同期しているものでもあった。
 余談だがこの後今村昌平は、実際にドキュメント映画へ傾倒し
て行って創作をしばらくやめてしまう。中村さんは、今村のいな
くなった日活で逆に井上梅次監督作品でセット美術の舞台的な展
開へと再び戻って行く。
 さてここで話をムーランルージュへ戻して中村夏樹の誕生から
進めていこう。
 中村公彦さんが戦後ムーランの前身「劇団小議会」に参加する
のが昭和21年の10月からで芝居「女性研究第一話」とバラエ
ティ「街の小議会」で最初に「中村夏樹」のペンネームが載るこ
とになりました。この劇団「小議会」は、ムーラン研究者では正
確に年代区分をされるので戦後第二次ムーランという人もいるし
、この前に五月から七月にかけてムーランの作家中江良夫と焼け
跡で浪曲をやっていた鈴木勝親分とがはじめた劇団「赤い風車」
というものがあるので第三次という人もいる。
 ただこの「小議会」は御殿場で戦後第一回衆議院選挙で落選し
ていたムーランの創設者佐々木千里を再び、中江良夫が呼んでき
て本格的に始めた興行だった。だからトップスターの明日待子、
小柳ナナ子などが表紙を飾り新生にっぽんの新宿でムーランの芝
居とバラエティを繰り広げたが三ヶ月しかつづかなかった。客足
がどんどん減っていった。
 佐々木千里の意図は、敗戦で焼け野原になった日本、東京では
時代に沿わなかった。今日食べるものがなく、戦地から帰ってき
た復員兵は、家族が空襲でいなかったり、逆に夫を戦争で失い子
供を女手ひとりで育てなければならなかったりした。戦災孤児が
溢れ、パンパンと呼ばれる街娼が辻辻に立ち、新宿周辺でもやく
ざと三国人との抗争がはげしく死体が路地裏に転がっていたりし
た。そんな混乱した世相で佐々木千里の戦前のユーモアとエロス
は、物足りないものだったのではないだろうか。もはや佐々木千
里の時代ではなかった。時代はもっと即物的な欲望の大きな渦に
飲み込まれていた。だから中江良夫もどこか違うと感じていた。
ムーランルージュは新しいこの敗戦の混乱に対応しなければなら
ない。また佐々木千里の敗北は新しいムーランの始まりでもあっ
た。
 戦後ムーランの始動は、さらに三ヶ月の準備期間を待って昭和
22年の4月8日からの劇団「ムーランルージュ新宿座」からと
なる。今度は、三崎千恵子と夫の宮坂将嘉が座長になり、台湾の
華僑である林以文が資本を提供することで安定的に興行すること
ができた。
 中村公彦さんの美術も低予算の中で演目の主題をクローズアッ
プして大胆にデホルメしたデザインのセットとなった。このデホ
ルメと「生活の河」や「にしん場」に見られる実写的なリアルな
セットも又別にありそれらを見事に両輪の翼として成立させていた。
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梅雨入り宣言

2011年05月28日 | めんちゃん日記
もう梅雨。
西日本から関東にかけて
みんな雨だって。
散歩好きなぼくにとって
つらい季節。

今日は一日何も宣言。
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くまの店

2011年05月27日 | めんちゃん日記
ぬいぐるみって
ときどき淋しそうだったり、嘲ったりして
ビクっと振り返ることあるよ。ぼく。
「いいなあ。おまえさん。自由に歩けて」
ぼく?
「わしら、ウィンドウの中で一日タイクツだぞ」
でもいい人に買われたら、可愛がってもらえるじゃん。
「・・うーん。売れたらな・・・」
売れたら・・・
そうか。ぼくだって売られたんだっけかな・・・
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中野の戦士

2011年05月26日 | 街角探検
JR中野駅の近くの
線路沿いの道には
戦士がいる。
中野ブロードウェーと反対側の区民ホールのある地区。
中野の町は、独特の活気がある。

その活気を見守っている男がキリリと立っている。
ついご苦労さんと触りたくなる。
中野ワンダーランドへようこそ!
たのしい街です。
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日比谷でティー・タイム

2011年05月25日 | めんちゃん日記
「相棒」のおじさん刑事がお茶をのむ
日比谷のカフェに行ったよ。
東京のド真ん中にぽっかり。

広い公園は、気持ちいいよ。
食べてるテーブルにすずめが来て
ケーキをつついた。
まったく日比谷のすずめは堂々としている。

というか
アツカマしいやい。
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磁石少年、あらわれる! おるいは雨の日は磁石犬。

2011年05月24日 | めんちゃん日記
クロアチアの「磁石少年」、重さ25キロの物体も体に吸着(13日)

おい。めんちゃん。起きろ。
雨だからって毛布にくるまってばかりじゃ
からだがナマルぞ。

あのな。世界には面白い子供がいるもんだ。
クロアチアの磁石少年。
なんでも金属がくっついてしまうんじゃ。
どうなってるのか。
不思議なことがあるもんじゃ。
めんちゃんも何か特技はないのんか。
バカ吠え以外にな。

ぼく、毛布にくっついた磁石犬?!
どうーよ。
バカたれ!
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小川が一番季節に敏感

2011年05月23日 | めんちゃん日記
緑道の小川に
アヤメの花が咲いたよ。
チョロチョロ流れる水は、雨よ来い来いと
アヤメの茎の間をすり抜けて行くよ。
       
カモさんもそろそろ子供が生まれる
時期だ。
子ガモくんたちが泳ぐの
早く見たいなあ・・・
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Cardごのみ154~ミュシャ風イラスト2&Flower Thanks2

2011年05月22日 | 食玩小物
今日のカードは先週の続きの2枚です♪
上はミュシャ風イラストを切り取って、
グロスマン・シールとコラージュ。
ピンク系のお花を沢山使いました♪
下はフォト・エッセンスのお花を組み合わせて、
可愛く仕上げました☆

ソニプラ限定のグロスマン・ステッカーセット
「hideaway」を紹介します。

クマ、アヒル、ハートの形のケースに、
ステッカーがそれぞれ20種類ずつ入っています。
私はクマさんケースを購入しました!
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懐かしい人への旅5

2011年05月22日 | 投稿連載
懐かしい人への旅 作者大隅 充
    5
 中村公彦さんに関しては2001年に岩本憲児・
佐伯知紀篇の「映画美術に賭けた男」(草思社)と
いう本が出版され、中村公彦さんの生い立ちから映
画美術、晩年のインテリアデザイナーとしての仕事
まで詳しく記されている。
 大正5年3月5日に熊本市の新屋敷で生まれる。
細川藩の旧城跡の家で育つ。その家は「城下の人」
で知られる義和団事件、ロシア革命そしてシベリア
出兵に関係して軍事探偵として満州・シベリアを舞
台に活躍した石光真清の生家であった。その石光真
清も中村公彦の親戚に当たる。その石光の叔父にあ
たる野田ひろ通の孫が中村公彦であったという。
 娘の公美さんから聞くと中村さんの祖父の野田ひ
ろ通は、明治政府はじまりの頃の初代陸軍主計総監
で男爵だったという。若い頃は後藤新平や斎藤実、
紫五郎などを書生として住まわせて面倒を看ていた。
この野田ひろ通と熊本で15才で結婚した敏との間
にできた男の子の淳造の子供が公彦でのちに母方の
性を名乗って中村公彦となる。熊本時代は絵が上手
で県の公募に入選したりしたけれど、画業に向かわ
ず早稲田大学の商科へ進み、三菱重工へ就職します。
 いわゆる美術畑を歩いてエンターテイメントの世
界に入るという標準的なコースを行った人ではなく、
戦前に一度サラリーマン生活をした人だった。それ
が終戦直後の混乱時期に財閥解体の財団法人に勤め
て比較的安定した生活をしていたところへ住んでい
た西新宿のアパートの隣室の人にムーランのタップ
ダンサー室町三郎がいた。その人に遊びに来ない
と誘われ、新宿ムーランルージュの舞台を見たとき
に「きみ、絵がかけるの」と聞かれて「はい」と答
えたのがムーランルージュの美術ひいてエンターテ
イメントの世界へ入るきっかけになったという。
 本当に人の運命はわからないものでたまたま知り
合った人がムーランだったという接点がなければ中
村公彦さんは、堅い財界の世界を歩かれていたので
はないだろうか。
 つまりはこの偶然がなければムーラン名の中村夏
樹という人物は存在しないことになったのだから不
思議なものだ。
 ここでムーラン時代に行く前に中村さんの映画人
生について触れておこうと思う。
 偶然というものが運命のいたずらをすると言った
が映画界へ入るのも中村公彦さんはこの偶然が大き
な力を発揮する。これはもう運命と言った方がいい
のではないだろうか。
 昭和26年の夏、ムーランが五月に解散してやる
こともなくなった中村公彦さんは、新宿の喫茶店に
いた。そこへ東京新聞などの新聞記者が屯していた。
「あら、夏樹さん。中村さん。ムーランがなくなっ
てどうしているんですか。」
と声をかけてきたという。
「いや、やることなくぶらぶらしてます。」
この頃はもはや財閥解体事業団を辞めていたらしい。
「それだったら、松竹に紹介してみましょう」
とその新聞記者から松竹・城戸所長へ話が行って中村
公彦さんは映画会社・松竹に入社することになります。
そしていきなり小津安二郎監督の原節子主演「麦秋」
の美術助手に就きます。浜田美術監督の元で初めての
映画体験をするのです。だからこの「麦秋」での中村
さんのエピソードでは、原節子が飲む銀座で買ったと
いうコーヒーカップを実際に中村さんが銀座まで行っ
て買ってきたところ、それは本来小道具の仕事で気ま
ずい思いをしたという。映画の美術助手はエリートで
美術監督浜田辰雄のサポートをする役目。小道具や大
道具は又別の人がやる。しかし中村公彦さんがこの後
わずか一年で美術監督になり、木下恵介の「女性の勝
利」「女の園」「二十四の瞳」に就くことになるのだ
から、いかに優秀だったかが覗える。松竹首脳陣とし
てもムーランでの舞台美術の腕を高く評価しての抜擢
だったのだろう。だから古くからいた松竹の美術助手
たちは面白くなかったようでいろいろヤッカミがあっ
たらしい。
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ぼくの本ができたよ。

2011年05月21日 | めんちゃん日記
2005年からはじまった
このブログの本ができたよ。
今見ると
恥ずかしいことばかりだな。
ってぼく。
でも
今はもうない渋谷の黒パン屋とか
二子玉川園の門とか
懐かしい写真があって面白いやい。
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ずっと感じる背後の視線

2011年05月20日 | めんちゃん日記
何か
誰かがぼくを見ている。
気がする。ずっと・・・

誰だよ。
トリミング店?
あら、いた。
子プードルちゃんのあやしい目。
ぼくのこと
好きなのかな・・・

違うよ。
デカいチワワだなと思ってさ。
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きつねのものまね

2011年05月19日 | めんちゃん日記
コンコンきつね
コンコン真似て
コンコンお守り
やっぱ、犬よりきつねに似てる?
ぼく?
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