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ある日カッパ姉ちゃんとカメラおじさんの家に一匹の子犬がやってきた。
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さすらいー若葉のころ28

2010年08月06日 | 投稿連載
若葉のころ 作者大隅 充
     28
 それは、予想だにしない大きな海難事故だった。
夜のテレビもラジオも八戸港へ向かっていた水産庁
の海洋資源調査船と室蘭フェリーの衝突のニュース
で持ち切りで岩手放送では八戸港からの中継をCM
も飛ばして報道ワイド特集としてやっていた。
 そして被害が深刻なのは、客船フェリーの五分の
一しかない海洋調査船の方で後部舷側に穴が開き、
あっという間に沈没して24名の乗組員のうち現在
海上自衛隊に救出されたのは5名だということだった。
 一番最初に救出された二等航海士は、毛布に包ま
れて港から救急車で運ばれる時、取材陣のマイクに
「渦が・・船が沈む時にものすごい渦が巻いて・・・
巻き込まれないように泳ぐので精いっぱいで・・・」
と涙声で呟くと記者の他の質問には答えずに迎えた救
急隊員に支えられて車に乗り込んだ。
     
 私は、眠れずに朝を迎えた。
それは、沈没した海洋調査船は輪竹さんが乗ってい
た船だったのだ。どうしてこんなことが起きるのか。
とてもこの世というものが決してあり得ない何百億
分の一という確率でわたしに降りかかってくる災い
として成立してしまうことが信じられない。
 私は、涙がこんなに体からでてくるものだと初め
て知る。深夜二時を回って、夫が書斎としている屋
根裏部屋の扉を開けるとカズマはソファでいつもの
ように毛布を被って寝ていたので二階の寝室に戻っ
て私はベッドに入る。しかし眠れない。頭の中に白
い荒野があってそれがどんどん広がっていく。その
荒野は白い草なのか、白い砂なのかわからないがた
だ色だけが白でゆらゆらと萌えている。
 私は、その白い荒野のめくれて行く端を追いかけ
ながら何も考えられない。悲しみも苦しさも後悔も
何一つ感情が湧き起こらない。取りも直さず白い世
界だけがどこまでも広がる。でもなぜか私は、泣い
ている。
悲しいという感情もないのに涙だけが出てくる。静
かな森の中の泉のように。
 そしてついに日が昇り朝になっても赤く腫れた目
には涙の泉のしずくが滲んでいる。
 テレビの画面にテロップで流れた行方不明者の輪
竹龍彦の名前。どうしてこの文字がここにあるのか。
この四文字は、あの八戸港の港湾宿舎のポストにし
かなかった筈なのに、あの素晴らしい輪竹さんの笑
顔も知らない局の女子アナウンサーが偽の神妙な顔
で二時間の特番で三回も輪竹龍彦と読み上げた。う
そだ。すべてがうそだ。お弁当をもってあの青く晴
れた海にうれしそうに出て行った輪竹さん。いつも
洗いざらしの前髪が風に広いおでこの上で揺れて赤
ん坊のような笑顔をしていた龍彦さん。人の目をま
っすぐに見つめるのが癖だった。見つめられた人は
誰もが視線のまっすぐな分正直にならざるを得なか
った。
あの人は、期待と希望を胸に生き生きと手をふって
出航して行った。。
 好きなことが仕事になったことをいつも感謝して
いた。何より海が好きだった。動物が好きだった。
どんな単細胞の生物でも嬉々としてその生態を語る
ときは、無防備な子供に戻っていた。
あの人は行ってしまった。
そして今こうして帰って来ない。
 私は、マリエントを休んだ。
現実に体調に異常を来して、動悸が激しく生理のと
きのようにお腹に鈍痛があり、歩くのも辛い。電話
で支配人にその旨を伝えて金田一温泉の診療所まで
カズマの運転で送ってもらい点滴と鎮痛剤の処方を
受ける。
 それからペンションの寝室で夕方まで寝る。次の
日。ますます体がだるくベッドから起き上がるのも
やっとで一日中寝てしまい、食事はペンションのコ
ック長でもあるカズマがハルカの分もつくって私は
、完全に病人になってしまった。
 結局そんな日々がつづき、一週間がすぎた。テレ
ビも海洋調査船衝突沈没事故については、ニュース
コーナーの中でも行方不明者に関しては報道されな
くなり、もっぱら大嵐で室蘭フェリーと調査船と両
方ともレーダーが故障したことが衝突の原因だとし
て海上保安庁の途中調査報告のことが天気予報の前
に少し報道されるぐらいになった。
 また新聞の地方欄には「行方不明者もはや絶望か
」との見出しが書かれる。
 私は、このころには普通に起きて生活ができるよ
うになっていた。カズマの朝食もハルカのお弁当も
今まで通りつくる。そして森に来るアオゲラの声が
子育てを始めているのか、黄色い鳴声が混じるよう
]になってきたのも聞き分けられる。
 私は、午後遅くマリエントへ電話を入れて食堂の
仕事をやめることを伝える。いつもの年のペンショ
ンが忙しくなる頃にマリエントをやめるより一カ月
以上早いのだけれど丁寧に支配人に辞職を申し出る。
「ではペンションが休みになったら又頼みます」と
いう支配人の労いに、はいとは言ったものの、たぶ
ん冬場も来年ももう復帰することはないだろうと心
の中でつぶやく。

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